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幸せな世界の中心で

「ねえ、この姿に変わること出来る?」

 雨がしとしとと降る薄汚れた路地裏。僕は破れたズボンの裾からしたたり落ちる水を感じながら、知らない人の家の軒下で小さくなっていた。そんな僕に影を落としたその声の主は、僕の目の前にクリアファイルに挟まれたボロボロの写真をスッと出した。

「どうだろう。やってみます」

 僕はクリアファイルを受け取ると、そこに固着された10才くらいの男の子の顔、体型をじっくりと目に焼き付ける。色の薄いふわふわの癖っ毛に、はっきりとした二重。右の頬には特徴的なエクボ。とても幸せそうな顔で笑うほんの少しだけ僕よりも幼い彼を見て、思わず『神さまは本当に不公平だ』と罵りたくなる気持ちを抑えながら、僕は彼の姿に意識を集中した。


 この世界には他のヒトの姿に自分の姿を変化させられる能力のある人間が一定数存在している。そう。この僕のように。
 しかし僕たちは、一般社会にちゃんと存在しているにもかかわらず、いないものとして扱われる。

 特殊過ぎる能力に畏怖の念を抱く気持ちは分からないことも無い。権力があればあるだけ『いつ自分に取って代わられるのか』という恐怖心は強くなるだろうし、権力がないとしても、本当にその人間なのかを判断できない僕たちのような人間を信じるのは難しいのだろう。
 だから僕たちは街の裏側でひっそりと身を隠しながら生活せざるを得ないのだ。そしてますます、その存在を無い物にされていく。

 そんな僕たちの生活の糧をもたらすのが今、僕の前に現れたヒトのような存在。

 彼らは僕たちに変化して欲しいヒトをリクエストし、その姿の僕たちとしばし触れ合った後、お金を置いてここを去る。
 現実世界では手に入らないような相手との時間を欲するヒトが多いので、まだ子どもである僕に仕事が回ってくることはあまりない。なぜなら大人は大人。子どもは子どもにしか姿を変えることが出来ないから。
 だから僕はこの時、少し、いや、かなり浮かれてしまっていた。普通だったら取引相手の持ち物を検査せずに仕事をはじめるだなんて、決してありえないことなのに。


「これでどうでしょう」

 僕が写真の男の子へと姿を変え、ファイルを返しながら顔を上げると、その人物は傘を放り投げ僕を抱きしめた。この子はこの人が亡くしてしまった子供だったのだろうか。
 そんなことを考え、肩越しに街灯の灯りでキラキラと輝く雨粒を見ていると、ふいにチクリとした痛みが僕の首筋にはしった。

 油断した。
 しかし、後悔した時にはもう遅い。

「さあ、カイル。お家に帰りましょう」

 彼女は立ち上がると傘を拾い、僕の手を取ると大通りへと歩き始めた。


 彼の名前はカイル。
 そしてカイルの記憶が入ったチップを埋め込まれた僕は、この瞬間からカイルとして生きていくことになった。

 記憶チップの開発がはじまったのはいつのことだろう。教育を受けていない僕には詳しいことはわからないけど、かなり昔から記憶を売り買いできるシステムが存在していることくらいは僕でも知っている。

 旅行にいけない時代が長く続いた頃、バーチャルな世界では満足できなくなった人間達が生み出した技術。それが記憶の売買。

 経験したことをお金に換えられる。夢のような装置。
 そして買った記憶は自分の記憶に追加することができる。疑似体験ではなく、本物の記憶。本物の経験として。
 一瞬にして経験を自分の手に出来る魔法のようなこの技術は瞬く間に世界中に広がったそうだ。

 もちろん新しいシステムというものが作った人間が意図しない用途として使われるのは今に始まった事では無い。そしてこのシステムも例外ではなかった。
 もちろん法的には許される行為ではないが、いつの時代でもアングラな世界というものは存在しているわけで。

 その界隈では『記憶の追加』は『記憶の書き換え』として活用されているらしい。
 今まで肉体に存在していた記憶を全て別の人間の記憶に書き換える。そうすることで、消滅したはずの人間をもう一度蘇らせることが出来るのだ。
 電脳世界で永遠の命を手に入れることが至高だと思われていた過去はもう古い。ヒトというものは最終的には肉体を欲するようになる。これはDNAのどこかに書き込まれている不変の法則なのだろう。

