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「大坂なおみ選手を支持するか否か」の問いかけを超えたい

テニスの大坂なおみ選手が全仏オープンでの会見拒否を表明し、のちに大会を棄権したことに関連して、6月1日に『大坂なおみ選手”depression”の和訳から考えるメンタルヘルスを語ることの繊細さ』という文章を書いた。

"depression"を日本のそれぞれのメディアがどのように訳したかという視点から、メンタルヘルスについてその実状を断定することの難しさと、一方で本人の語りを矮小化してしまうリスクを考えた。大坂選手のニュースが話題になっていたとあって、自分の想定以上に多くのアクセスがあった。最初は「訳し方がちょっと気になった」程度の関心だったのだが、このトピックをもう少し追ってみようという気持ちになって、連日報じられるこの件についてのさまざまな記事やSNSでのコメントを意識して読んでみた。

テニス選手と記者会見について、過去のネガティブな出来事をまとめた記事(AFP通信)からは、会見での負担を複数の選手が感じていることが分かった。今大会に参加しているほかの選手、主催者側の反応(テニスマガジン)をチェックしたり、現地で取材している記者のレポート(Web Sportiva、内田暁)を読んだりして、現場や業界の文脈では彼女の発言がどう見えるのかを探った。

内田暁さんはYahooでも記事を書いていて、現地の空気感や会見で質問をする側としての思いがよく伝わってきた。個人的にはこれを読んだことで今回の一件が自分のほうへぐっと近づいた感じがした。ぜひ多くの人に読んでもらいたい。

SNSやテレビのコメントを見ていて多かったのは、「理由があったとしても、大坂選手の取った手続きに問題があったのではないか」という声だ。まずは大会主催者に直接話をするべきで、いきなり自身のSNSに投稿するというのは踏むべき手順を誤っているのではないか。この声に対しては、私もその通りだと思った。たとえば企業に勤めていて、体調を崩したので仕事の仕方を変えたい、休職をしたい、というときは、医師の診断書を持って上司に申し出て、規則で定められている手続きを取る、というのが一般的だ。まずは閉じた場で、当事者同士で対話を試みるというのが、いちばんスムーズで妥当なやり方に思える。

しかし、重要な指摘もあった。Number Web 『「なぜ大坂なおみは会見拒否を宣言したのか?」四大大会取材歴20年以上のテニス記者が考える“苦悩の正体”』から引用する。

もし大坂が大会側へ精神的に不安定な状態を相談した上で「記者会見を行いたくない」という要望を出したとしたら、運営側もメディア側も理解と配慮を示したはずだ。ただ、それは大坂個人の問題としてのみ扱われた可能性が大きい。システムもルールも変えず、大坂が克服しなくてはならないことであり、大坂が適応しなくてはならないのだと。それまで待ちましょう、サポートはしますよと。それは多分、大坂が望む解決策ではなかった。

大坂選手が本当に求めたのは自身の会見出席の免除ではなく、会見出席を義務付けている規則それ自体を問うことだった。問題は規則通りに行動できないことではなく、実践に苦痛が伴うような規則を設けていることそのものなのだというのが、彼女のステートメントだった。そのために、議論は閉じた場所ではなく開かれた公の場所に持ち込まれる必要があったのだ。

そのことと、主催者側に直接の話をしないというのは、また別の問題でもある。一度自身の会見欠席を認めてもらったあとに今回のツイートをしたとしても、同じくらいの効果はあったのではないか。しかし、もしかしたら公表されていないだけで、主催者側と事前にやりとりをしていた可能性も考えられるし、こればかりは今の時点で全体の経緯を捉えることができない。今この流れの中で重視されるべきなのは、手続きの善し悪しを審判すること以上に、大坂選手の示しているステートメントを、議論するべきこととしてまずはきちんと受け取ることではないだろうか。

大坂選手の会見拒否の表明後、フランステニス連盟(FFT)のジル・モレトン会長が彼女を非難したことが広く報じられているが、女子プロテニスを統括する女子テニス協会(WTA)は大坂の棄権前の段階で、次のような声明を発表している。

