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【短編】隠し事

「ただいまー!」
「おかえりなさい。あら、マモルちゃん。頭に草がついてるわよ」

 ある日、玄関先で迎えた息子の頭に小さな草がちょこんと乗っかっていた。

 私は息子の頭に手を伸ばし草を引っ張る。するとなぜか草はプチンという手ごたえを私の手に残して息子の頭から離れた。

 その感覚に私はなんだか酷く嫌な感じを覚えた。

 そして今までにも同じようなことが何度もあったことを思い出した。生き生きとした表情で帰ってきた息子の頭に草の芽のような物がくっついていて、それを取り除くたびにこの『プチン』という嫌な感覚を覚えたことを。

 しかし息子の頭に付いていた草をとっただけで何が起こるというのだろう。それに今まで何度も取り除いてきたけれど、何も起こってはいないじゃない。

 私は何度か小さく頭を降って妙な気持ちを振り落とすと、息子の後をついてリビングへと移動した。


「おやつ、食べるでしょ?」

 テレビの前に座った息子の背中にそう声をかけ台所へと向かった私は、蓋つきの大きなゴミ箱の蓋を開け、そして手に持っていた草をゴミの中へと放り込んだ。
 ゴミ箱の中から生ごみの不快なニオイがむわっと上がってくる。私はまとわりついてくる臭いを振り払うかのように急いでゴミ箱のふたを閉めると水道の蛇口をひねり、なまぬるい水で手を洗いながらリビングにいる息子に声をかけた。

「今日は誰とどこ行ってきたの?佐藤君?山田君?二人とも彼女ができて忙しいって言ってたから他の人かしら?」

 ゲームに夢中だからか水道の音で私の声が聞こえないのか。息子は私の質問には答えない。私は小さくため息をつきながらきゅっと蛇口を閉め、さっと手を拭くと、ジュースとさっき焼きあがったばかりの手作りチーズケーキを切り分けたお皿を手に息子のもとへと急いだ。

「はい。チーズケーキ。マモルちゃんスキでしょ?」

「……うん」
 ゲーム画面が一段落したタイミングで私がケーキの乗ったお皿を差し出すと、息子は私の顔も見ずにそのお皿を受け取った。

 最近、いつもこんな感じ。
 ちょっと前までは「うわー。嬉しいな」とか「美味しそう!」だとか言いながら満面の笑みを浮かべて私の顔を見てくれていたのに。

 とはいえ、もう息子も高校生。母親にそんなことを言うのが恥ずかしい年ごろになってきたのかもしれない。ついに「うるせえくそババア!」なんて暴言を吐く日がそこまで来ているのだろうか。反抗期があった方がいいとは聞くけれど、私に耐えられるかとても不安だ。でも、不安だろうが何だろうが、来てしまう時は来るのだ。だから覚悟を決めて、そろそろ子離れの準備をはじめなくてはいけないのだろう。

 私はこれ以上息子に声をかけるのはやめることにして、わざわざ「晩ご飯の準備をしなくっちゃ」と小さく声に出して台所へと向かった。

 とはいえ、まだご飯を作り始めるには早い時間だった。どうしたものかと思っていると、ふと、お醤油が切れていたことを思い出した。

 息子が小さい時からお気に入りのお醤油。あのお醤油じゃないとあまり食が進まないからと、我が家にいつも予備がストックしてあるのに、そのお醤油が昨日の晩から切れていた。朝買い物に行く前はちゃんとお醤油を買おうと思っていたのに、今の今まで買い忘れていたことに気がついていなかった。
 でも丁度いい。買い物から帰ってくる頃には、ご飯の支度をするのにいい感じの時間になっているだろう。

「マモルちゃん、ちょっとお醤油買ってくるわね」

 ケーキを食べ終わり、またゲームをはじめた息子の背中にそう声をかけると私は家を出た。


ーー
 夕飯時。好物ばかりが並んだ食卓についた息子の機嫌は良かった。でも今日、学校から帰ってきた時もかなりテンションが高かったように見えたけど、急に機嫌が悪くなったんだっけ。
 やっぱり反抗期に突入してきたって言う事なのかしら。機嫌を取るわけではないけれど、これからは今まで以上に息子の様子をしっかりと確認して余計なことを言わないようにしないと。私はとんかつをサクりと嚙み切りながらそう自分自身に言い聞かせる。

 その時、大好物のポテトサラダを頬張りながら息子が口を開いた。

「そう言えばね、今日学校で講演会があったんだけどさ」


”思春期男子はお腹を満たして身体を動かさせておけばご機嫌なものだ”

 なんてことを言っていたのは誰だっただろう。信じてはいなかったけど、結局そんなものなのだろうか。思春期の子どもというものは難しいとばっかり考えていたけど、案外単純なのかもしれない。
 買い物に行く前に感じていた重苦しい気持ちはどこへやら。息子の楽しそうな声を聞く私の心は晴れ晴れとしていった。


 しかし、ふとその時。息子の頭に青々とした草がまた乗っかっているのが見えた。

 あれ?まだついてる?

