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⑤同人活動における説明責任と回答の透明性の重要性について(2023/12/17頒布♦️受アンソロジーのノベルティ問題)

皆様こんにちは。
ノベルティ・非公式グッズに関する関連記事をお読みいただいた皆様、ありがとうございます。

初めてこちらをご覧の方は、ぜひ最初の記事からご確認ください。

今回はこれまでお話ししてきた問題から少し幅を広げて、「同人活動」における説明責任と、その回答の透明性についてお話ししたいと思います。

この記事では、特に同人アンソロジーの主催者としての責任に焦点を当て、その重要性について考察します。


◼️アンソロジーの主催が負う「責任」とは


同人アンソロジーの主催者が具体的にどのような役割を担うかについては、他の方が書かれた以下の記事が参考になります。

「主催者」という言葉は、「会合や行事などを主催する人や団体」(精選版 日本国語大辞典)と定義されています。簡単に言えば、イベントなどの運営を取り仕切る中心的な存在を指します。

同人アンソロジーにおいては、主催者は企画から発行、頒布に至るまで、すべての責任を負う立場です。さらに、何らかのトラブルが発生した際には、その対応や説明を行う義務が生じます

トラブルがなければ主催者の負担は軽減されますが、問題が生じた場合には、その責任をどのように果たすかが重要です。特に、その対応次第では、アンソロジー自体の評価だけでなく、関連するキャラクターや作品、ひいては公式(原作)に対する印象にまで影響を与える可能性があります

二次創作というグレーゾーンでの活動では、リスクが伴うため、説明責任の果たし方が極めて重要です。


◼️説明責任とその継続性


今回のケースでは、主催者様が作製したノベルティ(非公式グッズ)が「公式グッズと誤認されるのではないか」という疑問を抱いた方々から、ガイドライン違反に該当するのではないかとの指摘が複数寄せられました
これに対し、該当アンソロジーアカウントは弁明文を提示し、それをもって「説明責任は果たした」としてノベルティの頒布を実行しました。

しかし、提示された弁明文は多くの疑問が残る内容でした。(詳しくはこちらの記事をご確認ください)

そのため、その後もノベルティに対する指摘が続きましたが、関係者側はその後の問い合わせには一切対応しないと宣言しました。

ここで疑問となるのは、

「説明責任」とは「一度きり」で完結するものなのでしょうか?


一度出した回答に疑問が生じた場合、再度考えを整理し、改めて説明することが自然な流れではないでしょうか。少なくとも、多くの社会的な場面や仕事のやりとりにおいては、こうしたプロセスが一般的です。

もちろん、やりとりが無限に続くことは不毛ですが、今回のケースではわずか一度の説明のみで打ち切られた点が問題です。曖昧で不十分な説明を一度出しただけで、「これ以上は対応しない」と一方的におしまいにされては、納得がいかない受け取り手が出てくるのも無理もないことではないでしょうか。


◼️問い合わせと回答の透明性について


今回のアンソロジーアカウントの問い合わせフォームは、一般的な同人アンソロジーと比べて非常に特殊な条件が課されています。

通常、アンソロジーアカウントの問い合わせ方法としては、以下のような形式が一般的です。

(※参考までに、2024年8月17日に「アンソロジー」でX上で検索して調べた範囲)
・専用問い合わせフォーム(名前/メールアドレス/記入欄の3項目程度)の設置が11件
・問い合わせ専用メールアドレスの記載が11件
・マシュマロ・質問箱・wavebox・お題箱等の設置が16件
・問い合わせ先の記載無し(主催かアンソロジーアカウントに直接連絡)が25件
・「アンソロジーアカウントにDMください」が12件

これに対し、問題となっているアンソロジーアカウントの問い合わせフォームでは、以下のような条件が課されています。

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdcHYqrKU6pLTA0_odUZWNkU_8DzBjJC-XhoaQKV1XqpHkNcA/viewform
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdcHYqrKU6pLTA0_odUZWNkU_8DzBjJC-XhoaQKV1XqpHkNcA/viewform
https://bsky.app/profile/komugi-sarasara.bsky.social/post/3kztnmtpcax2x

