「耳をすませば」で人生に思いを馳せた日

リバイバル上映のありがたみ

 小さい頃から、一番好きなジブリの映画は? と聞かれたら「耳をすませば」と答えていた。
 アスペクト比率4:3のアナログテレビで放送されていた金曜ロードーショーをVHSに録画し、繰り返し繰り返し見ていた幼少期だった。小さい頃から本を読むことも好きで、主人公の月島雫のように貸し出しカードに名前を書いてたくさん本を借りて読むことも楽しかったのでそういう部分を自分に重ねていたり、貸し出しカードで名前を知る恋が、顔も知らない人を気になるということが、ロマンチックで不思議な出会いだとおぼろげながら考えていたのかもしれない。あんな恋に憧れていた。

 VHSにはカビが生えるということを、実家の納戸を片付けているときに知った。それくらい長い時間が経っていて、見る手段といえば新しくDVDを買うか金曜ロードショーでの放送を待つくらい。ジブリ作品はサブスク配信されていないのだ。
 今住んでいる一人暮らしの家にはDVDプレーヤーもなければ録画機器もない。それに、「耳をすませば」はここ数年、なかなかテレビでも放送されない。
 最後に見たのはいつだったか。もう物語のあらすじは話せず、「コンクリートロード」とか「バロン男爵」とか「やな奴! やな奴!」とか、そういう印象に残る部分の切り抜きレベルの記憶しか残っていなかった。
 好きなジブリ作品ははっきりと答えられるけれど、内容ははっきり言って全然覚えていない。そんな状態だった。
 
 映画を見に行く習慣というのもあまりなかったが、学生時代、映画好きの友人に「リバイバル上映」という形で昔の映画が映画館で上映されることがあるということを教えてもらった。
 昔の映画をもう一度映画館で見る機会があるということを初めて知った時、私はとても嬉しかった。CMも挟まず、大きなスクリーンと迫力の大音量で放映される目の前の映画だけに集中することができる。映画を見に行く習慣がなくても、好きな作品を映画館で見たいという気持ちはあった。
 逆に、家では映画を見られない。2時間テレビの前に座って目の前の映像だけに集中することがどうしてもできず、「最悪」と言われると思うが、今見てる映画のネタバレを検索しながら映画を流しているだけになってしまう。ファスト映画的な見方をしてしまう。これを「見る」にカウントしてはいけないと思っている。
 だからこそ、映画は映画館で見たい。好きな作品をスクリーンで見てみたい。
 リバイバル上映によって、「耳をすませば」を映画館で見るという小さな夢が叶った。

こんな話だったっけ(ネタバレあり)

 結論から言うと、引くほど泣いた。全然淡い恋のロマンチックな物語じゃない。その要素ももちろんあるけど、主題は「夢を叶えることの難しさ」にあるんじゃないかと思った。これも上手く言えている気がしないけど、とにかくあれだけ印象深かった恋の話はメインじゃないと思った。

 舞台は1990年代の西東京。主人公の月島雫は中学3年生で、市立図書館で働く父と大学院に通う母と大学生の姉の4人家族。本、特に物語を読むのが好きで、いつも図書館に通っている。ある日コーラス部に所属する友人に頼まれ、「Country Road」の和訳をすることになり、「カントリーロード」を作詞し、その余興で「コンクリートロード」という替え歌を作って笑っていたところを謎の男の子に見られており、「コンクリートロードはやめた方がいいぜ」と余計なことを言われ、「やな奴!」と憤った。一方、借りたどの本の貸し出しカードにも「天沢聖司」という名前があることに気づき、同じ本を好むこの男の子は誰だろう、と思いを馳せる。やがて「やな奴」が天沢聖司だということを知り、ヴァイオリン職人になりたいという彼の夢を知り、進路に悩んでいた雫は聖司と並べるようになりたいと決心をして家族の反対を押し切り、勉強そっちのけで小説を書くことに。イタリアへ行くことにより少しだけ夢への一歩を進めていた聖司は帰国した早朝に雫のところへ向かう。

 雫と聖司というメインキャラクター2人に絞ったあらすじをひとまず書き出してみた。
 大ネタバレだが、28年前に公開された映画なので許してほしい。そしてこの文章では映画の魅力は全く伝わらないので、許してほしい。そしてあらすじを書いたはいいものの、好きだと感じたポイントを話すとどんどん脱線していくと思うが、深読みおじさんの浅いオタク語りだと思って許してほしい。上記に書いていないネタバレもどんどん出てくると思うが、どうか許してほしい。

これがTOKYO?


