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窮屈で小さな、愛すべきこの国で

この物語を読んだとき、わたしの中には「おもしろかった」という感情がほとんどなかった。ほとんど、というのは少しはおもしろいと思ったということであるが、それは「寓話として記された物語の表現が」という点に尽きる。

あまりに小さく、一度に1人しか住むことができない《内ホーナー国》と、それを取り囲むように広大な土地をもつ《外ホーナー国》。あるとき、外ホーナー国に住むフィルは、内ホーナーの国民が自分たちの領土に「はみだした」ことを理由に迫害を始める。国境を巡りエスカレートしていく迫害は、いつしか国家の転覆へと繋がって…!ジェノサイドにまつわる、大人向けの寓話。

この物語は、確かにおもしろいのだ。ただ、この物語に描かれた内容は、決しておもしろがって笑えるような類のものではない。(少なくとも、私はそう感じた)

外の国からの圧力、上手く機能していない政治、無意味な報道を続けるマスコミ…。そうして誕生した独裁者。独裁者と聞けば、歴史に名を残したとある人物を彷彿とさせるが、わたしにはなんだかこの物語が、私たちが生きている「今」を表しているような気がして、ゾッとしてしまった。

人間の目には見えない微生物たちに翻弄され始めて1年と少し。わたしは初めて「この国で生きるのが恐い」と感じた。紛争もなく、道端にカバンを置いても盗まれることすらない平和なこの国で、わたしは突然、暮らしていくことの恐さを感じた。

ただしそれは、目に見えないものたちへの恐さではなく「この国で、周りと同じようにしか暮らしていけない自分」が恐くなったという表現が正しいのかもしれない。自分が信じて疑わなかった当たり前の日常が当たり前でなくなった途端、次々と生み出されてきた数々の違和感たちが、私にそう思わせたのかもしれなかった。

選択の余地のない、任意。

所詮私たちは、その本音と建前の美学から抜け出すことが出来ない。本当の自由なんて、世の中には存在しないのかもしれないけれど、個人が個人で責任を持つことすら、この社会は容易に認めてはくれない。その選択は、これまでになかった分断を生み出しつつあって、それはもはや、私たちの中のフィルが姿を現し始めていることに他ならない。

この本は、世界を過度に単純化し、〈他者〉とみなしたものを根絶やしにしたがる人間のエゴにまつわる物語なのです。私たち一人ひとりの中に、フィルはいます。(p.142)

そんな中、変化することを強いられている私たち。

伝統を重んじるといえば聞こえはいいかもしれないが、この社会は、変化に対応するのにはあまりにも不向きにできている気がしてならない。今まであまりそんな風に感じたことはなかったというのに、わたしが生きるこの国は、開国されて随分と時が流れた今でもなお、どこか閉鎖的に感じることが多くなった。

国民に伝えられる公の報道は気が滅入ってしまうほどに偏っているうえ、誰もが手に持つ検索機器から届けられる情報は、自動的に取捨選択がなされている。それに気がつくことさえない私たちは、諸外国と比べてどのくらい遅れをとっているのかすら知らずに生きているのだ。

何をするにも、変わることを良しとしない年功序列の壁に阻まれ、古い価値観は新しい価値観を摘み取ってしまう。そんな我が国が行き着くであろう2025年頃に起こりうる問題の存在なんて、一体どれだけの人が認識しているというのだろうか。


__生きづらい。

そんな風に思ってしまうのは、私が根性のない「最近の若者」で「ゆとり」の方針のもと育てられてきたからなのだろうか。周りと同じように型にはめられた生き方こそが幸せなのだと疑わない、窮屈で小さなこの国の未来に恐れを抱かず生きていくには、一体どうすればいいというのか。

おそらく私たちは、これまで築き上げてきた伝統と歴史に、新しい風を吹き込まなければいけない局面に立たされている。

なにも、これまでの歴史や伝統をリセットしたいというわけではない。その価値観を排除しようと思っているわけでもない。それなのに、手を取り合って一緒に新しい道を探す選択が出来ないのは、私たちの中にある『エゴ』を、奥ゆかしさの仮面を被せながら、押し付け合って暮らしているからなのかもしれない。

衣食住に恵まれ、愛すべき人たちに囲まれながら、日々幸せを噛み締めて生きているというのに、こんな風に世の中を語ってしまうなんて…。

きっと私も物語のフィルのように、どこかに頭の中身をポロッと落っことしてしまったに違いない。

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