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思想・哲学・宗教・人物(My favorite notes)

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思想・哲学・宗教など心や意識をテーマにしたお気に入り記事をまとめています。スキさせて頂いただけでは物足りない、感銘を受けた記事、とても為になった記事、何度も読み返したいような記事…
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#思想

法界と共鳴しつつ生きていることを知る -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(9)

中沢新一氏の『精神の考古学』を読む。 + + 私たちの「心」は、普段、あれこれの物事を、 好き/嫌い 損/得 うまい/まずい 良い/悪い ある/ない うち/そと 容器/中身 などと分けては、 「あちらではなく、こちらを、絶対に選ばなければならない」 という具合に働いている。 「好きなものだけを選びたい、嫌いなものは選びたくない」、「安くてもまずいものは食べたくないが、高くて美味いものも食べられない。どこかに安くて美味いものはないかなぁ」と、これらは一見するととても「良

読書ノート 「井筒俊彦ざんまい」 若松英輔 編

目次  若松英輔   知られざる井筒俊彦 井筒俊彦年譜 I ── 原点と回想 白井浩司  時代への批判者 柏木英彦  遠い日の井筒先生 松原秀一  つかずはなれず四十年 牧野信也  師としての井筒俊彦先生 丸山圭三郎  〈読む〉ということ 河合隼雄  井筒俊彦先生の思い出 安岡章太郎  あの頃の井筒先生 日野啓三  言い難く豊かな砂漠の人 佐伯彰一  求む、井筒俊彦伝――ポリグロットの素顔 瀬戸内寂聴  豪華な学者夫妻 立花 隆  職業選択を誤らなかった話 伊東俊太郎  

暗黒瞑想 宇宙/非宇宙分節以前の”法界の根源的脈動”と微かに共振するアンテナとしての”わたし”へ -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(8)

中沢新一氏の『精神の考古学』を引き続き読む。 松岡正剛氏が『空海の夢』で「仏教の要訣は、せんじつめれば意識をいかにコントロールできるかという点にかかっている」と書いている(松岡正剛『空海の夢』p.23)。 意識をコントロールする例えば、私たちが迷い苦しむのは、自/他、生/死、清/濁、光/闇、などと二つに分けて、そのどちらか一方だけを自分ものにしようとこだわり、他方を遠ざけておこうこだわるから、であると考える。例えば生/死など、前者だけを選んで、後者を捨て去りましょう、など

如来蔵・曼荼羅・色即是空空即是色 -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(6)

中沢新一氏の『精神の考古学』を引き続き読む。 精神の考古学。 私たちの「心」は、いったいどうしてこのようであるのか? 心の動きの全貌を観察するために、表層の分別心だけに依るのではなく、「セム(分別心)を包摂する(深層の)無分別のセムニー」でもって、目の前に浮かぶあれこれの事柄(諸法)を見て、その「意味」をコトバでもって説く。 + + 表層の分別心の道具としての言葉は「あちらか、こちらか」「白か黒か」「ウソかホントか」「自分か非-自分か」「動いているか、止まっているか」

潜在眼で心の深層を「見る」/卵の殻としての言語 -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(5)

中沢新一氏の『精神の考古学』を引き続き読む。 精神の考古学。 私たちの「心」は、いったいどうしてこのようであるのか。 私たちが日常的に経験している「心」は、よい/わるい、好き/嫌い、ある/ない、真/偽、結合している/分離している、同じ/異なる、自/他、といった二項対立を分別するようにうごいている。通常「心」というと、こういう識別、判別、判断を行うことが、その役割であるかように思われている。 しかし、こういう分別する心、分別心は、いったいどこからやってきたものだろうか。

分別する眼と無分別の眼を共鳴させる -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(4)

中沢新一氏の『精神の考古学』を引き続き読む。今回は、第五部「跳躍(トゥガル)」を読んでみよう。「トゥガル(跳躍)」とは、「青空と太陽を見つめる光のヨーガ」である(p.175)。 「光」を「みる」、視覚のモデルこのヨーガを修することで、あるとても不思議な「光」を「みる」ことができるようになるという。 * 通常、「見る」といえば、感覚器官である「眼」に「外界」からの「光」が「刺激」として入力され、それによって神経系に電気的化学的な変化が生じる。その変化がつまり神経系において

執着の源である”言語”を「心の解放」のために転用する -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(3)

中沢新一氏の『精神の考古学』を引き続き読む。 『精神の考古学』 第五部「跳躍(トゥガル)」の冒頭、中沢氏は師匠から授けられた言葉を紹介する。 ベスコープというのは映画のことである。映画を見るのはとても楽しい体験である。感情を喚起され、いろいろなことを考えさせられる貴重な機会である。 中沢氏がネパールでチベット人の先生のもとで取り組んだ修行にも、「光の運動をみる」ヨーガが含まれている。このヨーガで光が見えることと映画を見ることとは、視覚が動くという点ではよく似た体験である

