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立て板に作話

[備忘録]34日目【高次脳:作話がひどくなる 】

2009-04-11 17:58:18
テーマ:高次脳機能障害


高次脳機能障害の症状のひとつ「作話」

脳の記憶欠損による高次脳機能障害の作話とは、実際には体験していないことをあたかも体験してきたことのように話すことである。脳が本人の意識や経験とは関係なく、記憶の欠損部分を埋めてしまうため、高次脳機能障害者にとっては真実の記憶になっているためやっかいだ。

作話は当惑作話と空想作話に分けられ、質問された内容に関する記憶が内場合、過去の経験の一部を取り入れた記憶が出現して回答を補うものが当惑作話。過去の経験のない空想的な内容が空想作話である。脳が記憶欠損を埋めるために作られる話のため本人に嘘をついている意識は皆無だ。

父は重度の脳外傷を受けた。その後遺症としての症状がつぎつぎと姿形もかえて現れるよになった。日常生活どころか、作話が酷いと社会生活にも支障が出る。それどころか真実を異なることを話し出すので、家族はたまったものではない。しかし脳を損傷した被害者にとっては全て真実なため、聞いている方は家族の言うことより被害者の言うことを信じてしまう。私にとっては交通事故による二次被害だった。

見えない障害による辛さ


『見えない障害』とはよく言ったものである。本当に見えないからだ。本人は真実だと信じ切って話しをしているため、聞き手は疑いようがない。なんかおかしなこと言っているなと思ってもらえる作話ならよい。今回の日記のように謎の生物ピグミーを飼っているという作話ならば微笑ましいのだが、娘に財産を奪われるなど事実無根な作話を親族に言ってまわられるのはさすがに辛かった…。

本当につらいのはお父さんだからね

「本当についらいのはお父さんだからね」という常套句。父の裁判の傍聴時に県会議員に言われたのが最初だ。まだあの頃は殴られて鼻の骨がおれて全治三ヶ月という暴力事件が起きる前だったし、介護生活も2年とちょっとだったから容易に口にできたのだろうが、「本当に辛いのはお父さんなんだからね」と父の付き添いもかね出席した伯父の葬儀の席で従姉妹に言われ時は、さすがに自分の精神障害者手帳を提示した。この時点で介護15年目あんまりな言いようだが所詮その程度の人間なのだ。

介護者が障害者に

長年の裁判生活と介護生活の二重生活は確実に私の精神と体力を蝕み、それに追い打ちをかけるというか、私の母は、私の娘がヘルパーだからヘルパーなんかいらないという頑なな人だったため見るに見かねたケアマネに勧められて私にヘルパーをつけるために申請したのだ。父の事故から12年目にして私は手帳保持者になった。うつ病の診断書は裁判時から何度も書いてもらっていたがまさか自分が障害者になるとは思ってもみなかった。