見えすぎているし聞こえすぎているHSPの日常
これを人と比べる術がないのでわからないけど、おそらく私は、他の人よりも見えすぎているし、聞こえすぎている。
いや、霊の話ではないので安心してほしい。
例えば、近くにいる人が何を探しているのかすぐにわかってしまう、などということは日常茶飯事である。
なんなら、あぁ、あの人あれ探してるな、と思いつつ、すぐに言うのも気持ち悪いかななんて思ってタイミングを見計らったりもする。
どうしてこのようなことが多発するのか。主観になってしまうがここでワタシ分析を挟ませていただく。
あの人がそれを探す、その前の瞬間までに私は目から耳から、色々な情報を得ている。意識的に何かを感じたり考えながら情報を捉えている時もあれば、無意識のうちに頭にインプットしていて、後から結びつくような時もある。
その後に起きる謎に対してのヒントを、私の五感が先に集めているような感じ、といえばいいだろうか。
そんな表現をするのは少し大袈裟すぎるのだろうか。
仕事中、私と少し離れたところでやりとりをしている二人。その二人の話、噛み合っていないのが耳に入ってくる。
あ…、〇〇さんがあれを勘違いしている…。
などと、もやもやしたりする。
きのう勤務先のビルで、私は倉庫のある4階から7階に上がるため、エレベーターを待っていた。
携帯に目線を落としたままの男性が私の横に並ぶ。この人、下に行くんじゃないかな。わかんないけど、そんな気がする。私、上行きのボタン押してるんだけど、この人それでいいのかなー…。
「上で大丈夫ですか?」
と言おうかと迷ってるうちにエレベーターが鳴り、ドアが開く。男性の目線は依然として携帯に釘付けのまま、彼もエレベーターに乗った。
次の停車階は、私の降りる7階だった。
その男性もエレベーターを降りた。するとやはり彼はそのままエレベーターホールに留まり、またボタンを押すのであった…。
ああ、言ってあげればよかったな。
と、こんなことは、他の人にとってもあるあるなのかもしれないが、上記のようなプチ後悔も少なくない。プチ、だけど…。
聞こえすぎるのは、良いことだけではない。
悪口、とまではいかないが、例えば私へのデリカシーのない言葉なども、耳が拾ってしまう。
正確にいうと、その音自体は聞こえなくても、前後の言葉と周りの反応、空気で読み取ってしまうのである。
これに関しては、それこそ勘違いだよ、思い込み、と言われればそれまでだが。
幼い頃から私はこれらのことを、“勘が鋭い”とか、“観察力がある”という言葉でしか表現できなかった。
そんなところに最近しっくりきたのが、「見えすぎているし聞こえすぎている」という表現。
そう、ただ、見えすぎているし聞こえすぎている。のだ。
そんな私のような人は他にもいると思うのですが、皆さん今日もお元気ですか。
私の最近のポイントは、“ただ”、そう思うこと。
ネガティブな感覚の場合、そこに余計な解釈やストーリーをつけない。
あと、人の役に立つことならば、気軽に言ってあげよっと。探し物は、さり気なく教えてあげると喜ばれます。
当然か。笑
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