 この映画が公開されたのは今から28年前の1995年7月。
 早速本筋からズレるが、「当時大学院に通う母がいる家庭すごくない? これがTOKYO?」と、まず驚いた。作中で特に明示されていないように思うが、雫のお母さんは社会人枠で大学院に通っていると思われる会話がいくつかある。
 最近では「学び直し」的な話題を見聞きするが、そうなったのもここ数年の話だと感じる。
 私は18歳まで北海道に住んでおり、大学進学時に上京してきた。田舎は、全ての情報が遅れてやってくる。本や雑誌が発売日より2,3日遅れて入荷する等の物理的なことだけでなく、インターネット上の情報が拡散されるのも、価値観のアップデートも、全てが都会に比べて遅いように感じる。
 東京発信のトレンドをいち早く取り入れた人がまるで異端者のように奇特な目で見られる。田舎はそこに住む人についての噂話だけは凄まじく早く拡散されるため、また奇特な目で見る人が増える。
 今、学び直しが取り上げられているのはようやく田舎に情報と価値観が行き渡ったからなのだろうか。当時の東京では少しずつ進められていた、あるいはもはや当たり前のことだったのだろうか。
 もし、北海道の田舎にまでその価値観が広まったからなのだとしたら、日本全体に新しい事柄が習慣的に根付くまでに約30年もかかるというのはとても怖い話ではないだろうか。
 「都会に生まれた時点で勝ち組」というのが田舎生まれの僻みではなく事実であることが年々裏付けられるように感じるのは、やっぱり埋められない大きな差があると痛感する場面が多いからだと思う。東京、もう少し広く取って関東圏で生まれ育った人が、雫の母をどのように考えるのか知りたい。

夢を持つこと、夢を叶えること

 中学3年生が主人公の物語で、そのリアルな人生の一部にフォーカスしたお話なので、各々が受験や進路に悩む場面がたくさん出てくる。というか、ほとんどそれを軸にストーリーが進んでいく。
 聖司はヴァイオリン職人になるという夢を持ち、それを叶えるために家族の反対を押し切って唯一味方であった祖父の知人のいるイタリアへお試し修行の旅に出る。
 雫は、姉と同じ進路はなんとなく嫌だけど明確な希望はないものの小説家になりたいという夢はなんとなく持っていて、聖司との出会いをきっかけにそれを叶えようと「高校に行かない宣言」をして家族に大反対される中、父の言葉に背中を押されて1本の小説を書き切る。

 2人に共通しているのは、周りの人と違う道を進もうとしている点と、芯の強さがある点。
 高校に行かずに修行へ出ることも小説家になることも、大変に波瀾万丈な人生が待ち受けることになることが想像される。高校も義務教育にカウントされるくらい高卒は前提の世間では、かなり浮いた存在になると思う。
 上手く行かなかった時の潰しが効かないから高校は出ておきなさいという大人の意見は、とてもよくわかる。私が2人の親だったとしても同じことを言うと思うし、まず私自身がその選択を取れない。だから、無謀で無茶だとしても、周りの受験の波に流されずに夢を追い求めた2人は本当に芯が強いと思う。それほど情熱の注げる何かが私も欲しかった、と心の底から羨ましく、また、眩しく映った。

 夢に向かって突っ走ることのできる情熱が本当に羨ましい。聖司くんかっこいいーと見ていた幼少期には分かり得ないこの映画の大きな魅力だと思う。
 私には夢がない。将来のことを悲観してしまう。冷めたり飽きたりすることを恐れて、何かに真正面からぶつかることもできないし、それほどやりたいと思える何かもない。
 将来の夢を無邪気に語っていたのはいくつまでだったろう。真剣に考えたことはあっただろうか。本当の夢はなんだったんだろう。
 夢を持つことは素晴らしいし、それを叶える努力をすることは本当にすごいことで、その結果夢を叶えられたのだとしたら、それがどんなことであれ、信念を持ってそこに到達した人を尊敬する。
 どうせ叶えられないから、とリスクヘッジをして夢を持たないフリをすることは簡単だ。でも、この映画を見て、雫と聖司が夢や目標に向かっていくステップを見届けて涙を流したということは、本当は私にも全てを投げ打ってもやりたいことがあるのかもしれない。
 そして、生活を投げ打ってとまではいかなくとも、どうにか工面をして努力をすれば叶えられることかもしれない。高校に行かないと宣言して夢を追ってみた雫や聖司のように。母になってから大学院に通う雫のお母さんのように。
 
 雫は小説を書いてみて、やっぱり勉強をしないといけないと思って高校入試に向けた勉強を再開する。帰国した聖司の夢がどうなったかはわからないし、中学生2人の恋の行方もわからない。
 でも、あの朝焼けは人生がどう転んでいっても一生心に残る秘密の風景になると思う。

幼少期の私へ

 将来の夢、いろいろと変わったよね。好きなこと、嫌いなこと、やりたいこと、やりたくないこと、できること、できないこと、いろんな体験をして、いろんなことで挫折して、折れてしまう前に諦めてしまうようになると思う。そうやって大人になったのが、今の私です。お医者さんになれなくてごめんね。
 でも、本が好きで、雫と自分を重ね合わせてくれてありがとう。この映画を好きだって思ってくれてありがとう。大人になった私は、あなたのおかげで、この大好きな素敵な映画を映画館に観に行くことができました。京王線に乗って。


#映画にまつわる思い出

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