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【短編】この家に

「私はさ、多分この家に来るとおもうんだよね」

 僕の部屋で夜眠りに落ちる前、彼女は暗い部屋のベッドで横になった僕の横で天井を見上げながら、ふと思い出したかのようにそう呟くことがあった。
 そして僕はその言葉を聞くたびに、同じように天井を見上げながら「ふうん」と返したものだった。


 僕がこの家に引っ越してきたのは小学校2年生の頃。両親と暮らしていたこの家から父と母の二人が出て行ったのは4年前。僕が二十歳になった年だった。

 一家離散なんてドラマティックな出来事があったわけでも、両親がこの家に住めなくなるほどの事件を起こしたわけでもなく(もしそんなことが起こっていたら僕だってこの家に住み続けてはいないだろう)、年老いた両親がもう少し便利な場所で小さく暮らしたいとこの家を出て行くことを決めた時、僕はこの家に一人で住み続けることにしたから。というだけのことなのだけれど。

 もちろんその話が出た時から何度も、僕も一緒に引っ越さないかと両親から提案された。でも僕は別にこの家に不満なんて感じていなかったし、この家がとても好きだったのでその提案を受け入れることはなかった。

 小さい頃からの思い出が詰まっているから。なんて理由ではなく、僕はこの家の空気が。好きなものに囲まれていると感じられるこの空間から離れたくなかったのだ。

 しかしそんな僕とは違い、両親はこの家の空気が。空間があまり好きでは無かったのだと彼らが出て行ってから気がついた。

 広いと言ったってこの家は4LDKのマンション。両親が越していったのは3LDKのマンションで、床面積はほぼ変わらない。
 それにこの家は最寄り駅まで徒歩15分と、駅近とまでは言えないけれど、それほど不便な場所にあるわけでもないし、年老いたとはいえ、現代の65歳はまだまだ現役世代。先を見据えてと言われれば『そうなのか』と納得できなくもないけれど、駅に行くまでに大型スーパーがあるので年老いていった先を考えてもこの場所は悪い場所ではないだろう。

 それに引っ越し作業が終わった後の両親の晴れ晴れとした顔。僕はあんなにスッキリとした顔をしている両親を見たのは初めてだったと思う。

 新居からの帰り道、僕自身が否定されていたのかとも一瞬頭をよぎったけれど、引っ越しの話が出たときに『僕も一緒に』と言ってくれたことを思い出し、その考えは頭の中から振り払った。となるとやっぱり、両親はこの家に何か思うことがあったのだと考えざるをえない。

 

 だれもいないこの家で一人。
 窓から差し込む赤い光が、ぼんやりとソファで横になっている僕を染めていくのを感じながら彼女のことを考えると、いつものようにあの日が再生される。

 このソファに横になった僕の頭の側で、床にちょこんと座った彼女がこう囁く。

「ねぇ。人間て死んだあと、どこに行くか知ってる?」

「急にどうしたの?」

 体を起こしソファから降り、彼女の横に座りなおしながら僕は彼女の顔をじっと見つめると、どこか一点を見つめているようで、どこにも視点があっていないような目をしながら、彼女はこう続けた。

「人ってね、死んだあと、自分が一番怖いと思っていた場所にとどめられちゃうんだって」

「なにそれ?初めて聞いたそんな話。でも急にどうしたの?」

 彼女の頭を撫でるとサラサラした手触りと呼応してふわりといい香りが僕たちの周りを包み込んだ。

「なんとなく。ね」

「ふうん」

 あのときの会話はそこまで。

 そしてその後、僕たちはこの家で一緒に住むようになり、同じベッドで眠るようになってから夜眠りに落ちる前、暗い部屋のベッドで横になった僕の横で天井を見上げながら、何度かふと思い出したかのようにこう呟いた。

「私はさ、多分この家に来るとおもうんだよね」



 赤く染まった部屋を夜が浸食し始めた。電気のついていない部屋で窮屈になっていく視界と解放されていく視覚以外の感覚。

 僕の大好きだったインコのピーちゃん。チワワのクロ。大親友のトモキ。この家にいると大好きな彼や彼女達がいつも傍にいるんだ。姿は見えないけれど、確かにこの家にいる。僕と一緒に。ずっと。ずっと。

 その時、彼女の髪の香りがふわりと僕の鼻をくすぐった。

 僕は体を起こすと、姿は見えないけれど部屋の入口辺りで佇んでいるであろう彼女に声をかける。

「怖がらなくても大丈夫。あの人は別にキミに危害を加えたいわけじゃないから」

 僕は暗くなってしまった部屋の中でゆっくりと目を閉じると、この家の中にいる大好きなみんなと一緒にいられる喜びをかみしめた。

〈終〉

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