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生きていくこと、そのあとのこと

一年間ほとんど家に居た19才長女の新生活が始まっています。先日、朝の通学途中に電車が止まってしまって、『復旧まで1時間半かかるって』とLINEが入ってきました。とりあえず、長女に電話をかけました。

「車で送ろうか?」
「戻る電車もいつ来るかわからなくなってる。迂回ルートはあるけど、間違えそうで」

行くしかないだろと言いたいけれど「そうなんだ」と相槌あいづちだけしました。

「このまま待つわ」
「そう」

その時間通り復旧する保証はないよ。迂回すれば数10分の遅刻で済むのに。でも、言わないほうがいい気がして呑み込みました。本人が決めたことだから。そうして生きていくのだから。


その時、私は最寄駅近くの駐車場にいました。いくつか用事を済ませてから、お墓に行くつもりでした。お墓は学校と逆方向に車で40分のところです。行ってしまえば長女のフォローはできません。少し迷ったけれど、そのまま行くことにしました。少しずつ彼女から手を離そうとおもいました。


霊園の周辺を散歩して、川を眺めたり
足元の花を撮ったりして

大きく息を吸って吐いてから、お墓に向かいます。

毎回、花が立ち枯れているかどうかと緊張します。だれかが来てくれたという、ありがたいしるしなのだけれど、立ったまま事切れてにおう水に浸かっている姿を見ると、なんでこんなことにと途方にくれてしまいます。

この日は、ありませんでした。
ほっとしました。

はじめは生花を使いましたが、体調を崩してしまったので造花にしています。花立はなたてを水洗いして乾かしてから、雨が入りにくいように大きな牡丹を追加しました。


お線香は3本にしています。こどもの頃からの習慣で、私がうちの仏壇にそうしていたからです。父から、ひとつは仏さま(故人)のため、ひとつはご先祖のため、ひとつは世の中のためと教わりました。

今、検索してみたら、天台宗や真言宗が3本のお線香をお供えするようです。3本には意味がたくさんありました。仏さまと仏さまの教えとそれを実行するそうだとか、もとは3種のお香を焚いたとか、過去・現在・未来を表すなど、おもしろくなってきました。父から教わった3つの意味とは、付かず離れずというところでしょうか。(少し遠いか?)

ひとつ
仏さまのため

ひとつ
ご先祖のため

ひとつ
さっき電車をとめた人がいる、こんな世の中のため

手を合わせて黙祷しました。




立ち枯れる仏前の花せいも死もいつも身近にあるということ

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