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温泉の守人

 もうもうと立ち昇る湯煙で視界が最悪な中、今日も僕は腰にタオル一枚巻いた状態で、ばちゃばちゃと音を立てながら目の前に次々と現れる敵をひたすらなぎ倒し続けた。
 今日のノルマまであと何匹だ。剣を振り回す手を止めずに、僕はすぐ後ろについてきている店主に大きな声で問いかけた。

「店主!まだですか!」

「あれが最後です!」
 僕の声に負けないくらい大きな声で店主が答えたのを聞くと、僕は持っていた剣を大きく振りかぶる。そしてしっかりと狙いを付けると、湯煙に浮かびあがる影目掛けて勢いよく振り下ろした。しっかりとした手ごたえが剣を通じて僕の両手に伝わってくる。これで終わりだ。

「お疲れさまでした!」
 背後から聞こえる店主のねぎらいの声を聞きながら、僕はバシャバシャと周りのお湯で剣をすすぐ。青や緑、鮮やかな色がお湯の表面を広がっていき、最後には湯と交じり合い、この世のものとは思えない幻想的な色の湯と同化していった。
 何度見ても綺麗なものだな。
 特注の鞘へ刀身を収めると、美しいお湯に僕はゆっくりと身を沈めていく。

 いいお湯だ。

 肩まで湯につかりながら、ほうっと僕は息を吐きだした。

 ああ。今日も本当にいいお湯だ。

「今日の湯も最高の仕上がりですね!お疲れ様でした!」
 気がつけばいつのまにか僕の隣で同じように肩まで湯につかった店主が、身にまとった服をふわふわとお湯になびかせながら、ご機嫌な様子で話しかけてきた。
 僕は両手ですくったお湯で顔を撫でる。トロトロと極上のとろみのある湯を肌で感じつつ小さく息を吐きだした。そして何気ないような風を装いながら、僕は店主の顔から目をそらしてこう呟いた。

「店主……僕はそろそろここを発とうと思うのだけど……」


ーー
 この温泉宿に僕がたどり着いたのは5年ほど前の事だっただろうか。森の中で迷いに迷い、このまま野生に帰るのか……。とやや途方に暮れていたときに偶然見つけたこの温泉宿。

 極上の温泉を管理している店主は、どこからどう見てもまだ成人していないようにしか見えなくて。夕飯時に『湯の管理が大変だ』という話を聞き、街に戻っても特にすることも無かった僕はその手伝いを買って出た。

 ちなみにこの店主、見た目は物凄く幼いが、実年齢は40を超えているそうだ。手伝うと決める前に本当の歳を知っていたら僕はこの宿を手伝っただろうか……。
 まあ、今はそんなことはどうでもいいか。

 店主の手伝いをすることになった僕の仕事は『湯の元』の管理だった。

 この温泉のお湯には毎日『湯の元』を混ぜ込む必要がある。そしてその湯の元は、どこからか毎日温泉にやってくる『物の怪』そのものだ。
 もちろん、物の怪を温泉に浸しておくだけでいいというわけでもないし、むしろヤツらは温泉に入りに来た人間を逆に『湯の元』として活用してしまうという。いわば、お互いに『湯の元』として活用したい間柄。

 やるかやられるか

 まさかこんな秘境の温泉宿でそんな闘いが繰り広げられているなんて、そして秘湯の原料が物の怪だったものだったなんて、極上のお湯を求めてここにたどり着く者たちは知る由もないだろう。

 客が来ないのなら物の怪を放置することも出来る。しかし、来場者がひっきりなしに来るようになった今現在、何とかしないわけにもいかない。
 世界を救う勇者に憧れたことなど一度もない僕が、それでもこの温泉宿を救いたいと思ったのはどういう風の吹き回しだったのか。気の迷いだったのか、それとも……。

 と、まあ、そんなこんなでこの温泉宿の温泉管理の手伝いをすることになった僕だけど、最近、ちょっと色々と思うことがあって。そろそろこの場所を離れるべきなんじゃないかと考えていた。


「そうですねえ。そろそろそんなことをおっしゃるんじゃないかと薄々は感じてました」
 驚きもせずにのんびりとした口調でそう答えた店主に僕は拍子抜けした。なんだ。バレていたのか。僕はお湯を両手ですくうともう一度顔を撫でた。

「でも、あの。今日聞いて、今日……というのは少し寂しいですし、お客さんの整理もありますので、あと……そうですね、10日ほどお手伝いして行ってはもらえませんか?」
 いつものように、少し困ったような笑顔を浮かべながら店主は僕にそう言った。
「わかりました。では、10日後に発つことにしますね」
 そう答えた僕はほっとしたような寂しいような、そんな顔をしていたに違いない。