条件の抜粋:

X (旧Twitter) アカウントのIDの記載の必須(鍵アカウントや作成1年未満のアカウントは不可)
・条件を満たさないアカウントからの問い合わせの場合、問い合わせへの返信はしない
「ノベルティに関する問い合わせ」には回答しないと明記

このように、非常に限定的な条件を設けることで、問い合わせ自体が制限され、結果として透明性が損なわれていると言えるのではないでしょうか。
また、匿名性が保たれない状況での問い合わせは、相手に圧力をかける一方的な対応であり、公平性や説明責任の観点からも問題があります。

さらに、こうした厳しい条件を設定する背景に、実際にはノベルティに対する複数の問い合わせが続いていたことがあると推測されます。それであればこそ、再度全体に向けて誠実な説明をすることが、主催としての責任を果たすために必要だったのではないかと考えます。

また、件の主催側は現在「連絡はDMへ。」と明記し、問い合わせ手段としてDMを推奨しています。
確かに、DMは双方の素性を確認しながらチャット形式で対話できるという利点がありますが、そこには一つの大きな問題があります。
それは「全体への透明性」が欠けている点です。

問題が初めて浮上した際に出された弁明文(2023年12月)が、指摘された問題に的確に答えていなかったため、その後も複数の問い合わせが続きました。
しかし、その対応を個別のDMで閉じられた場で行うことは、主催者が取るべき「説明責任」を果たしているとは言えません
問題に対する回答や見解が他の参加者や関係者に共有されないため、疑念や不信感が解消される機会が失われるからです。

もし主催者様側が真摯に問題に向き合い、透明性を保とうとするならば、「先日の回答に対してこういった問い合わせがあり、それに対して現在はこのように考えています」という形で公開された場で説明を行うことが求められるのではないでしょうか。そうすれば、閉鎖的な対応による不信感が軽減され、より健全な運営が可能になると考えます。

複数の人が不信感や疑念を抱いているこのノベルティ頒布の件について、誠実で透明性のある説明が行われ、少なくとも一定の納得を得られた時こそ、初めて「説明責任が果たされた」と言えるのではないでしょうか。


◼️匿名性とその役割


弁明文以降も、主催者側には複数の指摘が寄せられていましたが、それらに対する返答はなく、事実上の無視が続いていました。
そこで自分としては、この問題を明確にし必要な説明を求めるために匿名の「問題提起用アカウント」を立ち上げ、疑問を投げかける形を取りました。

しかし、主催者様側はこのアカウントをブロックし、さらに「匿名で誰だか分からない相手の問い合わせには答えない」というスタンスを取ったのです。
その反応を見て感じるのは、「誰が言っているか」が最優先事項であり、「何が問題として提起されているのか」という点が後回しにされているのではないか、という疑念です。

匿名での問題提起は、確かに無責任に映ることもあります。しかし、企画に対して複数の関係者が関わる場合や、周囲に与える影響を考慮した結果、身元を伏せた上での指摘が必要になることもあるでしょう。また、いわゆる読み専と呼ばれる方にとっては、質問すること自体のハードルが上がります。こうした匿名性は、単に身を守るためだけでなく、公平に問題を議論するための重要な手段でもあると自分は考えています。

それにもかかわらず、主催者側は匿名の疑問や指摘をその内容ではなく、「誰が言っているか」に重きを置き、相手によって門前払いにしてしまう。相手を選んで対応するような窓口の在り方では、問題に正面から向き合う姿勢があるとは言い難いのではないでしょうか?


◼️まとめ


説明責任とは「一回きり」で終わるものではなく、疑問が再度提起された場合には、そのつど疑問に対して誠実に対応することが必要です。そうした対応こそが、同人活動における信頼関係の構築につながるものと考えます。

この記事をお読みになられた皆様は、どのように感じられるでしょうか?

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