 だから、姿を変えることが出来る僕たちは普通のヒト以上に決して油断してはいけないのだ。
 油断すること。すなわち、それは自身の存在を誰かに乗っ取られてしまう事。姿形すらオリジナル要素がなくなった僕たちに他人の記憶が埋め込まれる。それは僕たちが存在した痕跡全てが消え去ってしまう事である。


ーー
 僕はカイル。

 アンという名の母親と町はずれの大きなお屋敷で生活している。
 お母さんは何か心労でもあるのか、急激に年を取ってしまったようだ。昨日まではもっと若々しかったと思うのだけど、今目の前にいるお母さんはおばあちゃんと言われても全く違和感が無いくらい髪は白く、シワは深く、めっきり老け込んでいる。
 もちろんそんなことはお母さんには言えない。
 でもなんとなく。とんでもない違和感を感じるのは確かだ。この違和感の正体はなんだろう。


 そんな違和感を感じてから5年ほどしたある日。

 お母さんがいつも『行ってはいけない』と耳にタコが出来るくらい言っていたはずの裏庭に僕を呼びつけた。

「なに?お母さん」
「ああ、カイル。ここの穴をちょっと調べたいんだけど手伝ってくれないかしら?」

 お母さんは裏庭にある穴を覗き込みながら僕を手招きする。

「穴?」
 
 僕は僕よりも小さくなったお母さんの横に並ぶと穴を覗き込んだ。

 とても深くて底が見えない穴を覗き込みながら、一体誰が何のためにこんな穴を掘ったのかを考えてみた。もちろん、そんなことはわかるはずもない。

「ねえ、おかあさ」

 僕がお母さんの意見を聞こうとそう口にしたところで背中にどんっという衝撃を感じ、そして僕は穴の中へと真っ逆さまに落ちて行く。

 地面に叩きつけられた僕はよろよろと立ち上がると穴の入口を見上げた。

「お母さん」
 出ない声を振り絞り、地上にいるお母さんに声をかけた僕に返ってきたのはお母さんの返事では無く、大量の土だった。

「一体何を!」

 僕が何か叫ぼうとするたびにドサリと音を立てて大量の土が落ちてきて僕の口を塞ぐ。このままだと危ない。僕は降ってくる土を避ける為に横に飛び退いた。

ずるっ

 勢いよく飛んだ僕は着地に失敗し、おもいっきりコケた。そしてそれを見越したかのように置いてあった尖った大きな岩に頭をしこたま打ちつけた。

 なんでこんなことに。

 遠のいていく意識の中、暗闇の中に僕は見た。
 
 たくさんの横たわる僕と同じ髪、同じ服をきた人型。いや、ヒトであったもの。

 カイル

 なぜかわからないけど僕はそう確信した。

 どうして僕は殺されてしまうのだろう。
 どうして僕たちは殺されてしまうのだろう。

 お母さん。

 お母さん?
 アンは僕のお母さん?

 僕の記憶の中にあるお母さんはあんなに老婆みたいな姿をしていない。

 ではあのお母さんは一体。

 ……


ーー
「ねえ、この姿に変わること出来る?」

 私は愛しいカイルと同じくらいの年頃の子どもを見つけると、ファイルに挟んだ写真を見せた。

「はい!やってみます!」
 彼はファイルを受け取るとカイルの姿へと形を変え、元気よく私にこう言った。

「これでどうでしょう?」

 右の頬にエクボをつくりながら私に笑いかける私のカイル。感極まった私は思わず目の前にいるカイルを抱きしめた。
 カイル!私のカイル!
 でもまだこのカイルは偽物だ。

 おもむろに私は右手に隠した記憶チップ入りの注射器をカイルの首筋に突き立てた。これでカイルは本物になるのだ。ああ。カイル。

「さあ、カイル。お家に帰りましょう」

 私は立ち上がると愛しい愛しいカイルと手を繋ぎ、我が家へと向かい歩き始める。


 カイル。
 私のカイル。

 大人になんてならないで。
 私の可愛いカイル。

<終>

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