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産後の体調とメンタル②

少し前の話、陣痛で緊急受診した時に、病院の前に作業服をきた強面の男性たちが座り込んでいた。
前を通るのは嫌だったけど、入り口はそこなんだから仕方ない。こっちはすごく痛いんだし。
そう思って通りかかった時、会話が聞こえた。
「1人の息子として、母を亡くすことが悲しい…何もできなかった」と実は座り込んで泣いていた。
今まさに命をかけて1人の息子を産もうとしている私からしたら超絶縁起の悪い言葉だった…。
うわぁ、キツい…と思いながら、体が重くなったのを感じた。

でも、中年になった息子にここまで言わせる母親はきっと立派な人だったんだと思う…。

✳︎✳︎✳︎

さて、まずは小児科の先生の病状説明と私の目のMRIの話。

まず息子はGCUでは元気そのものだった。よくミルクを飲んでくれるし、沐浴は…こっちも本気出さないといけないくらい力強く抵抗するし、泣いたらすぐわかる程声量もあって、体も他の子たちより大きい。
多分退院ですよという雰囲気は出ていたし、私もこの子なら番狂わせ退院はあり得るんじゃないかと思ってた。
看護師さんもそう思ってくれてたようで、一応退院服持参で来てくださいと言われていた。

でも実際はやっぱり私から移行したホルモンは息を潜めていただけで、血液検査で少し心配なところが出てきたとのこと。とりあえず今回の退院はなくなった。
ただ、臨床症状はなく元気にしてますよ👨‍⚕️と言ってくれてたし、実際にそう。
このまま何も分からず、表面の元気さだけを見て退院していたらそれこそ取り返しのつかないことになる。血液の内容は外から見えるわけではない。子どもに会えないのは寂しいけど、しっかりみてあげて欲しい。

小児科の先生も大変だなーと思う。散々期待させといて退院延期になった話を私にする時は、かなり慎重に言葉選びをしていたのがわかった。

あのTRAbの数値をみて、何かないわけないと思ってたから、別にストレートに言ってくれていいんだけどな…
命を救ってもらっただけで本当に感謝してるし。
あとは私が受け入れて、この子の為だと思う最善のことを出来る限りやるだけ。

そのまま窓越し面会をした。
入院中、3時間ごとにオムツ交換とミルクに通っていた時もそうだけど、あの子は多分いろいろわかっている。
ミルクをあげているとずっと顔を見てくるし、目線を外して看護師さんと話をすると怒る。
そして、怖い看護師が担当だとよく泣く笑
今日だって看護師にミルクを飲ませられながら、ガラス越しなのに、じっとこっちを見てくれていた…こんな顔して→🥺
目は見えてないはずだけど、認識してるのかな?
連れて帰りたいけど、ごめんね。

次はMRI。
実は人生で初めてで、…音がすごいとか閉所に行くところとか…ちょっと怖い。
ドキドキだったけど、すごく綺麗な病院で設備も最新のものを使っていて…快適だったので…あろうことかMRIで寝落ち💧しかも、何度も…
目のMRIは難易度が高く、目を瞑って、20分程眼球を動かさないように言われる。
無理だよ!笑
で、頑張ってても、途中寝落ちして夢を見だしたら眼球運動が始まってすぐアウト💧
何度も撮り直しをして「何枚か撮ったので、綺麗に撮れたところ繋げるからもういいです」と言われる始末🙏💦

申し訳ないけど、病院を動き回ってバテバテだった私はMRIで横になれてゆっくりできて…すごく回復しました💧
結果はまた大学病院で💦

帰り道に車で送迎してくれた母と話した。
私の友達の母(以前、不妊治療や病気のことを友達にも言ってないのに、母に勝手に言われていたと激怒していた話の人。)が、癌だったという話をされた。
詳しくは聞いていないが、話を聞く限り、ちょっと危なそう。

その友達とは小学校一年生からの付き合いで、よく遊びに行ったし、家族ぐるみの付き合いだった。
その友達が留学してた時は、友達のお母さんと一緒に2人で食事をしたり、お笑いのライブを見に行ったりもしていた。
私のことを子どもみたいにしてかわいがってくれていた。

