スリランカ 瞑想リトリートへ
2018/4/22~27の間、5泊6日のメディテーションリトリートへ参加してきた。
友人からヴィパッサナー瞑想の話など聞く機会があり、評判がよかったので自分もずっと瞑想のリトリートに参加してみたいと思っていた。
今回、このリトリートに参加していたのは、約27人。香港、シカゴ、フランス、ドイツ、チェコ、ベルギー、日本などなど数々の国籍の人が参加していた。国に関係なく、スピリチュアリティの元、形成されるネイションがあるのだと実感した。
リトリート中、特に話す機会はなかったが、終わった後なんとも言えない絆のような連帯感を彼、彼女らに感じた。
費用は7500スリランカルピー(約5263円)。良心的で、コマーシャルではないと言える値段だと感じたので、自分はさらに少額のドネーションもしたくらいだった。
場所は、スリランカ観光の拠点となるキャンディからバスで山間に向けて一時間半程走ったオフィスジャンクションから歩いて2、30分山中にある。そのため、暑くもなく(朝晩は寒いくらい)自然の中で瞑想に集中出来る静かな環境であった。
↑受付
❏ 一日のスケジュール
4:45 起床の鳴鐘。
5:00 グループメディテーション
6:00 ティータイム
6:30 モーションメディテーション(ヨガ)
7:30 朝食
8:00 ワーキングメディテーション
9:30 グループメディテーション
11:00 先生の話、質疑応答
12:00 昼食、休憩
14:00 ウォーキングメディテーション
14:30 グループメディテーション
15:30 ティータイム
16:30 グループメディテーション
18:00 スナック、ティータイム
18:40 チャンティング、グループメディテーション、先生の話、質疑応答
20:30 就寝
↑アコモデーション
↑お食事はビュッフェ形式
冒頭に書いた通り、瞑想のリトリートというとヴィパッサナーの話を聞いていたので、一日中瞑想ばかりしているのかと思ったらそうでもなかった。
また、ヴィパッサナーは喋ることはもちろん、メモ、読書等も禁止されており、他者と一切のコミュニケーション、目線を合わせることまで禁止されているようだが、こちらはそうでもなく必要最低限の会話は出来たし、メモ、読書も禁止されてなかった。中には携帯を操作している人もいたが、これは制限したほうがよいと個人的に思った。
また、スケジュールは決まっているが、必ずしも強制参加という訳ではなく、実際に自分は一日目と最終日に寝坊して早朝のグループメディテーションには参加しなかった。
この辺りが適度にゆるかったので、瞑想リトリート初参加の初心者には丁度よい場所だと感じた。
↑瞑想ルーム
↑ヨガルーム
❏ 瞑想の効果について
様々あると思うが、直接体験で主観的に実感することなので、言葉で伝えることは難しいが、個人的に感じたことを書いてみる。
① 気持ち、気分を調整する。
人が自分の気持ちを完璧にコントロールするのはとても難しいことで、思う必要がないときに思わなくてよいことを思ってしまったりする。
自分の場合、旅が続く中でなんだかソワソワと落ち着かない気持ちが強かったが、これが落ち着いたように感じた。
② 自分の中に出てくるものを知る。
瞑想の基本は、止めどない思考の流れを放棄することにあるが、そうは言ってもやはり何かを考えたり思ったりしてしまう。それに積極的に気づき、また無心を目指していくことの繰り返しが瞑想なのだけど、そのときに出てくるものが、一体どんなものなのか、それに触れ、知ることが興味深かった。
また、それは自分自身が本当に必要としているもの、欲しているものを知る手掛かりになるだろう。
③ 単純に気分、気持ちがよくなる。
思考を放棄し、無心になっているときは単純に気持ちがよい。これが瞑想が科学的にメンタルに良いと証明されていることと重なるような気がする。
無心を目指すので気持ちが良いという気分も感じない方がいいのかわからないが、ネガティヴかポジティブかであれば確実にポジティブな部類に入る。
寝ている間は思考がないが、寝ることは気持ちいいと言える感じに似ている。それを起きながらにして行っているような感じか。
一時間も行えばハイになるし、終わったあとは気分がすっきりとする。
④ スピリチュアリティの深化、または上昇に繋がる。
これが一番言葉にしにくいけども、こうとしか言い表せない。瞑想はやればやるほど、スピっていくと感じた。
瞑想は端からみたら、座っているだけで時間の無駄のように思われるかもしれないが、終わったあとはやってよかったと思う。
世間、外部、慣れ親しんだ状況から距離を取り、外部の刺激から隔離された環境の中、自分の内のみで物事や自身を検討するのは大事なことだと感じた。そうでもしないと気が付けないことってあるものだ。
自分の場合、常時ネットが出来る環境だとダラダラとネットサーフしてしまうことが多く、さほど必要のないジャンクな情報が止めどなく入ってくる。これは、多分に精神的にによくない。こういったこともずっと同じ環境にいるとなかなか気付くことが出来ない。
それに似たような感じで、リトリートが終わったあと、街にの空気がいかに悪いか気付いたことが印象的だった。これも、街にずっといたら気にも留めない事柄だったであろうから。
一番の問題点は現代社会人にとって、このように時間をとるのは難しいことだ。
ヴィパッサナー瞑想などは12日間も続く。一般的に社会人生活を営んでいる人がそんなに長い期間休みを取るのはまず不可能であろう。
一日、一時間でも瞑想できたら良いと思うが、それすらも難しいのが現代社会の状況でないだろうか。
逆に瞑想のリトリートに参加する人はそれに興味があるという時点で、ある程度スピっていると言えるかもしれない。
大麻を始めとするサイケデリックドラッグ等のサイコアクティブ物質を摂取する経験がなければ、このようなことにここまで興味、関心を持つことはなかったかもしれないので、それらの経験はスピリチュアルな道へのゲートウェイドラッグであった。
最後に与那城 務さんの印象に残った言葉を。
「内面への洞察」こそ、「知識」とは異なる「知恵」への方向性であるということできます。量的増大ではなく質的深化への志向性です。
上記のページより引用させてもらいました。
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