 帰ってきた時は一本だけしかついていなかったと思ったんだけど。おかしい。でも何本も頭に草がついているだなんて、今日あの子は外で草にまみれて遊んできたのかしら。

 息子の話している、講演会から派生した将来の夢について語っているはずの内容よりも、私はあの草が気になって仕方がない。どこでつけてきたのだろうかと。何をしてきたのだろうかと。

 でもまだご飯の途中なので席を立つわけにはいかない。急く気持ちを何とか抑えながら私はご飯を食べ続けた。中身の入ってこない息子の話に相槌をうちつつ、急ぎながらゆっくりと。息子の頭の上にある草を見ないようにしながら。何にも気がついていないふりをして。


 やっとのことで夕飯を食べ終わった私は、視線を息子の頭へと向けないように注意しながらゆっくりと席を立った。

 別に息子の頭の上に乗っかっている草に私が気がついていると気がつかれたとしても何も具合の悪いことなどひとつもないのに、どうして私はこんなに気を使っているのだろう。
 じっと息子の頭を見つめて、その視線に気がついた息子に「頭に草、くっついてるよ」と一声かけて自分で取ってもらったって全然かまわないのに。なんでだろう。どうしてだろう。


 まあいい。食器を下げる時に、今気がついた風を装ってあの草を取り除けばいいだけなのだから。

 私は息子の後ろを通る時に「あらっ」とさも今まで気がついていなかったようなふりをして、息子の頭に手を伸ばした。

「マモルちゃん、頭に草が乗っかってるわよ。今日草の生えてるところにでも行った?」
「え?なにが?」

 息子の頭に乗っかっている草を引っ張ると『ぶちっ』と、またしても手ごたえを感じた。

 しかも今回はかなりの手ごたえ。これはしっかりと生えている草を抜く時に途中で茎が切れてしまった時に感じるアレだ。でもただくっついていただけの草なのに、どうしてこんな感触があるのだろう。

 息子の頭から取り除いた草をまじまじと見ると、その草は今日帰宅したときに取った草よりも少し大きく生き生きとしていた。どうしてさっき大きいほうのコレに気がつかなかったのだろう。それに、チーズケーキを持って行ったときはこの草の存在に気がつかなかった。これだけ大きいのだから、あの時頭の上にこれが乗っかっていたらいくらなんでも気がついたはず……。

 もしかすると、私が買い物に出ているあの短い時間で息子も外に出ていた?そして、草が頭に乗っかってしまうような状況に……?


 どこかに何かを隠していてそれを確認しに行った?とか?

 手の中で草がしおれて行くのとは反対に、私の心の中のざわつきは大きくなっていった。私に何を隠しているのだろう。

 その時どうしたことか、イライラや怒りではなく『息子の頭に紛れ込んだ草を全て取り除かなければ』という気持ちがふつふつと湧き上がってきた。そして湧き上がるその気持ちを抑え切れない私は、息子の頭をまじまじと観察する。


 あった。

 さっき取り除いた大きな草とは比べ物にならないくらい小さな薄緑色のものが数本、髪の毛の隙間から見え隠れしている。息子に気持ちを悟られないように注意しながら「あら、まだついてるわ」とさりげなく言うと、私はその小さな草たちも息子の頭から取り除いた。

 息子の頭の草が無くなったのを確認すると、さっきまでのザワザワする気持ちがスッと私の中から跡形もなく消え去った。

 これでいい。私はスッキリした気分で食器を流しに下げる。そして息子の話をちゃんと聞くためにお茶を淹れていそいそと食卓へ戻った。

 気になっていた草も息子の頭から取ったし、息子の話を集中して聞こう。それに機嫌のいい今なら頭に草がつくような何かについて話を聞けるかもしれないし。そんなことを思いながら、椅子に座った私は微笑みを浮かべながら息子へときちんと向き合って座った。

 しかし、あれだけ饒舌だった息子はさっきまでとは打って変わってだんまりと下を向きながらご飯をモソモソと口に運んでいる。心なしか、背中も丸まって暗い空気を纏わりつかせているような。

 なんだろう。頭に草がついていたと私に知られたことがそんなに嫌なことだったのだろうか。

 やっぱり思春期はそんなに単純なものじゃないわよね。

 そんなことを考えている私に目もむけず、息子はテーブルに向かって小さく「ごちそうさま」と呟くと自分の部屋へと引き上げていった。

 そんな息子の背中が扉の向こうに消えた後、息子に対して無性に腹が立ってきた。頭に血が上り末端から血の気が引いていく。あの子は私に喧嘩を売っているのだろうか。いくら思春期だとは言え、なんでも不機嫌で押し通せると思ったら大間違いだ。