まだ何も決まったわけではないし、病状は知らない。でもなんでこの人がこんな目に…

その話を聞いて、漠然とした夜の恐怖の原因がわかった気がした。
大事な存在ができて、多分死ぬのが急に怖くなった。

少し前に👨‍⚕️「こんな数値では母子共に分娩に耐えられない」と言われていた。
コントロールしてもらっても実際の出産は過酷で、脈も血圧も爆上がりでモニター管理になった。…確かにあの時の数値で出産に挑んでいたら死んでたと思う。危なかった。

陣痛も何もかも痛くて苦しくて死ぬかと思ったし、外で待機してた夫も私の声を聞いて、私が死なないか心配になったそう。

ここ数年、体調を崩すことが多く、今回の目だってこのまま見えなくなったらどうしよう…と怖かった。
実際はバセドウ病性眼症は基本的に予後良好だけど、基本的に〜とかはもう信じてない。数%は後遺症が残る。

新生児バセドウ病で生まれてくる子の割合がバセドウ病妊婦の1〜2%だった。
しかも、胎児バセドウはもっと少ないと思うし、妊娠中の発症なら仕方ないと思うけど、通院して管理してもらっててこれは…すごく酷いんじゃないかなと思う。
不妊治療の保険適用で増えることが予想されるけど、体外受精で生まれてくる子は多くて7%程度。
もう授乳ができなくなったので母乳トラブルは関係ないが、副乳持ちが5%程度。
私は両側の副乳持ちだけど、確か両側はもっと稀だったかな…😅
1桁%ってこんなに続くんだ…
心配事の9割は起こらない?
心配もしてなかった1割以下のことが立て続けに起こってますけど…こんなの何も信じられるわけないよね。

絶対なんてない。

子どもだって出てくる時は死に1番近い状態で、実際に私の息子は呼吸は止まっていた。
これから大丈夫?
SIDSとかならない?不慮の事故は?災害は?
守り切れる?
私も途中で死なない?もう会えなくなるとかないよね?
私はまだ30代で、この子は生まれてばかりで…こんなこと気にしたって仕方ないし、言い出したらキリがないけど。それでも考えてしまうのが産後メンタルってものなのかもしれない。

友達の母だけではなく、私の両親もいつまで元気かなんてわからない。
生を受けた瞬間から死ぬ運命にあるのはみんな一緒なのに、なんであんなに当たり前みたいな顔して生きてたんだろう?

多分、私が夜に感じてた漠然とした恐怖感はこれだった。
みんな子育てはしんどい時もあったけど、振り返ってみると一瞬だったと口を揃えて言う。
私たちはみんな思っているより時間がないのかもしれない。
1番初めに書いた中年の強面の人の母のように、立派にやれるかな?
最低でも子どもが成人して自立した後で、子どもより先に死にたいな。

「こんな言い方したらダメだけどね、死ねないっていうプレッシャーからやっと解放された。すぐ死ぬわけじゃないけどね(笑)、私だって生身の人間だから死なないっていうのはあまりにも酷だった。あなたたちが成人してくれてホッとしてる。」
これは私と友達が成人した時に、例の友達のお母さんが言ってた言葉だった。この人は友達が一年生の時に旦那さんを亡くしている。
今のところ、この人程のプレッシャーはないにしても、大事な存在ができてしまうと、こういうプレッシャーはついて回るのだと思った。


息苦しいし、こんなことを考えて寝れなかったから、産後うつ的なやつかな…と思ってたけど、浮腫が引いてからびっくりするくらい息切れや息苦しさを感じなくなった。
足が浮腫でパンパンだったけど、横になったら水分が上がってきて、顔がパンパンになっていた。
顔全体が浮腫で、両鼻とも鼻詰まりだったし、多分それで苦しかったのかな…

体調の回復と共に、寝れるようになってメンタルも少し回復してきた気がする。

今日、夫が休みをとって実家に物品を届けに来てくれた。
痛みは相変わらずで、動きがゆっくりだから、夫には家で1人にするのが不安だからまだ実家で療養して欲しいと言われた。

3人で過ごせるのはいつかな?
子どもは入院中も一生に一度しかない新生児期を過ごしている。毎日写真を撮ってたけど、やっぱり1週間で顔も違う。
早く元気になって毎日会いたいな。




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