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【短編】しろいくすり
「あれ? まだ飲んでないの? 早く飲みなさい」
食後のお茶だけが残されたテーブルの上にある薬を見つけた母は、僕を責めるようにそう言った。
「あ。今。飲む。」
僕は慌てて半透明の小さなプラスチック容器に入れられた3粒の白い薬を口に放り込むと、コップに残されたお茶を一気に飲み干す。僕がしっかりと薬とお茶を飲み下すのを確認すると、母はほっと安堵したような目で僕を見た後台所へと姿を消した。
小さな頃から僕には完治することができない病気があるらしい。しかし母曰く、この白い薬はなんでも治す薬だからこの薬を飲み続けることで寛解状態を維持できるということだった。
なんでも治る薬なら、この薬を飲むことで寛解ではなく完治してもいいはずだと僕はずっと思っている。
でも昔「ねえ、お母さん。このお薬、なんでも治るんだったら、もう僕の病気は治ってるんじゃない?」と無邪気に問いかけたら、鬼の形相をした母親に壁にふっとばされるくらいの勢いで僕は思いっきりぶん殴られた。
子どものくせに親に向かって偉そうに、わかったようなことを言ってしまったからだと当時の僕は考えたけど、今思えば母は僕に返す答えを持っていなかったのではないか。そして、薬を否定されたことが母の全てを否定されたと感じたのではないか。だからこそ、僕をぶん殴ることでそれ以上のことは言うなと僕に示したのではないかと考えている。
そもそも、僕は何の病気だというのだろう。そのことについて母から一度たりとも説明されたことはない。疲れやすいということもないし、どこからどう見ても健康体のようにしか思えない。
だとすると、おかしいのは頭? でも、あの母親の子どもにしては僕は一般的な頭をしていると思うので、僕の頭を治そうと毎日薬を飲ませるくらいなら、母親が自分でこの薬を飲めばいいのにと思わずにいられない。
この薬を飲まなかったらどうなるんだろう。
そう考えたことが無いと言えばウソになる。しかし、今日のように薬を飲むのが遅れた時の母親の早く飲みなさいという圧を思うと、薬を飲まなかったことにより僕の身に何が起こってしまうのかという恐怖心。そして僕の想像力では思いつかないようなデメリットがあるような気がして、今現在を含め、飲まないということを実行することは出来なかった。
だって今の健康的な肉体や精神はこの薬を飲み続けていることによって寛解状態を維持しているかもしれないのだ。本当かどうかはわからないけど、母のいうことを信じるのならそれが本当だということになる。
もちろん、母の言う事が全て真実だと思うほど僕ももう子供ではない。しかし、自分の知らないことが全て”噓偽りである”と言い切るほどうぬぼれてもいない。
本気で真実を知りたければ、この薬を飲むことをやめればいいだけのこと。
でも僕にはまだその勇気が無い。
ーーー
ある日、朝起きてリビングの扉を開けた僕は違和感を覚えた。
いつもなら僕より先に起きている母の姿が見当たらないだけでなく、朝食の用意すらされていなかったのだ。母は自分が家を出るときは必ず、僕の食事を用意してから出かける。朝も。昼も。夜も。
ひょっとすると今日は急いでいて朝食の用意をする時間が無かったのかもしれない。そう考えた僕は台所へと足を踏み入れた。しかし、台所には火を使った形跡も朝食の準備をした気配も。それどころか母が何かを飲んだ形跡すらも残されていなかった。
これはおかしい。
一体母に何が起こったというのだろう。
僕は慌てて母の寝室へと向かった。
「お母さん」
そう声をかけた僕は扉をトントンと二回ノックした後、しばらく扉の前に立っていたけれど僕に対する返事もないし、中で人が動く気配も感じられない。
僕は意を決し、ゆっくりと息を吐いたあとドアノブをひねり扉を開けた。
扉の向こうには昔見た懐かしい母の部屋が広がっていた。というのも、僕はいつからか忘れたけれど、この部屋に入ることを禁止されていたからだ。部屋を除くことすらも許されてはいなかった。そして僕はその言いつけを守り続けた。なんなら家の一番奥まったところにあるこの部屋の前に立つことすらすることは無かった。そんな僕がなぜか今日はこの部屋を開けようと思った。
母の部屋の空気を胸に吸い込んだ瞬間、母親が朝いつもとは違う行動をしたことも、僕が扉を開けようと思ったことも、全てのことに何か意味があるような気がした。なんだろうこの感覚は。よくわからないまま、僕は扉から手を離さずに部屋の中を見回す。するとベッドの上に横たわっている母の姿を見つけた。
「お母さん」
僕は部屋には入らず、そのままの体勢で母に呼びかける。しかし母はピク僕はも動かない。それどころか胸の上下動すらしていないように見える。やっぱり様子がおかしい。
僕はドアノブから手を離すをゆっくりと母の部屋に足を踏み入れた。
「お母さん」
ベッドに近寄り、母の顔を覗き込むとそこにはどす黒い色をした気味の悪い丸いものがあった。それを見た瞬間、僕の肺に満たされた空気が一瞬にして「かつての母の部屋のにおい」から「べったりと張り付くような異臭」へと変わった。
「お母さん?」
僕はもう一度声をかけた。しかし当然の事ながら返事は帰ってこない。
よく見ると、どす黒いその物体は毎日母が身に着けている洋服を着ていたけど、その布は何とも形容しがたい色が染みていた。一日二日で出来るような染みには見えないし、そもそもこの、多分かつて人だったであろう異臭を放つ物体が人からこのような姿になるのにも数週間、いや数カ月。ひょっとすると数年はかかるに違いない。
母は死んでいた? いつから?
僕は昨日、母の作った夕飯を食べ、いつものように薬を飲み忘れかけていたことを注意された。確かに。昨日。
だとすればこれはどういう事なんだろう。
混乱したまま母の部屋を出た僕は、扉を閉めるとゆっくりとリビングへと向かう。
「そうだ。あの薬、なんでも治るって言ってたよな……」
僕は毎日飲んでいる白い薬のことを思い出した。
なんでも治るのなら、母親に飲ませれば今までのような母親に戻るに違いない。もし完全に治らなかったとしても、僕と同じように寛解状態にはなるはずだ。だって僕は完治しない病気だけれど、この薬を飲み続けていることで寛解状態を維持しているのだから。
僕は冷蔵庫の中にしまってあった白い薬を取り出した。そして、そこで今日の朝の分の薬を飲んでいないことに気がついた。
「母さんが治ったとしても、僕がおかしな状態であってはいけないよな。とりあえず、先に薬を飲んでおこう」
僕は食器棚からグラスを出すと、蛇口をひねり水をなみなみと注いだ。そして薬を4粒を口に含むとグラスの水で一気に流し込んだ。
「おはよう。ゴメンね。寝坊しちゃって」
使い終わったグラスを洗っていると、母がリビングの扉を開けて入ってきた。
「おはよ」
僕は洗ったグラスを水切り籠に逆さにして置くと、ひっかけてあるタオルでゆっくり手を拭いた。
<終>
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