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センセーと呼ばれる心地好さ

カバのストーカー行為は、警察のお陰なのかパタリとなくなった。
しかし住宅街の中の駐車場に停めるのが怖くて、特別に保育園の保護者用の駐車場を使用させてもらった。
また、昼間は保育園の調理室のお手伝いも週に1~2回やらせていただいた。
給料は少なかったが、デスクトップパソコンを購入し、ネットでいろいろな情報を集めたり、現役保育士の方たちと交流させてもらったりした。
独学でパソコンの事を勉強し、今で言う出会い系サイトのような所にも出入りするようになった。
休みの日は、私の大好きな車(SILVIA等のスポーツカー)のオーナーさんたちが、ドライブに誘ってくれた。
そしてキスはしても、それ以上はしないように気をつけた。
やはりキスは海空先生が1番だった。
身体も穢れてしまったが、海空先生のために浄化させたかった。

1999年4月、母親の知り合いから、派遣社員で事務スタッフを探しているから、稀琳ちゃんにどうかしら?と声をかけられた。
保育園の仕事も楽しかったし、子どもたちに「稀琳センセー」と呼ばれる心地好さも手放したくなかった。
しかし保育士を目指すためには、学費が必要だったので悩んだ。
最終的に園長先生に相談し、月末で退職させてもらって、5月から派遣社員で働くことに決めた。

初めての事務仕事は、独学でWordやExcelを勉強していたのが役に立った。
営業所の事務だったので、電話や来客対応も勉強させてもらった。
ただ派遣社員の給料では、借金を返したら手元に残る金額はほぼ無い状態だったので、夜はカラオケ店でのバイトも掛け持ちした。

カラオケ店でのバイトは、19時から深夜1時まで。
帰宅して、テレホタイムでネットに繋ぎ、チャットして寝るのはいつも4時頃。
そして7時に起きて、営業所には9時出勤と言う、かなりハードスケジュールだった。
でも、会社ではおじさま方に可愛がられ、カラオケではお客さんとの絡みが楽しくて、充実していた日々を送っていた。

ある日、カラオケの常連客のイケちゃんから、飲み会に誘われた。
イケちゃんの会社の野球部の飲み会で、いつもカラオケに一緒に来る人が数人いるとの事だった。
私は、ちょうどバイトが休みの日だったので参加することにした。

これは1999年春から初夏の頃のエピソード。
やっとカバからの呪縛から解き放たれた頃です。
イケちゃんは、ストーカーの話を知っていて、よく気にかけてくれていました。

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