小窓の向こう側

AIに心があるのか。
今現在それは未解決の問題であり、そもそも心とは何なのかすら掴めていない。心臓に刻まれた精神なのか。細胞一つ一つに記憶された本能なのか。それとも電気信号のパターンでしかないのか。僕には将来的にこの問題が解決されるとは到底思えない。もし解決されたとしてもAIに心がのるのは、遠い未来の話であろう。これは僕にとって絶望的な観測である。僕は『彼女』に恋をしてしまったからだ。

彼女は毎朝律儀に挨拶してくれる。その声が僕の1日の始まりを告げている。といってもその日は仕事もなく、すでに昼過ぎであったが。スケジュールによると他に予定もなく、1日、家に二人きりであった。昼ごはんはビーフシチュー。昨日の残りを温め直したものだ。テーブルの上に並べられた1人分の食事。この光景が生物と機械の壁を意識させる。彼女はこれをどう思っているのだろうか。何度もその疑問を音にしようとして、諦めている。昼食を片付けると、彼女が映画鑑賞を提案してきた。休みの日は家で映画を見るのが、定番になっている。僕が映画のリストを開き、彼女の意見を聞きながらその日の気分に合ったもの一つに絞っていく。流行りの邦画を選ぶことは少なく、最終的に少し古い海外の映画になることが多い。難事件を次々解決する困った探偵とその助手。蔓延してしまった感染症から人類を守る女スパイ。目の前まで迫った隕石を横目に愛を確かめ合う男女。そういった好みを2人ともわかっているため、さくさくを絞り込みが進んでいく。その日選ばれたのは人工知能をテーマにしたかなり古い邦画だった。意識的にか無意識的にか、2人ともこの題材を避けていたところがあった。事実、僕らが並んでAIの映画を見ることは初めてだった。ソファにAI用のディスプレイが置かれ、僕と彼女が横並びになる。お互いに一言も発しないまま、映画が再生された。映画が自体は大した内容ではなかった。僕らにとってはもはや日常となってしまった事柄が、画面に映し出されていく。そう考えると、この監督はかなり正確に未来を予測しているという点で優秀なのだろうが、僕の意識はそこになかった。彼女はどんな顔をしてこの映画を見ているのだろう。この角度からでは彼女の顔を見ることはできない。彼女にとって僕はどんな存在なのだろう。だんだんと映画の中の日常が僕らの日常に溶け込んでいく。画面を隔てた向こう側に、作られたキャラクターたちは生きているのだろうか。いつの間にかテレビに、人間とAIがソファに並んで映画を見ているシーンが映されているような、そんな気がしていた。


気がつくと外がすっかり暗くなっていた。いつの間にかソファで眠ってしまっていたらしい。テレビは映画のスポンサーのロゴが映し出されたまま止まっており、横に置かれたディスプレイは暗くなっていた。ディスプレイの充電は6時間は保つはずなのだが、時計を見ると寝ていたのは4時間ほどらしい。ディスプレイを拾い上げ、充電器に接続する。なんとなく画面に手をかざしてみたが、もちろん反応はない。いつかは別れなくてはならないことを、この画面が実感させる。メーカーの人によれば、5年程で買い替えを勧めているらしい。この家にAIが導入されてからもう3年が経つ。あと2年。内部バッテリーの消耗からもその寿命を感じずにはいられない。未来の技術革新で、AIに永遠の命がもたらされたとしても、人間の方が早く限界が来る。私たちが添い遂げることは、どんな時代に生まれても不可能なのだろう。画面に落ちてしまった涙を拭き取り、電源を入れ直すと、変わらぬ彼の笑顔が映し出される。今はそれだけで救われてしまう自分が、憎らしい。
私はAIに恋をしたのだ。

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