ホラーと僕

「大人になれば怖くなくなるよ」
そんな風に何回言われたか分からない。
僕は子供の頃、とても怖がりだった。
夏でも掛け布団に足の先までくるまっていた。
暗い廊下を通って祖母の家のトイレに行くのはとても勇気が必要だった。
『ほん怖』は今まで一度も見たことがない。
何となく怖いものは暑い時にある気がして、今でも夏は好きじゃない。

最近『ホラーの哲学』という本を読んだ。
劇団員に「ホラーがやりたい」と言われたからだ。
高校の友人とPodcastで『呪詛』について話した。
ホラー映画を見たのは何年振りか分からなかった。
僕はホラーが苦手だと自覚している。
あえて避けて通って来た。
そんな僕にもホラーと密接に関わった時期がある。





中学2年生の夏頃、怪談話がクラスで流行っていた。
それぞれがとっておきの怪談話を持ち寄り、昼休みに順繰り披露していく。
僕は当然乗り気でなかったが、当時仲良くしていたメンバー全員がそれに参加していた為、輪に入っていた。

それとは別に僕は物語る事は好きだった。
幼稚園の頃から先生に混じってみんなの前で読み聞かせの発表をさせて貰っていたほどだ。

怪談話という気乗りしないテーマではあったが、かなり熱を入れて話したのを覚えている。
そんな僕の語りはみんなからの評判が良く、そのちっちゃな百物語は段々と僕の語りを聴く会になっていった。
当然、そういったものを避けてきた僕は手持ちの話をすぐに使い果たしてしまった。

それから僕は毎晩のように怪談話をネットで調べるようになった。
深夜、自分の部屋で。1人で。
僕にとってその時間がまさに怪談だった。





それから10年近く経って、また僕はホラーについて考えている。
他人の要請に応えて、異質の世界に足を踏み入れる。
この不可抗力は僕にとってのホラーの源泉だ。
背筋が寒くなり、脚から力が抜けるのが分かる。
それでも、この泉からナニカを掬い取ろう。
背後に迫る不可避の眼差しに魅入られてしまったのだから。

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