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ゼノブレイドで再構築

今までたくさんのゲームを楽しんできたし思い出に残るゲームだってたくさんあるけれど、多分これからも一番心に残り続けるゲームは「ゼノブレイド」だとおもう。

まだ小さかった子が寝た後、21時~25時くらいまでの自由時間をゲームの時間にしていた時期にずーっとやっていたゼノブレイド。見えている場所にはどこでも行けるし、崖からだって飛び降りられる(ただし生きてはいない)死んでもすぐにその場からやり直せるのでストレスフリー。ゼルダの伝説(ブレワイ)がまだ出ていなかった時期なので、ものすごく新しい世界だった。

Wii版ではプレイ時間が99時間59分までしかカウントされないので、総プレイ時間が何時間なのかはわからないけど、他のゲームより遊んでいた時間はかなり長いと思う。

そんなゼノブレイド漬けな生活をしていた時期からかなりの時間が経ったある日。

子供が不登校になった。


不登校というよりは登校拒否という言葉の方がしっくりくるけど、今は不登校と呼ぶのが一般的なので、不登校ということにしておこう。

まさか自分の子供が不登校になるだなんて考えて無かったワタシは、自分が学校嫌いだったにもかかわらず、そんな学校へ行かない子供を受け入れられなかった。なので、今考えると絶対にやってはいけない「引きずって学校へ連れて行く」「しかりつける」「そんな甘ったれたことを言っていてはろくな大人になれない」「みんながやっていることをどうしてできないんだ」「学校へ行けたらご褒美」なんて事を一通りやらかした。

もう何が何だかわからない。毎日毎日学校とのやり取りをしながら、何を考えているかわからない子供の気持ちを探る日々。一番つらい立場の子供の情緒は安定することはなく、子供が起きている間はいつ崩れるかとこちらもずっと気を張り続ける時間が流れた。ワタシも夜は寝つきが悪くなり、夜中は何度も目が覚める。にもかかわらず、体はいつもどおりに動くのでとても不思議な感じがしていたあの頃。

そんな生活をしているうちに、自転車をこいでいるだけ、食器を洗っているだけ、テレビを見ているだけ、布団に横になっているだけで、悲しいなんて気持ちになってもいないのに勝手に目から涙が出てくるようになった。子供が笑っている時間だけが救われた気分になれる。そんなつかの間の幸せも、子供の気分の波で一瞬にして崩れ去る。でも子供の前では涙は見せられない。

他の部屋に移動しながら早くこの人生が終わらないものかとぼんやりと考えた。悲しくないのに流れてくる涙と一緒に。ふとした瞬間に。いつも頭の片隅で。

あの頃はゲームを起動する気力なんて全くおきなかった。ゲームが好きな子供もゲーム機をあまり手にしていなかったような気がする。


そんな時期をしばらく過ごした後、このままではいけないと「学校は行かなくてもいい」という方向に軌道修正をかけることにした。

心身を整える。元気だったらそれでいい。

子供が産まれた時に思ったことを思い出した。今まですっかり忘れていた気持ち。まだ赤ちゃんだった子供には「元気でいて欲しい」以外を求めることは無かったのに、大きく成長した(といってもまだまだ小さいんだけど)子供には「あれもして欲しい」「これも出来て欲しい」ばかりを求めていたんだなぁと思い知らされた。

這えば立て立てば歩めの親心

本当にその通り。

でも「ここに居てくれること」が1番大切だったことにやっと気がついた。


すぐに考えが入れ替わったわけでは無いので、行きつ戻りつしながら少しずつ少しずつ色々なことを変えていった。そんな中で、子供との関係も少しずつ少しずつ修復されてきて少しだけ気持ちが軽くなったからか、ある日ふと久しぶりにゲームを起動しようという気持ちになった。

リビングでゲームをする気力はまだ無かったので、別室で小さなテレビにWiiをつないで1人、ゼノブレイドを起動した。

懐かしい。

前回遊んでいたときは幸せだったなぁと画面が滲んで見えなくなる。

ゲームスタート。昔と今を行ったり来たり。反省点ばかりが頭に浮かぶ。済んだことよりもこれからのこと。今できること。わかってはいるけど。デモデモダッテダッテ…。

とりあえず、せっかくつけたのだから楽しもう。

シュルクとラインを見ながら「友情っていいなぁ」なんてことを考えたりしながらストーリーを進めていく。クリアしたことがあるはずなのに、ぐいぐいと引き込まれていく。何がというわけではないけど、何となく心が軽くなってくる。ゲームってやっぱりいいなぁ。

そういえば、今回を除いて今までの人生でゲームを起動する気にならなかったのは就職活動の時くらいだった。ゲームを起動する気がおきないのは、ワタシにとってかなりどん底に居る時なんだと再認識。元気を計るバロメーターだったんだな。


