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今日の科学 6月8日

1916年6月8日は、イギリスの生物学者フランシス・クリックが生まれた日です。
クリックは、ジェームズ・ワトソンと共に、DNAの分子構造を明らかにし、1962年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

親から子に形質などが伝わる遺伝は、19世紀半ばに、グレゴール・メンデルによって系統的にまとめられ、遺伝を伝えるものは遺伝子と名づけられていました。しかし、その遺伝子の実態は長い間、よくわかっていませんでした。

1940年代までは、遺伝はタンパク質によるものだと考えられていましたが、1944年にデオキシリボ核酸(DNA)によって担われているという論文が発表されました。この考えはを疑う科学者もいましたが、刺激を受けた科学者も出てきて、核酸は注目されるようになりました。

1952年にはDNAが遺伝子の本体であることが示されると、たくさんの研究者がDNAの研究をするようになりました。クリックもその1人で、ケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所で、タンパク質研究をする傍ら、X線解析を専門とするワトソンとDNAの構造について研究を進めました。

当時、ロンドン大学キングス・カレッジでもDNAの構造解析の研究が進められていました。しかし、主要な研究者であったモーリス・ウィルキンスとロザリンド・フランクリンの間に、どちらがリーダーかで確執があったそうです。

それぞれのグループがしのぎを削って研究を進め、それぞれがDNAがらせん構造をしていることに気づきました。1953年4月25日発行の論文誌『Nature』には、DNAの構造について3つの論文が同時に掲載されたのです。

1つ目は、ワトソンとクリックのDNAの二重らせん構造モデルを提案する論文。2つ目が、ウィルキンスらのX線解析かららせん構造を示唆する論文。3つ目が、フランクリンらのX線構造解析結果で、DNAの二重らせん構造を決定づけるものでした。

DNAが二重らせん構造をしていることは、すぐには受け入れられませんでしたが、時間が経つにつれてたくさんの実験結果がモデルの正しさを証明し、現在では、DNAが二重らせん構造をしていることは疑いようのない事実となっています。

その結果、1962年にクリック、ワトソン、ウィルキンスの3人がノーベル生理学・医学賞が贈られました。ただし、クリックとワトソンが二重らせん構造に気がついたのは、フランクリンの撮影した鮮明なDNAのX線解析画像を不正な方法で見たからだといわれています。

2人がフランクリンの解析画像を見ることができなければ、DNAの構造を解明した人の名前は変わっていたかもしれません。フランクリンは1958年に卵巣がんのため、38歳の若さで亡くなりました。1962年まで生きていたら、誰がノーベル賞を受賞していたのでしょうか。歴史に「もし」はないので、言ってもしかたのないことかもしれませんが。

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