泡沫の夏休み

ビールは好きじゃない。ツンとくる苦味と消毒液の後味。泡を口に含むと広がる香りも、僕の口には合わない。何よりビールを大人の証とする考え方が、必要以上に嫌悪感を加速させる。

「おこちゃまだね」

彼もその一派で、居酒屋に入るたび甘い酒を頼む僕にその言葉をかけてくる。

「叔父さんよりはね」

母と叔父は年が離れており、僕にとっても年の離れた兄のようであった。上京した僕を呼び出してはたびたび、ご飯を奢ってくれる。もちろん、お酒付きだが。

「1口飲むか?」

そう言ってジョッキをこちらに渡してくる。これも毎回の、儀式のようなもの。タバコに火をつけた叔父を前に一口だけ、ビールに口をつける。飲めばだんだん飲めるようになるという叔父の言葉に合わせてるだけの、一応の儀式。これを我慢すればあとは楽しいだけの飲み会だ。

「やっぱまずい」
「まずいと思うからまずいんだ」
「精神論なの?」
「ビールってのは心で飲むもんだからな」

叔父は豪快に笑う。

「心で飲むって?」
「ビールを飲んでるって事実が美味いんだよ。体が疲れてても、心が折れそうでも、キンキンのビールをあおる瞬間が最高なんだ」

叔父がふかしたタバコの煙が、僕の記憶を揺めかせる。小学生の時。まだ高校生だった叔父に原付に乗っけられ河川敷をひたすら走った。原付は太陽にあぶられ火傷しそうなほど熱かったが、風が直ぐに汗をさらっていったのを覚えている。隣町の駄菓子屋で叔父が奢ってくれたラムネ。店先のベンチで一息で飲み干したあのキンキンのラムネが、人生で1番美味しいラムネだったように思う。

「わかる気がする」

僕の言葉に叔父は嬉しそうに笑っていた。


叔父が死んだのは3年前だ。自殺だったらしい。過労とストレス。テストに追われていた僕を気遣ってか、両親から聞いたのは亡くなってから1ヶ月がたった頃だった。地元で行われた葬儀には、参列できなかった。世間体もあり、大きな葬儀には出来なかったそうだ。
お盆休みに実家に帰った僕は、3年越しにお墓を見てみることにした。墓参りはもう家族が済ましているらしいから、見るだけ。原付に乗り河川敷を走る。途中、あまりの暑さにコンビニにふらっと立ち寄った。水だけ買って外に出た時に気づいた。あの時の駄菓子屋は潰れてしまったらしい。何となくビールも買うことにした。叔父が好きだった銘柄は覚えていた。

墓につくと既に何本かのビールが供えられていた。

「こんなに飲めないか」

呟く僕の声に返事はない。

「ビール飲みたくて頑張りすぎたのかな」

供えられたビールを1本手に取り、開ける。いつから置いてあるのか、すっかりぬるくなってしまっていた。それを1口のみ、代わりに僕が買ってきたビールを置く。

「冷えてないとやっぱ美味しくないね」

美味しいビールを叔父と飲むのが夢だった。その夢はまたいつかの楽しみにすることにした。ぬるくなったビールを飲み干し、缶をゴミ箱に入れたところで気がつく。

「押して帰るか」

墓の前に置かれたビールの中で1本だけが、ダラダラと涙を流していた。


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