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短文練習【なつのよる】

 煙草はカートンで持ってきて正解だった。
 何年かぶりに帰郷してみたら、近所のコンビニは潰れていた。実家では唯一の喫煙者である祖父に尋ねると、みんなは車やらバイクやら、どうしてもと言うなら自転車で、坂を登って下って遠くのスーパーマーケットまで買いに行っているのだそうだ。すなわち夜中に好きな銘柄がすぐに手に入るわけじゃない。
 紙巻きを唇の端にひっかけて、彼はふうっと煙を吐いた。白くもやもやとしたそれは軒先を超えて夜の暗さに溶けていく。午前0時の古びた縁側。下草に溜まった夜露からあがってくる涼しさは、やはりちょっと都会とは違っていた。
 同窓会かぁ、と彼は眉を下げて空を見た。10年ぶりの開催通知に参加すると即答したものの、今になって少し後悔していた。いざ冷静になってみると、なんだかあまり旧友に発表するようなこともないのである。人付き合いの得意な母のおかげで元同級生達の情報はなんとなく耳に入っていた。会社で出世しただの、独立して商売を始めただの、結婚して子供ができただの。そういうのに比べると自分の生活はとにかく地味で、何を話したものかも解らない。朝起きて、会社に行って、帰ってきて。休みの日は家事と昼寝で潰れていく。勤め先は普通の中小企業で華々しい出世レースがあるわけでもない。結婚どころか彼女もなし。懐かしい面々には会いたいけれどいったい何を話したものか。果たして話は合うのだろうか。
 ぐずぐずと考えあぐねていると板の間に置いたスマホが震えた。見ると東京の友人からだった。さっと煙草を消して応答する。聞き慣れた呑気な声が聞こえてきた。終電を逃したから泊めてくれないかといういつもの要望だ。
「悪い、いま田舎」
 簡潔に答える。絶望めいた悲鳴が聞こえた。大げさだな、と少し笑う。
『わかったよ、他をあたってみる。どうそっちは』
「どうって」
『あんまり実家に帰らないとか言ってたし、久しぶりなんだろ。どうかなって』
「あー、唯一のコンビニが潰れてた」
『まじか。きついな』
 でも虫の声がしていいね、と彼は笑った。目の前で必死に鳴いているコオロギの声は電波に乗って向こうまで届いているようだった。
「実は明日、もう今日か。同窓会があってさ」
『おお、いいね。同窓会』
「10年も会ってないし、何の話をしたらいいんだろうとか考えてた」
『同窓会ってことは幼馴染だろ?気軽に行けば』
「いや、みんなもう大人だし。なんか俺だけたいして成長してない気もするし」
『ふーん。まあ俺は大人になってからお前に出会ったからよく解らんが。ちゃんとしてると思うよ。終電逃した夜に頼るくらいには』
「そうかな」
『そうよ』
 まあ、どうしても困ったら俺に電話して頂戴。お友達にお前の暮らしぶりを説明してあげるから。
 いらんわ、子供じゃあるまいし。そう返すと快活な笑いを残して電話は切れた。
 また虫の声だけに戻った縁側で彼は煙草に火をつける。雫型に上がった炎を見て、そういやこのライターも奴に貰ったんだと思い出した。
 都会に出て、思いがけず拾ったものの話をしよう、とそう思った。行ってみたらそんなに冷たい所ではなかったし、奴との出会いは相当に面白かった。
 顔を上げて月を見る。夜風と一緒にいい感じの眠気が寄り添ってきていた。