台湾おひとりサマ日記1
私は今大学前の星巴克(スターバックス)でこの文章を書いている。
何気ない日常のように聞こえるが、実はこれも3ヶ月ぶりのことだ。
今から約3ヶ月前の5月15日、私の日常は突如一変した。
今回はそんな話をしようと思う。
非日常の始まり
5月15日
いつものように家でのんびりしていた私はふと目にしたニュースに驚いた。
【本日のコロナ感染者数180人】
(フォーカス台湾HPより)
初動から約1年、日本をはじめとする各国がコロナに苦しむ中、徹底した対策で感染者数を抑え続け”優等生”とも言われた台湾。
4月下旬からチラホラと感染者はいたが、それでも本当に僅かだった。
前日の14日も確かまだ2桁台であったはずだ。
大学もマスク着用、QRコードなどで入場制限をしつつ普通に対面授業をしていた。
それがたった1日で3桁に、それも200近くまで増えるとは...
呆然としている間に次々とニュースが飛び込んでくる。
【コロナ警戒レベル3へ】
【店内飲食禁止、全店持ち帰りのみ】
【全ての教育機関はオンライン授業へ】
ハッと我にかえった私は急いで近くのスーパーへ向かった。
が時すでに遅し、陳列棚はもぬけの空、レジには長蛇の列。
慌ててもう一軒、もう一軒.....
その日計6軒のスーパーを回ったが結局一つも物が買えず、仕方なく家に帰り非常食のカップラーメンを食べた。
そうして不安な中眠りについた。
友人の帰国
明くる日、前日の夜にネットで探しまくった結果大型スーパーならまだ在庫があるという、慌てて家を出た。
スーパーは噂を聞きつけたであろう大勢の人で溢れかえっていた。
(スーパー入り口でコロナ対策の来店記録をする人たち)
まるで1年前の日本を見ているようだった。
その日も3桁の感染者数が出ており外出は怖かったが生きるためにと急いで食料を買い占め汗だくで帰宅した。
家に着きスマホを見るとLINEが入っていた。
『家族と話して一時帰国することにした』
『私も、日本もコロナ多いけどこっちに1人も心配だから』
数少ない日本人の友人からだった。
その時点で学期終わりまでのオンライン授業が決定しており、夏休みも入れると9月まで自宅待機のため一時帰国することにしたようだ。
私もすぐさま母に連絡を取り、「帰ってきてもいいよ」と言われたが飛行機代や2週間の隔離のこと、3ヶ月後台湾に戻ってこれるかを考えて帰国をやめた。
その時はまだこの先のステイホーム生活を甘く見ていたのだと思う。
ステイホーム生活 in 台湾
そうして私のステイホーム生活が始まった。
元々大学の寮ではなく、外にアパートを借り一人暮らしをしていた私はルームメイトや彼氏がいるわけでもなく非常に退屈であった。
それでも最初の1ヶ月はオンライン授業があり、1日に1度は画面を通して会話をする機会があった。
前までは退屈だった授業も会話をする機会があると思うと嬉しくなった。
大学の友人達も気にかけて「大丈夫?」と気に掛けるLINEや、生活のアドバイスをくれたりした。
特に外国人学生向けの中国語クラスでは担当の老師(先生)がとても優しく常に私たちの生活を気にかけてくれた。
たわいもない会話や、最近の生活の話などをみんなで共有しあっていた。
(大好きだった中国語のクラス)
しかしそんな日々も終わり、6月25日から夏休みに入った。
本当の辛さはそこからだった。
孤独の夏休み
普段の授業も終わり、本当の意味で私は孤独になった。
台湾人のコロナ対策は本当に素晴らしく、
一時期は700人近くいた感染者もこの頃には2桁台に戻りつつあった。
街中はゴーストタウンと化し、通勤などでしか外出しない人がほとんどだった。
(午後9時過ぎの大通り、いつもはたくさんの車が行き交う)
台湾人が頑張っている中、台湾に住む外国人も協力しなくてはいけないと
私自身も食料確保以外は徹底的にステイホームしていた。
我ながらに素晴らしい徹底具合だったと思う。
コロナが怖かったのもあったが友人達が帰国し、心配してくれた台湾人の友人も帰省しているのがほとんどだったため、本当に家にいるしかなかったと言うのもあったと思う。
(知り合いの大人はたくさんいたのでいざと言う時頼れる人はいた)
1人の夏休みは寂しく、生活習慣の乱れもあり精神的にもかなり辛かった。
しかしそんな私を助けてくれたものもあった。
1つは音楽、誕生日に買ったウクレレだ。
高校の友人から「気軽に始めれるよ」と勧められ、4月に両親からの誕生日祝いで楽器屋に買いに行った。
暇さえあればコードを調べひたすら弾きまくった。
ウクレレを弾いていれば時間も過ぎるし、何より好きな曲が弾けるようになる喜びもあった。
購入当時はこんな事態を予想もしていなかったのだが、今は本当に過去の自分に感謝している。(もちろん両親にもね)
(あ、あと音楽にも♪)
2つ目はPodcastだ。
元々超絶おしゃべり好きな私はこのステイホーム期間きっと人一倍苦しんだ。
なんせ喋り相手がいない、喋りたいことはたくさんあるのに、だ。
もうこうなったら1人で喋ってやろう。
そうやってテレビを見ながら、ご飯を作りながら、お風呂に入りながら、1人で喋り続けていた。もはやひとりごとの域ではなかったと思う。
そしてふと気付いた。
「いや、これPodcast始めれば良くない?」(本当に声に出して言った)
そうして『エイプリルの台湾ないと!』と言うダサいながらもこだわりのあるタイトルでPodcastを始めた。
(こんな感じでSpotifyでも聴けちゃいます!とちゃっかり宣伝)
かねてより興味があったこともあり、そりゃあもう狂ったように投稿した。
多い時は2日に1本、気付いたらYouTubeの投稿数を超えていた。
ウクレレと並ぶストレス発散方法だったと思う。
そして3つ目。
やはり家族であった。
暇さえあれば(いや暇さえなくても)テレビ電話をし、私の止まらないマシンガントークを聞いてくれた。
最近の生活、日本の近況、面白かった映画などなど。
なんだかんだでウクレレやPodcastよりも家族と話している時間が何よりの癒しになった。そしてそれは今でも続いている。
(最近しつこすぎるほど電話かけてるけどね、ごめんみんな)
そうして孤独ながらも私のステイホームはいろんな人や物に支えられていた。
近況
台湾国民の努力のおかげか感染者はみるみるうちに減っていき、7月27日についに警戒レベルが2へと下がった。
そして先日8月3日には私の住む台北でも条件付きで店内飲食解禁となった。
長い長いステイホーム生活もひと段落着いたところだ。
実はまさにこれを書いている今が私にとって約3か月ぶりの店内飲食になる。
(今まさに、な写真。店内は距離を置いてチラホラ人が)
映画館や美術館などの施設も条件付きではあるが次々と再開し、感染者数も10日には3人まで減った。
(短期間で驚きの減少)
QRコードによる管理やマスク着用などの対策は引き続き徹底しており、いつぶり返すかわからないため気をつけながらであるが、ひとまずは日常が戻ってきたという感じだ。
先週には久しぶりに台湾人の友人にも会えた。
今は以前より当たり前の日常に感謝しながら日々を過ごしている。
このステイホーム期間は寂しくもあったが、また一つ私を成長させてくれたとも思う。
そして一刻も早く世界のコロナ感染状況が落ち着きまた楽しい日常が戻ってくることを心から祈っている。
2021.08.12
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