 息子が何も話さないのなら、勝手にその秘密を探ればいい。
 私は息子がお風呂に入っている間に、彼の部屋を探索することに決めた。


ーーー
 勝手知ったる息子の部屋のドアをゆっくりと開ける。

 私はいつも息子が学校に行っている間にこっそりと息子の部屋を散策していた。もう高校生とはいえ、まだ高校生。保護者として、間違った道へと進もうとしているのならそれは止めなくてはならないことだし、止めるためには手遅れになる前に何とかしなくてはいけない。悪い芽は小さなうちに摘み取らないとトンデモナイことになってしまう。そうならないように、私は親として当然のことをしているだけ。
 もしこのことを息子が知った時、息子が私に対して怒りをぶつけたとしたら、それは彼が親にも言えないようなことをコソコソとしているしているということ。見つかって困るようなことはしてはいけない。と息子と真剣に話をしなくてはならない機会だということだ。

 私は何一つとして悪いことはしていない。私の子どもに対して私は責任を負う必要があるのだから。

 部屋をぐるりと一周見回した後、今朝部屋を探った時には何も変わったものは見つからなかったことを思い出した。
 いくら長風呂とはいえ、彼がお風呂に入っている間に全てをチェックしなおすことは不可能だ。私は息子が学校に持って行っているものの中に何かあるかもしれないとふと思いついた。

 息子のリュックを開けて片っ端からノートをチェックし始めたが特に変わったものは見つからない。提出することもあるからノートには書かないかもしれない。そう考えて私は教科書もパラパラとめくる。顔写真に書かれた落書きやページの隅に書かれたひとこと。どんな小さなものでも全てチェックする。しかし、私が思っているような収穫はなにひとつとして得られなかった。

 何もない?いや、あの態度を見た限り絶対に何かを隠しているに違いない。頭の上についていた草。アレだって息子が何かを隠しているという証拠に違いない。私はあの草を見つけたときに感じた不穏な気持ちを思い出した。たぶんあれは母親の感というやつだ。

 あと探していない所は……。
 カバンに荷物を戻しながら私はひらめいた。


 そうだ。スマホだ。


 いつも肌身離さず持ち歩いているスマホ。あの中に息子が隠している何かについてのヒントがあるに違いない。
 私は急いで部屋を出ると、足音を立てないようにすばやく脱衣所へと急いだ。

 シャワーの音が聞こえる中、私はお風呂のガラス戸に映り込まないようにこっそりと息子の洋服を漁り始める。脱いだ上着、ズボンのポケット。無い。無い。息子のスマホは見つからない。ならあそこか。私は畳まれたパジャマの間にスッと手を滑り込ませた。布の柔らかい手触りの中に薄くて硬いモノが手に触れる。

 あった。

 そっと引き抜いた息子のスマホを両手で持ち、私は急いで教えられていたパスワードを打ち込んだ。

 スマホを買う時に決めたルールの中に”パスワードは親に知らせておくこと”を入れておいてよかった。
 しかしそう思ったのもつかの間。なぜか画面には”パスワードが違います”という文字が表示されていた。

 焦りすぎて打ち間違えちゃったかしら。

 私はもう一度ゆっくりとパスワードを打ち込んでいく。
 でも結果はやっぱり”パスワードエラー”。

 なんで?
 どうして?
 約束を守ってないっていうこと?
 いや。私のマモルちゃんがそんなことをするわけがない。
 落ち着け。

 と、イライラしながらもう一度パスワードを打ち込もうとしている私の上にスッと影が落ちた。

「母さん。何してるの?」

 顔を上げると息子が今まで見たことも無いような鬼の形相で私を見下ろしていた。

「あ……。いや……。スマホ、落ちてたわよ……?」

 私が差し出したスマホを乱暴に奪い取ると、息子は私を思いっきり突き飛ばした。

「いい加減にしてくれよ。そんなに僕を思い通りに操りたいわけ?僕のやることなすこと全て監視。そのくせ、僕がやりたいと思ったこと全部否定するよね?どうして僕の希望の芽を摘み取るの?芽生えた気持ちを全部踏みにじるの?もういい加減にしてくれよ」

 そこまで一気に吐き捨てるように言うと、息子はパジャマを手に取り脱衣所を出て行ってしまった。

 その背中を見送りながら、私は息子の頭に真っ赤な草が乗っかっていることに気がついた。

 いや、乗っかっていたのではない。

 生えていたのだ。

 なぜなら禍々しい赤い色の草は、私が見ている間にもどんどんと大きくなっていったのだから。

<終>


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