ショートショート「連」
家に帰ってきてTVをつけると、もう十二月だという事に気がついた。
慌ただしい一年だった。俺は京都に引っ越したし、ましてや生きる為に畑を耕すようになるとは今年の始めには考えもしていなかった。いまや、あの日本を襲った悲劇(いや、むしろ喜劇か?)の為に日本のGDPは十分の一にまで落ち込み、もはや台湾以下だ。しかも俺は正にその瞬間の現場に居合わせたのだ。忘れようとしても忘れられるものではない。……俺は回想を始めた。
時は十一ヶ月ほどさかのぼる。正月気分も抜けてきた今年の一月中旬の頃だ。俺はTVの番組制作会社で美術……大道具を担当していた。
俺はTV特番「ギネス認定!ドミノ世界一に挑戦!!」の現場にいた。よくあるドミノ倒しを中継する企画だ。だが、今回は規模が違った。一気に現在の世界記録に倍するドミノを倒そうというのだ。
ドミノ中継の為の会場探しには苦労した。交通の便がよくて広い場所、いろいろハデなギミックを仕掛ける為、高さも必要だ。結局、都内のウォーターフロントに近い巨大な工場跡に落ち着いた。建物だけ残り、中身の機械類は撤去済み。このイベントには、おあつらえ向きだ。
今回のCMを抜かした正味の放送時間は二時間SPで一時間半。そのうち実際倒れるドミノの実況ができるのはせいぜい一時間。この間に視聴者が飽きないよう、ドミノが時間内に倒れきるよう、配置やギミックを調整しなければならない。都合のよいことにだだっ広い建物の中央に備え付けのクレーンでもあったのだろうか、高さ20mほどの鉄骨でできた塔のようなものがある。これを利用すればハデなギミックを作れるだろう。
塔を利用したギミックはドミノ倒しの最後を飾るものとした。分散していた数十のドミノのルートを塔に集め、塔の周りの階段状に配置されたギミックを一斉に上っていく。頂上についたら、今度は頂上に配置された数千のドミノが一斉に滝のように階段を流れ落ちるのだ。正にこの番組のクライマックスと言えよう。
そうこうしているうちに放送日。ドミノのストッパーがはずされ、ついにドミノ倒しが始まった。俺はディレクターの指示に従い、各種ギミックの操作も担当していた。もっとも、ギミックのセッティングを終え、電源を入れれば後はほとんどモニターを通して問題ないかチェックするだけだが。順調な滑り出し、ドミノは問題なく倒れて行き、このまま行けば世界記録達成は時間の問題と思われた。この時までは。
いよいよクライマックス! 塔の壁面に並べられたドミノが一斉にふもとから倒れ始める。その様子を横に設置されたクレーン車に搭載されたリモートカメラが接近して捕らえようとする。……そして、どうしたわけかクレーン車の下の床が陥没し、クレーン車はそのまま塔に倒れ掛かったのだ。
「カメラを止めろ!」
ディレクターが叫んだその時には、クレーンの重みを支えきれずに鉄骨の塔も倒れ始めた。そして工場内の梁や何本かの支柱を跳ね飛ばして倒れたのである。
俺は急いでクレーン車にかけつけ運転手を引っ張り出すと、異常な振動に気がついた。支柱を失った、工場のこの区画が傾き始めているのだ。
「みんな、逃げろ! 建物が倒れるぞ!!」
俺の言葉にスタッフ全員命からがら外に逃げ出す。外から見ると、工場の中央3分の1程の区画が西に傾いていた。
ところで、東京都内の密集度といったら大したものだ。このままでは隣のビルに壁面が接触しそうだ。とりあえず隣のビルにも連絡して、様子を見に中の住人達が出てきた瞬間……一気に工場は斜めに倒れ、隣のビルに壁面がぶち当たった。すると、まるで地震のような地響きと共に、ゆっくりと隣のビルは倒れ、さらに隣のビルにぶちあたったのである。そして、それは無限に連鎖しはじめたのである……まるでドミノ倒しのように!!
いったい、日本の建物は厳しい耐震基準をクリアしているというが、横からの衝撃にはどれくらいの耐性があるのだろうか? ましてや隣のビルがそのまま倒れ掛かってきた場合、支えきれるのか? そして一旦倒れてしまった場合、そのまた隣のビルにはビル二ヶ分の重さが加わるのだ。
俺は最近話題となったニュースを思い出した。基礎工事のくい打ちや免振装置の手抜きや不祥事の問題だ。もしかすると、日本のビルの何割かは思いのほか横からの衝撃には弱いのでは……などと呆然と考えた。
まるで悪夢を見ているようだったが、いつまでもここにいては危ない事に気がついた。建物倒壊の連鎖は十ヶ程先のビルで、同時に二つのビルに倒壊ビルがぶち当たる事で分岐し、こちらに戻ってくる方向にもビル倒壊のルートができたからである。さらに気がついた事に、すでに倒壊のルートはあちこちに分岐しその流れは西の方へ……都心の方へ向かいつつあったのである。空を見上げると、消防庁、警察庁、マスコミのヘリでいっぱいだった。
とりあえず、海浜地区の大きな公園に避難する。ついてみると、ぞくぞくと避難民が到着し、避難用のテントで埋め尽くされている。携帯は全く通じない。いつまでたっても呼び出し中。俺は状況を把握すべく、混雑した避難所のTVニュースを食い入るように見つめた。そして思わず言葉がもれた。
「おい、ウソだろう……」
TVに疲れきった様子のアナウンサーが写る。
「建物の倒壊は都心に向かっています」
アナウンサーの言葉と同時に飛び込んできたのは東京タワーがゆっくりと倒れる姿だった。
一週間後、……東京はほぼ全滅した。崩壊の規模が広すぎて結局だれにも止められなかったのである。東京都庁崩壊前に都内を脱出した都知事から、栃木に都庁機能を移す事が宣言された。今の臨時都庁は宇都宮市にあるようだ。皇居は無事だった。堀に囲まれ周りに高い建物がなかったためである。政府の連中は京都に向かっているようだ。埼玉、千葉、茨城は現在、絶賛崩壊中。ただ、ゆっくりとした崩壊ではあったので死者やケガ人は驚くほど少なかった。大量の難民があふれただけである。
やがて、さらなる事実が判明した。道理で政府の連中や都知事が大阪や名古屋に逃げなかったわけである。なんと建物の倒壊は新幹線や高速道路等の高架の橋脚にも伝わり、東海道を西へ進んでいたのである。四日前、静岡が全滅した時にはまだ誰もこのメカニズムには気づいていなかったらしい。すでに各インフラが寸断され、情報が圧倒的に不足していた為でもある。こうして三日前、ついに名古屋に倒壊の流れが到達。ここまで来てしまえば関西まで建物の密集は続く。もはや西日本の崩壊も避けられないといったところだ。
一方、栃木、群馬は崩壊を免れた。都への動線が少なかったためである。また京都は盆地であり、こちらも比較的倒壊のルートが少なかった為、幸いにもルートを絶つ事に成功できたのだ。
……こうして日本の首都は京都へと遷都された。元東京都民の何割かは京都に移住した。だが、建物と同時に日本の産業も崩壊状態。食べる物も各々が自給自足で野菜などを育てているような状態だ。日本が再び復活できるかどうかはわからない。
TVの中では清水寺が写っていた。年末恒例の『今年の漢字』だ。さんざんな一年だったが今年の漢字は何だろうか。
僧侶は一気に一文字、書いた。
(了)
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