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美味しくて楽しい人生と許し

体型が変わることを許すこと、過食する自分を許すこと、楽しく毎日を過ごすこと、美味しくご飯を食べること。

体型への執着をまるっと手放すことは出来ないんだろうな。でも、自分を痛めつけさえしなければ、別にそれでもいいんじゃないかとは思っている。

過食する自分を許すこと、それが今の私の中では「食で自分を甘やかすこと=美味しくご飯を食べること」と繋がっている。
楽しく毎日を過ごすこと、美味しくご飯を食べることが、過食を許すことで見えてくると思っていたところがあるんだろう。
でも、楽しく毎日過ごして、美味しくご飯を食べられることが、「過食が無くなること」に繋がることがあったとしても、「過食を許すこと」がそのふたつに繋がることは無いんだろうな、とおもった。

過食を許して、自分を責める苦しさはなくなるかもしれないけれど、過食は楽しくない。
いや、正確に言えば最中の自分は楽しいと感じている。
でも、結局それは罪悪感だけでなく身体的な苦しさに繋がるから、過食でなくちょうどいいで終えられる方が絶対にいい、楽しい、心地いい。(これはあくまで私の感覚)

楽しく毎日を過ごすこと、美味しくご飯を食べること、を、今1番念頭に置いているけれど、それらを「過食を許すこと」の先に置いている限り、「楽しく過ごしたい」「美味しく自由にご飯を食べたい」と思った時に、結果的に過食を引き起こしちゃうんだろうな。

過食は、無くしたい。悪じゃないとして、それでも無くしたい。
行き着きたい場所はそこだとして、「過食を許すこと」「楽しく毎日を過ごすこと」「美味しくご飯を食べること」3つとも必要だとしても、「過食を許すこと」とあとの2つは切り離す必要があるんだと思う。