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娘が生まれた日のこと②

今日で彼女が生まれてから50日程経過した。
日々が平和につつがなく、少しずつ変化しながら進んでいる。
私は重たい水の中にいるような感覚を感じながらも、その重たい水の温度や匂いや色を楽しみながら、一日一日を過ごしている。授乳と家事の合間にポツポツと絵を描いて、産後の体もほぼ通常に戻ってきた。

そうこうしている間に、出産の日の事をどんどん忘れていってしまうので、なんとか記憶の彼方に飛んでいってしまう前に書き残さなければ。

予想外の展開で、予定日に計画無痛分娩になった。
お昼すぎに、錠剤の陣痛促進剤を飲んだ。産婦人科の若い女医さんとは
その後、出産が終わるまで会うことはなかった。
これまた若い20代半ばくらいの助産師が担当してくれたのだが、テキパキと働く小柄な彼女は、今の職場の前にはフランス領のマルティニーク島の病院にいたそうだ。その落ち着いた働きぶりから、既にいろんなお産に立ち会ってきたのだろうなぁと勝手に想像した。

私の病室(出産後も過ごす部屋)を準備してもらっている間に、夫が最寄りのパン屋でランチを調達してきてくれた。
整った病室に入り、そこで大きな丸パンのツナサンドを一気に食べ切った。とてもおいしかった。

ひとまず1時間程病院の外を歩いてきて。と言われ、夫と手を繋ぎながら病院の裏山を散歩。途中にあった階段を10回程登り降りした。

陣痛の気配はまるで無い。助産師による診察があり、再度1時間歩いてくるように言われる。その間にイタタタ、、くらいの軽い張りと痛みが数回あったが、陣痛という感じではなかった。

そうしているうちに日が暮れ、病室から分娩室に移った。夜勤の助産師に交代。またまた23、4かなというような若い助産師さんだった。
丸いメガネをかけていて、化粧っけもなく、見た目の年齢よりすごく落ち着いていて、ビジュアルはフランス版中村佳穂。という感じだった。彼女の音楽を、出産の時に聞こうと思っていたので、なんだか嬉しかった。(結局、音楽を聞くような時間も余裕も全くなかったのだけど。)
触診をしてもらって、だいぶ子宮口は柔らかくなって来ていたので、点滴で促進剤を入れて、麻酔を入れ始めてから、人工破水をすることになった。

分娩室はオレンジ色の落ち着く灯りがついていて、雰囲気はまるで飛行機の機内に似ていた。分娩用の椅子も座り心地が良く、夫にも同じように座り心地のいい椅子が用意されていた。2人とも疲れていたので、あまり話さずに目を瞑ったりしてしばらくゆっくり過ごした。

そこへ、麻酔医の先生が登場。頭にアフリカンな柄のターバンを巻いた中年の褐色の肌の女性だった。
私に麻酔を入れる間は背中を丸めた頼りになるおばさんという雰囲気だったのだが、私への施術が今日の最後の仕事だったようで、麻酔が効いて来た頃に私の様子を見に来てくれた時には、白衣(ブルーのもの)を脱ぎ、ウエーブした髪を下ろしてロングブーツを履いていて、背筋が伸びた颯爽とした女性に様変わりしていた。
入院中、私は何度も病院で働く女性たちのかっこよさにときめいた。

初めてのフランスでの麻酔だったが、背骨の中に細い細い管がゆっくり入っていく感じは、痛みは殆どないので耐えられるけれど、異物が入っていく違和感がかなり気持ちが悪かった。しかしその後腰がポカポカ暖かくなってきた。とてもスムーズに施術は進んだ。痛みを感じたらボタンを押して麻酔を増やす形式だった。

さて、麻酔を入れてから、人工的に破水をすることになった。
分娩台の背を立たせて、しゃがみこむような感じにしてから助産師に破水をしてもらった。その後数分したら、急に陣痛が激しくなった。1分位ごとに腰を反らずにいられない激しい痛みが来た。慌てて麻酔のボタンを押しても痛みは全然おさまらなかった。痛みの種類で言えば、完全に大便を我慢する痛みだ。

