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安全基地に避難して気がついたこと

前回の記事を書いてから、約1ヶ月が経ちました。

あの後も結局メンタルは回復しなくて、ちょっとのことで不安になってソワソワして焦燥感に駆られて、次はいつ過食するか不安で、詰め込んで自責してさらに落ち込んで、もうずっとグラグラだった。
病院に行って高いお金払ってるのに全然良くならなくて、体重は増えるし、一体自分がどこに向かってるのか分からなくて。
もうずっとグラグラで、ひとりではどうしようもできず、実家に避難した。

幸いなことに、私は家族に頼れる環境にあって、かつ会社もフルリモート可だったので、試しに1週間実家から仕事をすることに。そうしたら、食欲もかなり安定して、1週間の帰省中は一度も過食をしなかった。
母親とも色々話して、オンラインで1度心療内科の診察も受けて、考え方に少し変化が出てきたので、記録として残してみる。

まず、むちゃ食いという食べ方は、自分の心の揺らぎに対するリアクションのひとつに過ぎない、ということ。
きっかけは、オンライン診察後の母親との会話から。

私「多分、むちゃ食いが癖っぽくなってるところもあるとおもう」
母「そうなの?癖なんてあるの?(納得いって無いっぽかった)」
私「1度捻挫したら同じところを痛めやすいみたいな感じで、ダメになっちゃった気持ちが『むちゃ食い』って形で出やすくなっちゃってるんだと思う」

そこまで自分で言って『なるほど』と思った。問題なのは、食べ方じゃないじゃんか、と。

私はこれまで、食べ方にばかり意識を向けていて、「食べてしまった」「3食しっかり栄養をとっているのに治らない私はどうしようもない」と思っていた。(多分これからもそう、きっと完全に変わったわけじゃない)
ただ、むちゃ食いしない1週間を過ごしてみて、食べ方は心の揺らぎに呼応することを感じた。
逆に言えば、いくら過食を抑えようとしたって、そして出来たとしたって、私のこのグラグラした気持ちを手放せなければ、完全な克服とは言えないんじゃないかと考えるようになった。

多分、これからも、ひとりで過ごしてたら同じことを繰り返して、自分を責めて、消えたくなっちゃうこともあると思う。
でも、なんとなく、グラグラした気持ちとの付き合い方をどうにかしよう、という方が、「『食べ方』をどうにかしなきゃ」と思うより、私にとっては気が楽な向き合い方な気がしている。

多分、ただ帰省しただけ、ただ食べないでいられただけじゃ、ちょっと違う展開になっていたと思う。
限界で限界で、「避難」という形で家に駆け込んだからこそ開けた視界なのだとおもう。
1日も会社に行かないのは少し気が引けたけれど、今回このタイミングで帰ったのは、きっと正解だったのだと思う。

今日からまたひとりで頑張らなきゃだけど、どうせダメでもともとなので、上手くいった日は全力で自分を褒めて、上手くいかなかった日はちゃんと自分を労りながら、程々に生きていこうと思う。