見出し画像

♪懐かしの通勤ルートを21年振りに

♪記憶が定かなら、逆算して21年数ヵ月振り。
某日外出時に思いつき、特に目的は無いまま、ならばと即実行。
1995~2002年の間、通い続けた通勤ルートを、なんとなく辿ってみました。
 

今も変わらずお世話になっています。
阪急電車宝塚線。


JR大阪駅の大改築や梅田地下街の改装など、当時とは大きく様変わり。
車輛(電車)も新しくなっているなど、タイムスリップ感は薄かったです。
 

扉画像を今一度。
当時この高架通路はありませんでした。
懐かしい元・勤務先最寄りの、大阪メトロ某駅。
こちらは当時の面影を大きく残していました。


建物の外から確かめた限りでは、我が勤務先だったスペースは空室。
ここに立った時だけは、数十年を一気にタイムスリップしたような、不思議な感覚に包まれました。

社内的な立ち位置はいわゆる雇われ店長で、接客から経理その他全般の店舗運営を、すべて独りで捌いていました。
結果さえ叩き出していれば、基本好き放題(笑)でしたから、所属先をスポンサー的な感覚で捉えていたような?

そろそろインターネットが一般家庭に普及の兆しを見せ始めた頃の開業、とある分野をマニアックに極め過ぎた、

*道楽の極みからも外れた異空間商売 ← ※わかりづらいゾ

一般市民からは、こんなふうに見られていたことでしょうね(懐)。
 

1995年撮影と刻まれた生写真。
当時34歳 …… 今もあまり変わらないような?


なにより第三者と息を合わせる集団行動が不得手な私。
直後の独立起業の準備練習期間だったと思えば、あまりに恵まれすぎた仕事環境だったかと。

ん?
ここまで肝心なあれやこれやが見当たらない文章ですって?

( b ^-^ ) んだから全部綴らないのが頁生流でんがな。
 

白いタイル張りの大きな建物 …… 外観はあの頃のまんまでした。


私の同級生には、新卒入社から定年退職まで40年近く、地下鉄(大阪メトロ)の始発駅から終着駅まで、黙々と通勤を続けた男がいます。
いわゆる中小企業で転勤などもなく、両親と住んでいた公営住宅で暮らし続け、どうやら現在進行形らしい(?)彼。
 
"凄いな" …… この一言に尽きます。
 

ある意味対極の人生を歩んだであろう、彼と私。
ここまでの62年、オマエはどうだった?


これといった意味も目的も見当たらぬままの、思いつき脱線行脚。
私小説やエッセイその他の種子、手土産に持ち帰れたかどうかは……

( ^-^ ) b 今後発表していく拙作の中で、お披露目できますように。

 
#172 / 5266.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?