ーー
 それから何事も無く毎日が過ぎた。

 そして最後の手伝いの日。
 もうもうと立ち昇る湯煙で視界が最悪な中、いつもどおり僕は腰にタオル一枚巻いた状態でばちゃばちゃと音を立てながら目の前に次々と現れる敵をひたすらなぎ倒し続ける。この作業も今日で終わり。早く終わって解放されたいという気持ちと、まだもう少しここで店主の手伝いをしていたいという気持ちでぐちゃぐちゃになりながら、僕は剣を振り回す手を止めずにすぐ後ろについてきている店主に大きな声で問いかけた。

「店主!まだですか!」

「あれが最後です!」
 そう叫んだ店主の声がいつもよいも小さいような気がした。あれ?店主は僕の真後ろにいたはずでは。僕が後ろを振り返ろうとした瞬間、僕に向かって黒い影が襲い掛かってきた。僕がここでやられるわけにはいかない。店主に危険が及んでしまう。
 僕は持っていた剣を思いっきり横に振りぬいた。

 かなりの至近距離で切りつけたため、返り血をこれでもかと浴びてしまった。後で湯で洗い流すとはいえ、ここまで血にまみれてしまったのは初めてだ。口に入った血を無意識に唾と一緒に吐き出した後で、ここが温泉だった事を思い出す。
 しまった……。店主にバレていないといいのだけど……。襲いかかってきた影がゆっくりと湯に沈んでいく姿を視界の端で捉えつつ、僕はさりげなくお湯を撹拌する。そして店主に終わったことを報告するべく店主の姿を探した。

「店主。終わりましたよ」
 しかし、当たりを見回しても店主の姿は見当たらない。それどころか店主の気配すら感じられない。おかしいな。
「あれ?店主?」
 その時、水に沈んだはずの影が立ち上がろうとしている姿が見えた。

「浅かったか」
 僕は剣を構えなおすとゆっくりとその影に近付く。そしてその影の正体を確認した瞬間、思わず息をのんだ。

「て……てんしゅ……」

 そのままの姿勢で動けない僕に、青や緑、黄色にピンクと色鮮やかに描かれた円の中心で店主は僕を見上げながら苦しそうにこう言った。

「自分は……ちょっと縁あってこちら側に立ってはいましたが、こちらのものではありません。ってもうお気付きですよね。だからこそ、アナタはここを去ろうと決めたんですから」

 正体がバレたことに気がついていたのか。ならどうして店主は僕を始末せず、店主自身を始末させたのだろう。僕は思わずゴクリと唾を飲み込んだ。そんな僕をみて、店主は今まで見たこともないようななんとも言えない顔で僕にニッコリと微笑みかけ、そしてこう続けた。

「本当にありがとうございます」

 その言葉が終わると同時に店主は湯に倒れ込んだ。店主だったものはグズグズと崩壊していき、どんどんとお湯と混ざり合っていく。

 どうして。

 僕は確かに店主から逃れるためにここから出ていこうと決めた。人外の店主が何を目的としてこの温泉を管理しているのかはわからないけど、僕はここから逃げ出さなくては。店主が人間では無いと気がついたその時、心の底で僕の本能がそう叫んだ。

 しかし、僕は店主を殺したいなんてこれっぽっちも考えたことは無い。だから僕が出て行った後も店主はこの場所で新しい手伝いを見つけ、今までのように平穏に生活を続ければよかったのだ。
 もしかして、店主は他所へ行った僕が討伐しようと援軍を連れて来るとでも思ったのか?だとすれば、それは大きな間違いだ。例え違う種族であったとしても共存は出来るはずだと僕は本気で考えている。それに、そういった平和的な考えを僕が持っていると言うことは店主も知っていたはず。

 まさか店主は僕と離れたくなかった……とか?僕を引き留めておくことができないから、せめて僕の記憶に永遠に自分の存在を刻みつけようと?

 まさかまさか。

 その時、呆然と立ち尽くしながら視界にキラキラと煌めきを放つお湯を眺めていた僕はなぜか突然、急激な喉の渇きに襲われた。

 なんだこれは。今までに感じたことのない渇望。喉が。喉が渇いた。

 あのお湯が飲みたい。

 僕は吸い寄せられるように店主の溶け込んだお湯へ手を伸ばした。そしてひとすくいすると口元へと運ぶ。ゴクリ。まだ口の中に残っていた血液と混ざりあったお湯は喉を通り、僕の中へと入り込んでいく。

 ああ……

 止まらない……

 そこから僕は半狂乱になりながら、美しいお湯を両手ですくいあげそれを飲み込み続けた。
 店主を少したりとも逃すまいとかき集めようとすればするほど、美しいお湯は僕をあざ笑うかのように広がり続け、どんどん僕から離れて行く。それらを必死になりながら何度も何度もすくいあげ、僕は何度も何度も飲み込んだ。


ーー
 店主をあらかた僕の中へ取り込み終わると、何とも言えない満足感と共に僕はゆっくりと湯船に浸かり体の力を抜いた。そして、すくい上げたお湯で腕を撫でる。とろみのついた水越しに感じるたくましい腕に思わず笑みがこぼれる。

 今回は極上だ。

<終>

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