見出し画像

何とも可愛い762mm鉄道・三岐鉄道北勢線について

 三岐鉄道北勢線。日本では数少ない、レール幅762mmの鉄道路線です。

 こんな幅の狭い鉄道路線が出来たのには、明治時代まで歴史を紐解く必要があります。日本では明治初期の鉄道が開通して以降、路線は全国へと拡大し続けましたがいずれも民営の路線でした。しかし明治末期にそれらの路線はほとんど国有化され、民間の鉄道はその運営や敷設に関して新たな法律「私設鉄道法」が設けられ、その下で行うべしと相成りました。
 ですが、その条件があまりにも厳しかったことが仇となり、新規路線を建設する動きが一気に鈍化。政府としては全国に交通網を整えたいのですが、正直なところ国だけではその資金を賄えません。実際には各地方の財界に頼るしかなかったのです。
 そこで1910年に「幹線レベルではない鉄道なら、建設における条件はそこまで厳しくしない」という「軽便鉄道法」を施行。これがレール幅の基準も設けられず敷設の認可も簡略化されたという、非常にユルユルな法律でした。そのため全国各地に軽便鉄道(でも従来と変わらない基準の路線)が建設されるきっかけとなるだけでなく、現行の私鉄路線会社も
「だったら、今ある路線もこの法律に則ったものとしてしまえ」
と鞍替えが進むことに。さすがにこの流れは政府もマズいと考え、9年後には両者を統合した「地方鉄道法」を施行。たった9年でこれですから、余程の状況だったのでしょう。なおこの法律は、JR誕生により国有・民営の境目が無くなる1987年の「鉄道事業法」誕生まで続くこととなりました。

 この三岐鉄道北勢線もそんな「軽便鉄道法」に則って作られた鉄道路線の一部。もともとは独立した鉄道会社だったのを近鉄が買収。なお同社は長らく3つのレール幅を持つ私鉄路線(大阪・名古屋・奈良・京都・伊勢を結ぶ路線の1435mm、阿倍野橋から吉野へ向かう南大阪線系統の1067mm、そして同路線を含む一部支線の762mm)でした。これらは全て近鉄が他路線を買収しまくった結果です。
 しかし2000年には利用客の減少を理由に、近鉄は北勢線の廃線を提案します。沿線の自治体は地域の足を残すべく、第三セクター方式での運営継続を検討しましたが、その間に近鉄は正式に廃線を決定。そこで各自治体は、同路線と並行する三岐鉄道に運営を打診します。
 三岐鉄道は「リニューアルして引き継ぐ」ことを条件に補助を得て、めでたく再出発。今に至ります。


 それにしても、前面展望を観ただけでも「レールの狭さ」が物凄く分かりますね。リアルで踏切を通ったらなおそう思うことでしょう。速度もそこまでは出してはいないと分かりますが、直線区間でスピードを上げている時は車体が左右に横揺れしてますし、実際の乗り心地はどんなもんでしょ? という感はあります。急カーブで制限25kmなんてのも始めて見ました。
 でも、何か可愛いですねぇ。健気で。普段はクルマを使ってても、たまの外出時には乗りたくなるような、そういう愛されかげんを持ってますね。

 関西はともかく中部地区に遠征する機会も無いので、いつ乗りに行けるかは分かりませんが、何か余裕出来たらちょっと乗ってみたいですな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?