初産の時は、酷い下痢の時の10倍位の痛みだったのだが、今回は人前で絶対したくない行為を我慢する痛みだった。これが陣痛なの??と気が動転した。腰を仰け反りながら、急にアマゾンの獣のような声を出して痛みに耐える私を、夫は横で冷静に見ていた。その冷静さにちょっとイラッとしたのだが、痛みでどうしても目が開けられない私に、「目を開けて、大きく息を吸い込め」とただただ冷静に言ってくる彼の意見を大人しく聴いた。(でもどうしても痛くて、目が開けなかった)

破水の後に急にお産が進んだので、中村佳穂似の助産師は、大急ぎで分娩の準備をしてくれた。激痛に悶える私に、足を大きく広げるための台に「 足を乗せて! 」といってくれるのだけど、私はなかなか足を広げることすらできなかった。( 本当に思い出すたび情けない。落ち着いたお産にするためにたくさんYouTubeで他の方のお産動画を見たけど、本番はコレ!)

どんどんひどくなってくる大きいのを出したい感じが、赤ちゃんが降りて来ている痛みなのだとようやく分かったのが、痛みが出てから5分位後だったと思う。私の足を開いた股の間で、助産師さんが1人でいきんでいきんで!(フランス語だとPoussez Poussez fort! 押しだせ!押しだせ!強く)と言って、そのタイミングでいきむ。

日本で産んだ時には、クリニックの院長の産科医、助産師3人の分娩室だったので、1人の若い助産師さんとのお産は本当に今産まれるの?という感じだった。いきみは全部で6回程繰り返した。
YouTube では3回くらいで赤ちゃんが出て来ていたので、3回過ぎたあたりから、これが最後?まだなの?とちょっと不安になった。
しかし、若い助産師の後ろで、彼女より年上の他の助産師2人が腕を組みながらまったりとおしゃべりしている様子が見えたので、「おそらく心配無いケースなんだな」と思えた。5回目のいきみの時に、後ろの2人が「行ける?大丈夫?」と若い彼女に聞いていて、「大丈夫よ」と頼もしく答える中村佳穂。私は(もう次のイキみが限界かも)と思いながら6回目でぐーーーっとイキんだ。するとニュルっと我が子が出てきた感じがした。

「産まれたの?」と思いながらも、目が開かない。
胸の上に暖かい塊が乗せられた。なんとか腕で包んで、顔が見たいんだけど
放心状態が30分程続いたと思う。
娘を胸に抱きながら、日本語で「ごめんね、ごめんね」と100回位言い続けた。全然落ち着いたお産ができなくて、娘に申し訳なくて。

第一子の時は和痛分娩だったので、分娩直後に麻酔が効いていたのか痛みを全く感じなかったのだけど、今回は産まれた後もずっとヒリヒリと痛かった。おそらく、早く赤ちゃんが降りて来すぎて、麻酔がしっかり効いていなかったのでは無いかと思う。
胎盤がなかなか出てこず、30分ずっと足を広げたまま、娘の顔もすぐに見てあげられないほどの衝撃的な痛みだった。会陰も裂けたようで、助産師さんが長いこと縫合をしていた。
無痛分娩だったけど、充分に私には産みの苦しみとはこのことかという感じだった。ただ、ありがたいことに激しい痛みを感じてから、15分くらいで産まれた。なので、体力の消耗は少なく済んだ。

分娩室に、今朝会った女医さんが現れて、「素晴らしいお産だったわね。Bravo!」と言われた。3420gの日本では大きめの赤ちゃん。産まれてすぐに大きな声で泣いてくれて、心の底から安心した。

娘には、小さい頃に自分が憧れていた名前をつけた。
美しい色の名前。ずっと見ていたくなるような魅力的な、見ていて心が落ち着く色。

彼女がどんな色が好きになるのか?どんな性格の子になるのか?
何に魅了されて、何を追い求める人生を送るのか?

それをそばで見せてもらえる幸運に感謝しつつ、これから続く子育てという素晴らしい苦行を精一杯楽しみたい。


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