プールサイドはいつでも熱い

水面がチラチラと揺れている。太陽の光がゆがめられ、模様のようになっては形を崩していく。水の中は音がゆっくりと伝わるような気がする。プールの底に仰向けになったまま、意識を手放してしまいたい衝動にかられるが泡が水中を昇っていくのを見て、自分の息が限界に達していることに気がついた。

ザバッと水面を破ると音が新鮮に耳に届いてくる。カキーンとバットがボールを捉える音や、トランペットがプーと音を合わせている音、教室にまだ残った生徒の笑い声。水の中が無音に近いからか、耳が小さな音まで拾おうと張り切っているのがわかる。ふと白い照り返しが目に飛び込んでくる。見ると、山岸が制服のまま今にもプールに飛び込もうとしているところだった。

「なにしてるの?」
「溺れたかと思った」
「ああ、ごめんごめん」

確かに友人が2分を越えても水面から顔を出さなければ溺れたと思っても不思議ではない。制服が濡れることも厭わない彼の行動に感心しながらも、水泳部としては肺活量を褒められたようで悪い気はしなかった。

「ビックリさせるなよな」
「ごめんって。ちょっとぼーっとしててさ」
「いや、それはそれで怖いから」

山岸は日に炙られたプールサイドを、ひょこひょこと日陰まで戻っていった。サンダルを貸そうかと言ったのに、「熱くなきゃプールサイドじゃない」と意味のわからない理由で断られた。

「しかし、暑いなー」
「山岸も泳げば?」
「水着持ってきてないから」
「制服で入ろうとしてたじゃん」
「さっきのは海野のせいだろ」

山岸は声を荒らげながら小石を投げてくる。俺はちゃぷんとプールに沈み、山岸の近くまで潜水すると今度は水飛沫を上げながら、思いっきり水面から飛びだす。

「ちょ、濡れるって」
「濡れたら諦めて入るかなって」
「鬼か」
「1人でプール入ってると寒いんだよ」
「2人でも変わんないだろ」
「気持ちの問題だな」
「変わんないんじゃん」

そう言いつつもこの友人は、水際まで来て手をプールに浸すのだ。そういう所が自己中心的な俺と相性がいい。向こうもそう思っているかは分からないが。

「てか、海野が急に誘うからだろ。言っといてくれれば俺だって水着くらい用意したって」
「俺の予備使う?」
「やだよ。そのパツパツのやつだろ?」
「競泳用だからな」
「そんなん恥ずかしくて着れるかっての」
「俺、着てるんだけど」
「お前は変人だからな」

山岸が言い切るが早いか、俺は山岸の水遊びしていた右手を掴む。一瞬お互いの視線が交差するが、山岸の目には明らかに諦めの光が見て取れたため、俺は躊躇することなく掴んだ右手を思いっきり引っ張った。

ざっぱーん

山岸がプールに落ちる音が校庭に響く。山岸の逆襲が怖いので俺はすぐさまプールから上がった。冷たくなった足がプールサイドの熱を吸ってすぐに熱くなる。

「ふざけんなよ」

水面から顔を出した山岸は、恨み言を言いながらも口角が上がっていた。俺が我慢できず吹き出すと、山岸もつられ2人でひとしきり笑った。

「プール、気持ちよかっただろ」
「まぁ、制服じゃなかったら最高だったな」
「こんなに暑けりゃすぐ乾くよ」
「だといいけど」

山岸もプールから上がり、プールサイドに並んで座っていた。山岸は俺の発言を信じていないようだったが、ものの5分で既に俺の水着は乾き始めていた。山岸は脱いだ制服を絞りながら、声をかけてきた。

「海野さ」
「ん?」
「ほんとによかったのかよ」
「大会?」
「今頃みんな泳いでるんだろ?」
「そうだね。丁度リレーくらいかな」
「よかったのかよ?」
「まぁ今更じゃん?」
「そうだけどさ」

高校最後の大会。俺は高校で水泳やめるつもりだから正真正銘、最後の大会だ。小学校2年生から水泳を習い始め、約10年の締めくくりを俺は、茶道部の友人と学校のプールで過ごすことにしたのだ。

「海野泳ぐの好きだろ?」
「大会サボってまで、泳いでるわけだからね」
「なんで出るのやめたの?」
「なんでかなー。わかんねぇ」
「そっか」
「でもさ」
「ん?」
「10年後思い出すとしたら、大会じゃなくてこっちだと思ったんだよな。山岸と部活サボったのは、10年後も忘れないかなって。それだけ」
「まぁ、俺も忘れないかな」

陽が傾き始めてる。もうすぐ今日が終わるのだ。

「じゃあ最後にレースな」
「はぁ?お前水泳部だし、俺制服なんだけど」
「負けた方が帰りにアイス奢り」
「だから受けねーって!」


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