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痛みを感じないと生きてる気がしない

私は不安を培養するのが本当に得意。 止められない 。もうこれは趣味と言ってもいいのかもしれない。

このnoteは前回の続き。

ゆかりーぬさんに「フリーランスとしてやっていくの、ぶっちゃけどう?」という話題で話をしていくうちに気づいたのだ。

どれだけ不安が大きくなっていようが、私の心は決まっている。私は今までも、そしてこれからも、自分がやってみたいと思ったことは、誰に何を言われようと結局やってみるのだ。

不安性だから人に意見を聞きまくる。そして、私はスポンジ人間だから、まわりの意見を吸収しまくり余計に混乱する。

でも芯の部分は決まってて、変えないんだよな。

だから今回、実際にフリーランスとして歩みはじめているゆかりーぬさんに、背中を押してもらいたくて話を聞いたのだろう。

もしフリーランスの経験がない友人に相談して「フリーランスなんて、やめといた方がいい」と言われても、 私はフリーランスライターへの挑戦をやめないはずだ。

どうせ進むと決めている。なのに不安を培養するなんてアホだよね。傷口に塩をすり込んむ無駄な行為だと思う。

「不安が浮かんできたら、もっと考えちゃう前に別の行動にしたらいいのに」と、ゆかりーぬさんに言われた。本当にそう。

でも私は不安を培養してしまう。

というのは、たぶん私は痛みを感じてないと生きてる気がしない人間だからだ。

だから以前は、体がSOSを発していたのにそれを無視して働いてしまってたんだろうし、いつもご飯も気持ち悪くなるまで食べてしまうのだろう。(これはただの食いしん坊か?)

わざわざネガティブな感情に支配してしまうなんて、人生損してる。

私はカナダに滞在しているときに、自分を否定する癖をやめようと思ってやめられた。 この「不安を培養する」のも、きっと習慣なんだろう。

今月と来月は不安が増幅させられそうになる前に、アメトークとか、なんかおもろいものを観て気を紛らわせて行動パターンを変えてみよう。

私はこういう思考の人間だから、で終わらせたくないな。

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