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先人の描いた夢

 道路はチューブ状になり、その中をタイヤの無い道路が走っている。人間は乗っているだけで、運転はコンピューターの仕事だ。歩道は屋根のついたコンベアーとなっており、人類はまた、歩く機会を失った。自動車と人間の往く道は交差しないため、交通事故は皆無となり、また過去に懸念されていた、自動車による環境への悪影響も、科学技術の発達により大幅になくなった。石油はとうの昔に枯渇していたが、かろうじて再生可能エネルギーの開発の方が早かった。今では清潔で、無尽蔵に利用できるエネルギーが主に使われている。

 ある時代の小説によく見られる記述だ。学友が幼少期からひたすらに読み続けているというその本の奥付は、彼が生まれる百余年も前に物語が綴られたことを明示していた。もしかしたらこの創作者は、時代を経てこの物語がフィクションからノンフィクションへ変貌することを期待していたのかもしれない。しかし未だに、彼らの夢のすべてが実現することはない。

 未だに自動車は地面を固く塗りこめるアスファルトの上を走っている。人類も同じようなところを歩いており、未だ下半身の運動を要する。自動車の機能の発達により、交通事故は大幅に減少しているものの、不幸な出来事が尽きることはない。ある程度、コンピューターによるサポート機能は充実した。しかし人工知能が走らせる自動運転の車が登場するのはまだ遠い未来のようだ。環境問題が解決することは相変わらず無く、燃料の枯渇まで秒読みであるにも関わらず、代替エネルギーの普及は未だ足踏み状態である。彼らが夢見た鉄の箱は人類のやるべき仕事の大半を行ってくれるようだが、未だ人の手で行うべきことはあまりにも多く、仕事は減る気配すら見せてくれない。そういえば先日、ボタンの多くついた機械から紙が印刷されて出てくるところを見せてもらい、大変興味深かった。ファクシミリとかいう名前の、大昔からある機械ようだ。この時代になってもこんなものが現役で働いているとは、創作者たちは想像しただろうか。もし私の生命活動が終わる前にタイムマシンが製造され、過去へさかのぼり創作者たちに出会えたとしたら・・・彼らにこんな事実を伝えてみたら面白いかもしれない。もっとも、創作者たちは時空旅行者たちと交流があったかもしれないのだが。

 この星は常に激しい変化の潮流の中に身を横たえている、と先日、学友と議論したばかりだが、こうしてみると変化しないこともなかなか多くあるものだな、と思う。この気付きはきっと、良い遊学報告書となるだろう。学友から借りた多くの本、ここでは日本SFと呼ばれているらしい物語を六つの目でもってアッと言う間に読み終えてしまった僕は、十本の触手の先端を湿らす分泌液が、今では貴重な紙製の本を汚してしまわないように最新の注意を払いつつ、転送装置にそれらを安置する。人類に比べてかなり大きく、そのせいで地球での差別の対象となることもある脳を揺らし、テレパシーを小型端末に送信して意識を繋ぐ。相手はもちろん、テレパシーの能力を持たないが、素晴らしい文学の知識を多く持つ学友である。

 彼の先人たちが描いたこの夢の感想を、一刻も早く彼と語り合いたいのだ。

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