”心”の表層を剥がしていくと -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(2)

ひきつづき中沢新一氏の『精神の考古学』を読みつつ、ふと、松長有慶氏による『理趣経』(中公文庫)を手に取ってみる。かの理趣経、大楽金剛不空真実三摩耶経を、かの松長有慶氏が解説してくださる一冊である。 はじめの方にある松長氏の言葉が印象深い。 苦/楽 大/小 何気なく言葉を発したり思ったりする時、「その」言葉の反対、逆、その言葉”ではない”ことを、一体全体他のどの言葉に置き換えることができるのか、できてしまっているのか、やってしまっているのか、ということをいつもいつも、「頭

詩的言語/サンサーラの言葉とニルヴァーナのコトバの二辺を離れる -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む

しばらく前のことである。 「人間は、死ぬと、どうなるの?」 小学三年生になった上の子が不意に問うてきた。 おお、そういうことを考える年齢になってきたのね〜。と思いつつ。 咄嗟に、すかさず、大真面目に応えてしまう。 生と死の二項対立を四句分別する。 念頭にあるのはもちろん空海の「生まれ生まれ生まれて、生のはじめに暗く 、死に死に死に死んで、死のおわりに冥し」である。 こういうのは子どもには”はやい”、という話もある。 が、はやいもおそいもない、というか、はやからずお

中沢新一氏の新著『精神の考古学』を読み始める

中沢新一氏の新著『精神の考古学』を読んでいる。 私が高専から大学に編入したばかりの頃、学部の卒研の指導教官からなにかの話のついでに中沢氏の『森のバロック』を教えていただき、それ以来中沢氏の書かれたもののファンである。また、後に大学院でお世話になった先生は中沢氏との共訳書を出版されたこともある方だったので、勝手に親近感をもっていたりする。 中沢氏の書かれるものには、いつも「ここに何かがある」と思わされてきて、特に『精霊の王』、『レンマ学』、『アースダイバー神社編』は丸暗記す

¥310

マニ教の終末論を深層意味論で読む

(本記事は無料で最後まで立ち読みできます) 前回「マニ教の創世神話を深層意味論で読む」に引き続き、青木健氏の著書『マニ教』を読む。マニ教は「善悪二元論」「光と闇の二元論」として知られる、西暦3世紀の西アジアで生まれた宗教である。 前回の記事では、青木健氏の『マニ教』に描かれた、マニ教の創世神話(世界の始まり、世界の起源についての神話)にあたるものを、深層意味論の手法で読んでみた。 それに対して今回は終末論である。 要するに、この世の終わりである。 * * 一般的に

¥710

鈴木大拙のデビュー作『大乗仏教概論』

鈴木大拙のデビュー作がこの『大乗仏教概論』。 大拙はアメリカを拠点として西洋相手に東洋や日本の宗教および哲学を普及させたひと。世界でもっとも影響力のある日本の知識人です。 本書もやはり原書は英語で書かれています。 タイトルに反して大乗仏教の概論としては誤りの多い問題作。だから本人ものちに本書の存在を封じました(本人の意志を尊重するなら出版すべきじゃなかった著作)。 しかし大拙自身の思想を明らかにした著作として読めば名作です。 法身を宇宙にあまねく汎神論的な神と解釈し

仏教の哲学「唯識」が描く世界。私たちは共同幻想に生きている。近藤伸介氏インタビュー。

「唯識(ゆいしき)」という思想をご存知だろうか。大乗仏教を代表する哲学として知られる思想だが、この思想を西洋哲学と比較研究しているのが近藤伸介氏だ。最先端の物理学の文脈でも少しずつ注目されているこの「唯識」について、近藤氏にお話をお伺いした。 2500年の歴史がある仏教。-本日は「唯識」についてお聞きできればと思います。 近藤:どうぞよろしくお願いいたします。仏教には専門用語も多いですが、なるべく分かりやすく、興味を持っていただけるようにお話できたらと思います。 -まず

GPT-4に秘伝の?神話分析のやり方を教えてみた -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む【番外編】

GPT-4は神話を分析できるだろうか? * * この一年ほど私は下記マガジンにまとめている一連の記事を通じて、レヴィ=ストロース氏の神話論理を”創造的に誤読”しながら次のようなことを考えてきた。 神話的思考(野生の思考)とは、下記図1における、Δ1とΔ2の対立と、Δ3とΔ4の対立という二つの対立が、”異なるが同じ”ものとして結合すると言うために、β1からβ4までの四つのβ項を、いずれかの二つのΔの間にその二つの”どちらでもあってどちらでもない両義的な項”として析出し、こ