と、それは置いといて。

あの日、久しぶりに起動したゼノブレイドの続きをもっと遊びたくなった。

楽しみができたのも久しぶりな気がする。子供もそこまで崩れることが無くなってきたし、夕飯の片付けをした後を自由時間にすることにして「ゼノブレイドタイム」として使うことにした。ご飯の片付けが終わったら別室でゼノブレイドを起動する。癒しの時間。

はじめは「何してるん?」と通り過ぎていくだけだった子供だったけど、2~3日したあたりからクッションを持ってきて、隣に座ってゼノブレイドをのぞき込むようになった。1週間ほどしてから

「ちょっとやってみる?戦闘がちょっと変わってるけど」

そんなことを言いながらコントローラーを手渡すと「いいよいいよ」なんてことは一言も言わずにゼノブレイドに没頭しはじめた。ちょうどリキが出てくるあたりだったので、「ノポン可愛いなぁ…」と言いながらコントローラーを離そうとしない子供をみて、ゼノブレイドを明け渡すことに決めた。

その後、自分のセーブデータを作った子供は暇さえあればずっとゼノブレイドをプレイしていた。プレイ時間が長くなればなるほど、子供の表情もどんどん明るくなってきた。

同じストーリーを追っているけど、気持ちが引っかかる所や感じていることは全然違うんだろうな。何を感じているのかはわからないけど、子供がゼノブレイドから元気をもらえていることは確かだった。


子供に気力を与えてくれたゼノブレイドで、ワタシはあることに気付いた。

ゼノブレイドでは「キズナグラム」と言って、名前付きの住人の関係性が見えるようになっていて、クエストをクリアするとその関係性がどんどんと変わっていくシステムがある。なので色々な街の同じ人と何回か会話する必要があるんだけど、時間帯によって町の人がいる場所が変わるし、たくさんの人がいる。

ワタシはどこに誰がいるのか全然覚えられなくて何度も何度も時間と場所が書いてあるキズナグラムのページを開くけど、子供は誰がどこに立っているのかをすぐに覚える。

WISCでは「ワーキングメモリが弱いです」という結果が数値でしっかりと出ていたし、日常生活を見ていてもその通りだな と思っていたけど、このキズナグラム埋めをこなす子供を見ていて???と思った。

現実世界の人の顔と名前はほぼ憶えない(クラスメイトなんかは1年経っても三分の一も名前を憶えなかった)子供だけど、ゲームのモブの名前と立ち位置は1度出会っただけなのにほぼ確実に覚えている。

ただ単に「短期記憶が弱い」というだけの話ではないような気がする。

そういった色々な面を見ていて思ったことは「この人は短期記憶が弱いのではなく、興味がない事に対して興味がなさすぎるんだろうな」という事だった。ワタシが当たり前だと思っていたことがそうではなかった。出てきた数値がすべてではなかった。そして、WISCの結果を見て納得していなかった本人の言い分が少しだけわかったような気がした。

リアル世界の人について関心が低すぎるのはちょっと改善してほしいとは思うけど、本人が必要だと感じたら一気に解決するんだろう。今はそんな気がする。


ノポン族を愛するあまり「もももっ」や「何を言っているんだも?」なんてことをよく言うようになった身長が同じくらいまで成長した子供を見て、たまに心配になることも無きにしも非ずだけど、まぁ楽しそうなのでヨシとしておこう。スリットエーッジ!と叫びながら攻撃してくる母に何を言われても子供には何も響かないだろうし。外でしなかったらいいよね。お互い外で出さないように気を付けよう(←


あれからWiiで3周、3DSで1週、Switchで3周くらい子供はゼノブレイドを遊んでいる。総プレイ時間は一体何時間なんだろうか。そんなことを考えていたら、今日また子供が「久しぶりにゼノブレがめちゃくちゃやりたい」と言いながらSwitchを起動していた。

何かをやりたいという気持ちがあるうちは大丈夫。それはワタシも身をもって感じたこと。


ゼノブレイドが無ければ、まだここまで回復していなかっただろう。それに、ゼノブレイドによって乗り越えられた気分の波も本当にたくさんあった。

ゼノブレイドは我が子の命の恩人だ。


ワタシにとってもダンバンさんとリキの会話でリキが言った

ダンバン 見ててやれも
シュルクのこと 見ててやれも
フィオルンのことも見ててやれも
親に出来ることはーーー
その程度だも

〜略〜
見ててくれる人がいる
それだけで 頑張れることあるんだも

はずっと忘れないでおきたい言葉。



ありがとう。ゼノブレイド。



ゼノブレイド3もお待ちしています(←


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