TENET感想

某月某日、外回りの営業時間をやりくりして、待ちに待った話題作TENETを観た。

この映画は、とても難解というふれこみで、かなり人気があるようだ。TENETを難しいと感じさせる要因は、なんといっても「時間の逆行」という概念だろう。私たちは、日常生活の経験から、時間は過去から未来へ1つの方向にしか進まないことを知っている。

このことを端的に表しているのが、よく知られた故事の「覆水盆に返らず」。この言葉の元々の意味は、「一度こぼれてしまった水が元に戻るのが難しいように、一度別れてしまった夫婦は元に戻すのが難しい」というもののようだ。まあ、現在は、「一度起きてしまったことは取り消せない」という意味合いで使われることが多いだろう。

とにかく、一度こぼれ落ちた水が、床から上ってきて、もとの容器に収まることは常識的に考えておかしいのだ。これが地球に暮らす私たちの共通認識だろう。ところが、TENETはその常識を揺さぶる構造を提示する。何らかの方法で、時間を逆行するものや人が登場するのだ。

この映画は、時間の流れが一方向だけという常識的な思いこみが覆されることに加え、時間が逆行する原理は物理学を知らないと理解できないというふれこみが難解に思わせる要因なのではないかな。確かに、物理学をある程度知っていればいろいろな考え方ができる。でも、そうやって難しく考え過ぎて、「訳わかんない」みないな気持ちになることこそ、クリストファー・ノーラン監督の思うつぼのような気がする。個人的には、何も考えずに、痛快アクション映画として楽しめばいいのではと思う。

とは言っても、「時間が逆行する原理みたいなものがわかればもっと楽しめるのではないか」と思う人もいるだろう。本当に楽しめるのか、よけい混乱するだけなのかよくわからないが、そのあたりのことをちょっと考えてみよう。実は、物理学の世界では、時間の逆行を完全には否定していない。

まず、物理学でよく利用される運動方程式では、時間の向きが逆になっても問題ない。A地点で上に向けて投げたボールが放物線を描いて地上のB地点に落ちてくる場面を想像してみよう。これは、方程式に表せばA地点からB地点まで〇秒後に移動する形で表現できるのだが、B地点からA地点まで−〇秒後に移動したと表現しても、方程式上は問題ない。

人が投げたり、取ったりするシーンが絡むとおかしい部分が出てくるが、AからBにボールが移動する運動を撮影した映像があるとして、その映像を逆再生してBからAに移動する映像にしても、破綻しないのと同じだ。ボールの動きのような単純なものの運動だけしか映ってなかったら、私たちは、それが順再生の映像なのか、逆再生の映像なのか区別つかないだろう。

ただし、だからといって、現実世界で時間が逆行する現象は起きない。数式上は問題がなくとも、現実世界ではそれを起こすことのできない何かがあるのだ。

また、アインシュタインは特殊相対性理論を通して、時間と空間は根本的で同じものであることを示した。これにより、時間と空間を1つにまとめた時空という概念が生まれた。私たちがこの世界のことを4次元時空というのは、3次元の空間に1次元の時間を加えたものだからだ。ちなみに、ドラえもんの4次元ポケットは空間の次元にもう1つ足して4次元空間とつながっているらしい。

時間と空間が同じものであるならば、時間も空間と同じように前に進むばかりではなく、後ろに進んでもいいのではないかという考えも出てくる。しかし、時間は空間とは違い1方向にしか進まない。私たちは時間を後戻りすることができない。その違いをつくるものは何なのかが、まだよくわかっていない。あと、時間の次元が1次元しかないというのも、考えてみればおかしな話だけど、その理由もよくわかっていない。そのあたりのことが解決したら、なぜ、時間だけが行ったり来たりできないのかということの理由もわかるかもしれない。

私たちが日常的に経験する世界では時間の逆行は起こらないが、素粒子の世界では時間の逆行が起こることもある。素粒子の世界を記述する方程式でも、電荷(C)、パリティ(P)、時間(T)にはそれぞれ対象性があり、入れ替えても区別できない、つまり方程式が成り立つという定理がある。

電荷というのは電気的な性質で、私たちの体など、身近な物質の材料となる粒子には、それぞれに電荷が反対になった反粒子というものが存在する。反粒子もよく知られている物理法則に従う。パリティというのはちょっとややこしいのだが、簡単にいってしまうと鏡に映したように空間を反転しても物理法則は成り立つということ。時間は、先ほど話をしたボールの運動を逆再生しても物理法則は破綻してないとこと。

ここで、反粒子のことを考えるとちょっとおもしろい現象が起こる。マイナスの電気をもった電子には、プラスの電気をもった陽電子という反粒子が存在するけれど、陽電子の動きは、見方をちょっと変えると見方を反転させた電子が時間を逆行しているという風にも解釈できるわけ。実際、TENETの中でも時間の逆行と反粒子が関係あるかのようなセリフも出てくる。

でも、そうだとすると、映画の世界でかなり無理が出てくるというか、矛盾が生じる。それをやると主人公は早い段階で消滅しちゃうんじゃないのとか。いろいろと言いたいことはある。

映画全体を見ても、ノーラン監督はあまり細かい部分までは詰めていないのではないかなと思う印象だ。単に、順行でも逆行でも成り立つ映像表現をしたぞ、すごいだろうって見せたいという思いが先で、それを見せるためにストーリーをつくったのではないかと、私は思ってしまった。実際のところはわからないけどね。

どれかの予告編で、ノーラン監督は「この世界を体験して欲しい」という趣旨の発現をしていたと記憶しているけど、この映画はまさしく、ふだん体験し得ない時間の逆行を体験する映画なのだと思う。考えるのは後回しだって言われているような気がした。映画自体は内容の濃いアクション映画で、大きな鏡や窓ガラスの前を通ったら、鏡やガラスの中の世界が逆行していないかと、ついつい確認してしまった。

とまあ、こんなことをつらつらと書いてしまったが、私は物理学者ではないので、間違っていたり、勘違いしている部分もあるかもしれない。物理学者がこの映画をどんな風に観たのか、機会があったら聞いてみたいところだ。


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