コロナ禍に親族を亡くすということ

2021年1月、群馬に住む母方の祖母が90歳で死去しました。亡くなったことにコロナは関係なく、年が年ですから体調悪く、昨年秋から入院していました。ただやはり、情勢がら親族誰も面会はできていなかったそうです。

夏休みやお正月に行く度にいつもニコニコと迎えてくれる、とても優しい祖母でした。叱られた記憶なんて全くなく、思い浮かぶのはみかんやお菓子を食べなと言ってくれている姿です。

叱られたことがないのは、祖母の性格もさることながら、祖母の家には子供の面倒を見られる人がたくさんいたからでしょう。母は8人兄弟で、それぞれの奥さんや旦那さん、子供たちも何人もいるため、盆や正月の祖母の家はいつも賑やかでした。私には従兄弟が20人以上いて、私が小さい頃は5歳、10歳上のお兄ちゃんたちが面倒を見てくれていましたし、自分が中学生、高校生となれば下の子を見る番になっていました。たくさんの人がいるから子供たちははしゃぎ過ぎることなくいられたのでしょう。


祖父が亡くなったのは私が小学生の頃だったと思いますが、その時はそんなたくさんの親戚が病院に集い、見送りました。葬儀告別式は言うまでもありません。

今でさえなければ祖母にも同様にお見舞いが大勢訪れたでしょう。しかし私はお見舞いも、葬儀告別式への参列もしませんでした。

緊急事態宣言中とはいえ、葬儀は不要不急の外出ではないでしょう。しかし、50代以上が大勢いる場に、たとえ自分が元気でも東京から行こうとはとても思えませんでした。介護職に勤める人もいます。私の判断一つで大切な故郷をめちゃくちゃにすることはできません。

初めて弔電を送りました。マナーが分からず調べると、「祖母の葬儀は極力参列しましょう!」ということが出てきます。それができないから調べているのに、とやるせなさに襲われました。


コロナ禍でやりたかったことがいくつも中止になりました。幸いにも自分や自分に近しい人がコロナに罹患して大変な思いをしたということはないのですが、自分に直接影響がある中では、今回のことが最も辛いです。

もう群馬に最後に帰ったのは一年半前の夏になります。その時祖母に会い、一歳になる前の私の長男、祖母にとっては曽孫を会わせることができたのは今思えば本当にやれてよかったです。

心残りがあるとすれば、2020年の夏に生まれた次男を会わせられないままになってしまったことです。

お見舞いに行くことで2歳と0歳の息子たちに曽祖母との思い出が残るとか、こんなに可愛い曽孫がいるならともう一踏ん張りなんてことを期待しているわけではありません。ただ、一枚くらい写真を撮りたかったなあ、とそんなふうに思うのです。


やりたいことをやろうとか、悔いの残らないように生きようとか、情勢がそれを許さないということが非常事態、緊急事態だなとつくづく思います。

レペゼン群馬、新井将司。世界一になる日まで走り続けます。支えてくださる皆さんに感謝。