WTAは声明で、「心の健康はWTA、そして全ての人々にとって最も重要なこと。われわれには選手の精神面、感情面における健康を守るための専門家チームとサポートシステムがある」とコメント。「心の健康に関する懸念に対処しようとする選手をサポートできるアプローチについて、なおみ(と全ての選手)との対話を喜んで受け入れる」と続けた。
(ロイター、『WTA、大坂との対話に前向き 記者会見拒否で』)

規則の再考までには至っていないが、大坂選手が指摘したメンタルヘルスへの意識について、前向きな姿勢が読み取れる。

大坂が棄権と"depression"を公表したあとには、テニスの四大大会の主催者が共同で声明を発表した。個人的に、これはかなり大きな出来事だと思った。

「グランドスラムを代表して、大坂なおみ選手がコートを離れている間、可能な限りのサポートと支援を提供したいと思う。大坂選手は非常に優れたアスリートであり、彼女が適切と考える時期に復帰することを期待している」
「メンタルヘルスは非常に難しい問題であり、私たちが最大限の注意を払うべきもの。これは複雑で個人的な問題であり、ある個人が影響を受けても別の個人が影響を受けるとは限らない。私たちは、なおみが自らの言葉でプレッシャーや不安を語ったことを称賛するとともに、テニスプレーヤーが直面する独特のプレッシャーに共感している。選手の幸せはグランドスラムにとって常に優先事項だが、私たちはWTA、ATP、ITFとともに、メンタルヘルスと幸福を促進するために、さらなる行動を起こしていきたい」
「私たちはコミュニティとして、メディアとの関連性を含め大会でのプレーヤーの体験や経験を改善していく。ランキングやステータスに関係なく公平な競争の場を維持するという観点から、変化を起こすべきだ。スポーツには、選手が他の選手よりも不当に有利にならないようなルールや規制が必要。私たちは、選手、ツアー、メディア、そしてテニス界全体と協力して、意義のある改善を目指す。グランドスラムとして、選手が最高の栄誉を得るための舞台を作ることを目指していく」

ここでも規則が問題だということには触れられていないが、少なくともこの声明からは、選手のメンタルヘルスを重視する姿勢と、大坂が提起した問題をメディアとも協力して改善していく意欲があるということが伝わる。同じニュースを報じた日刊スポーツの記事は「声明を出すことで、騒動を収集しようと試みた」という書き方をしていて、もちろんそういう部分もあるのだろうが、そうだとしても、世界に向けて公然とそう言わざるをえない状況を作り出したということは、大坂選手が望んだ方向に向けて前進していると受け取れる。

メディア、特にネットの記事はひとつの発言や出来事ごとに配信される。今回の件に関しても、このトップ選手は支持した、この選手は批判した、テレビで著名人はこう言った、スポンサーはこうコメントした、さまざまな支持もしくは批判が数時間ごとに更新されていった。私はそのたびに考えが揺さぶられて、本当のところ自分がどう感じているのか、どの部分を重要だと思っていて、どの部分は問われるべきだと思っているのか、それが分からなくなることがたびたびあった。点々と転がってくる情報を繋ぎ合わせて、全体を見渡した上で自分の考えを都度確かめていないと、無意識のうちに「世の中で生きやすいほう」を選択してしまいそうで、そのひりひりとした危機感を常に感じた。

私は基本的に大坂選手の発言や選択を尊重しているが、同時に彼女の行動が相手との対話を可能にするものだったかということについては、今後改めて問われるべきだと思っている。その、彼女を尊重することと疑問を持つことはどちらか一方を選ぶものではなく、十分に両立できるものなのだと思う。また、彼女の行動の善し悪しと、彼女が提起した問題そのものを議論することも、分けて考える必要があると感じている。

「白か黒か」という問いかけはとても理解がしやすく、その問いかけに回答する形で一度自分の居心地のよいサイドを確保すれば、その後脅かされる心配がない。そのことは、私も思わずその「わかりやすさ」に駆け寄ってしまいそうになるからよく分かる。分かっているからこそ、「白か黒か」で語られやすい流れには慎重でいたい、と思う。自分の手で情報を集めること、自分自身の考えを問い続けること、言葉を尽くして語ることを、忘れずにいたいと感じた一週間だった。

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