ペダルを踏む速さ

ぼんやりと朝焼けを眺めている。日が昇る時、こんなにも空が赤くなるなんて大学生になるまで知らなかった。タバコに火をつけ、イヤホンを耳にさす。流れてくるのは『夜明け 』。高校時代のバンドの曲。自分で作詞作曲したのは初めてだった。いい思い出といえば確かにそうなのだが、個人的には羞恥心の方が強い。たぶん一生忘れないであろうその歌詞は、何かに対する不満とどこからか漏れ出た自信に覆われていた。若くて無知で無鉄砲で。そういう自分を恥ずかしく思うのだが、わざわざスマホに保存してまで大事にしているのは、そういう自分がいなくなってしまったのが寂しいのからかもしれない。

火が半分ほどタバコを燃やしたところでサビが来る。アメスピ1本分のこの曲の、1番の盛り上がりであり、1番自分の「若さ」が出るパートだ。5年も聞き続けているのに、未だにサビ前で身構えてしまうほど、このサビは自分の根っこに触れている。今だからこそかもしれないが。しかし今日は、その若い主張は聞こえてこなかった。代わりに着信音。急に電話が来ると焦るものだが、サビ前の緊張感もあいまって慌てて電話をとった。

「もしもし」
「あ、もしもし。すみません。」

若い男の声。しかも聞き覚えのある声。その声は俺の名前を知っていたようで、○○さんの携帯ですか?などという定型文を口にしている。しかし、そのたどたどしい口調は明らかに、そのセリフが口に馴染んでいないことを伝えている。

「あ、はい。そうですけど」
「よかった。どこにありました?」
「えっと、なにがです?」
「携帯です。僕の」
「いや、知らないですけど」
「今持ってるそれですよ」

聞き覚えのあるその声は明らかに困惑の色を含んでいた。反対に俺は冷静で、頭の片隅でこの声をどこで聞いたのか、薄々感づいていた。いや、この場合は気づかなかった自分を責めるべきであろう。電話に出る直前までその声を聞いていたのに。

「今って、8月30日?」
「え、ああ。そうですね」
「こっちも、そう」
「それより携帯なくて困ってるんです」
「それは心配なく。スタジオのおっちゃんが預かってくれてるから」
「いや、だからそれなんですよね?」
「これも君の携帯だね。5年後の」

俺は5年前を思い出していた。夏休みも終わりかけ。メンバーからは夏休みまでに完成させろと言われてたのに、何も浮かばないままスタジオで1人、ギターとペンと楽譜と共に夜を明かした帰りだ。自転車で1時間の道を引き返す気にもならず、公園の公衆電話から自分の番号にかけてみた事があった。

「それってどういう?」
「『 夜明け』聞いてたんだ。今」
「俺の?」
「そう。俺のでもある」
「ちょっと、信じられないけど」
「そりゃそうだ。俺も未だに信じられない。すっかり忘れてたけどな」

徹夜明けで自転車を1時間飛ばした後の疲労困憊の俺はこの状況を脳にとどめられなかったらしい。それか、信じられない事を忘れるように出来ている人間の防衛本能か。

「『夜明け』完成したんだ」
「この状況で、そこが気になるか」
「これが夢だとしても、夢の中だけでも、あの曲が完成してるっていうのは嬉しいから」
「大丈夫。ちゃんと完成するから」

そう。『夜明け』は完成する。8月30日の朝焼けを見て、タイトルを決めたのだ。電話口の向こうはちょうどタイトルが決まったところだろう。

「いい曲になってる?」
「俺らしい曲になってるな」

俺はあの朝焼けと、この電話を曲にしたんだ。歌詞は覚えてたのに、肝心なところは覚えていなかった。

「締め切りは?間に合った?」
「俺は間に合わせたぞ」
「そっか。なら俺も」

俺の皮肉にも気づかない。目の前のことが全てで、その先は呆れるほど広いと信じていて。

「いい曲にするから、楽しみにしてて」
「おう、がんばれ」

電話口から歌が聞こえる。高校生の俺の声で。『夜明け』のサビ。俺の思い出の曲だ。


朝焼けに背を焦がされてペダルを踏む
手の届く範囲で手の届かない夢を見て
でも、未来の俺は笑ってる
がんばれって笑ってる

朝焼けはいつの間にか青くなっていた。
タバコはもう燃え尽きていた。


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