「有害な男らしさ」ですって!「有害な男女平等」が怖い。

最近「有害な男らしさ」という言葉を何度か聞きました。

読売新聞によると、「過剰な男らしさへのこだわりが、性差別につながるほか、男性自身を苦しめることになる」のだそうです。

男の子の子育てをしていると、

「男なら泣くな!」

「男のくせによくしゃべるなあ」

などと言ってしまいます。

これ、今の世の中ではNGなんだそうです。

「過剰な男らしさ」を求めてしまっていることになるのだそうです。

私自身、女性として生まれてきて、仕事も大好きだったから、

男性と平等に評価されたい、という気持ちも理解できます。

社会人になって、女性に活躍の機会を与えてくれる会社で働いたこともあり、さくさくと出世したこともあれば、女性はあくまで男性の補助として扱われるような会社で働いたこともあります。

男女平等ではない、と感じた会社は、通信会社のトップカンパニー、旅行会社のトップカンパニー、大手広告代理店など、古くから続く大会社が多い気がしました。

でも、そんな扱いを受けてきても、昨今の「男女平等」は、主婦の目からすると、少しやりすぎな気がしてしまうのですが、いかがでしょう。

幼稚園、小学校では、出席番号は男女混合のあいうえお順。

男の子も「~くん」と呼ばずに、女の子同様「~さん」と呼ばれる。

子どもが学校であったことを話しているのを聞いてると、ほんとややこしい。

でも、男の子として生まれてきて、女の子として生まれてきて、性同一性の方には改めて理解を示すとして、そのまま育っていけば、ある程度役割があるわけですよね? 多くの夫婦が男と女の結婚で成り立っていて、夫婦で子どもがほしいとなれば、女性は出産という人生で一番ホルモンバランスが壊れて、命をかけて乗り越えるわけですよね。その際、少しは仕事を休まざるを得ないわけで、男性は、現代の医療では出産したくてもできない分、仕事を休まざるを得ない女性の分も、働いて支えようとしてくれるわけですよね。

少なくとも発生してしまう役割というものがあるわけで、それを軸に人生を考えたら、少しは「男なら」「女なら」という教育、必要だと思うんですけど。だめなんでしょうか。

「人間はみんな平等」というのは、日本国憲法で保証されているけれど、それでも眞子様が小室圭さんとのご結婚話には、「天皇家として生まれたからには国民に祝福されるお相手の方を選んでほしい」という声もあがりましたよね。赤ちゃんは生まれる家を選べないけれど、生まれたからには少なからず与えられる役割っていうものが、あるにはあると思うのです。一般家庭でも、父親がどうしようもない家庭(私がそうです)に生まれたら、母を支える役割を担ってしまったり、代々病院を継いでいる家に生まれたら(知人がそうです)、継ぐかどうか選ぶ自由はあるけれど、幼稚園入園前から英才教育を受け、医学部への道を自然と歩まされて、結局医者になるという役割を期待される。

そんな、生まれながらに期待されている役割の最たるものが「男」であったり「女」だったりするのではないでしょうかね、

最近、暖色=女の子色、寒色=男性色、というのもダメなようで、我が家のカラフルなIKEAのコップでお茶をの飲むとき、パパも息子も好き勝手な色を使うので、ピンク、ピンク2、オレンジとコップが並んでいると、どれが誰のかわからなくなってしまい、

「あんたら、ややこしいから、男は男色使って」

と言い渡したところでした。

いいじゃん、平等じゃなくても。

男女という区別のほかにも、いろんな不平等があって、そんな社会でたくましく生きていかないといけないんだから。

と思うのは、私だけでしょうか。「それが古い」と言われるのがオチなのでしょうか。

とはいえ、大学のとき、男友達に「お前は女のくせに気、つかへんし、気使われへんよな」などと言われるたびに、「そんなん、女だから必要なんちゃうんちゃうん~。あんたら男も、気つかえ~!」って、なったことがあったのを思い出しました。

たしかに「強くあれ」「泣くな」は、男だけでなく、女性も強くて泣かないにこしたことはないし、「気が付け気を遣え」「愛嬌」「お話上手」は男でもそうなったらいいわけだから、やっぱり、子育てはあんまり「男のくせに」とか、言わないほうがいいんでしょうかね。





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