KOKAGE
色んな人のわたしのお気に入りnoteです。(主に自分用) 素敵なnoteたちです。
大好きな映画のこと
ジャンル問わず音楽が好きです✨
真夏と絵都のものがたり。 とあるカフェで出会った24歳のふたりの女の子。 以前から書いていた小説の中に登場するカフェの名前から、note名をつけました。
自分が書いているものが、エッセイなのか日記なのか今いち安定しない、境界のはざまがよくわからないものをずっと書いているなぁ…と思う。 わたしは自分のまとまりない想いなど書いているので、ただの日記な気もするけれど、表に公開しているからまた違うものなのかな? 前に、三軒茶屋をお散歩した話を書いたが、最近は縁があり、週一度のペースで東京駅へと行く。わたしには時々数年に一度のディズニーシーやランドへ行く時の乗り継ぎくらいしかほとんど縁のない場所だったけど、東京駅を歩くようになって、
台風サンサンが近づいている。 最近はお米を買うことも一苦労で、(令和の米騒動?)近くのドラッグストアもスーパーも探したけれど、お米のラックはずっとガランとしているので、もう半分諦めていたら運よく入ってきたばかりの5キロのお米を購入でき、汗水流しながらお家まで抱えて帰りました。 家を引っ越して不思議なことが…、以前は駅から5分の場所に住んでいて、家は近いのになんだか感覚的に歩く距離が遠い気がしていたけれど、今は倍以上も距離があるのに、なんだか距離的に前よりもずっと近く感じるこ
先日、映画館で『あんのこと』を観賞した。 内容の重たい映画だったけど、ポスターに魅かれて、なんとなくどんな内容かもよくわからずに観たいと思っていた。 すると、母から連絡が来てまさにこの映画を観ようと思ってるんだけど、一緒にいく?と誘われ親子二人で観に行くことに。 母はドラマ『不適切にもほどがある!』から、河合優実さんのファンになったということだ。母から誰かのファンになったと聞くのは、知る限り久々だった。 以前わたしが『マリウポリの20日間』と、2回目の『祝日』を観賞した映画
三軒茶屋の思い出は、かつて付き合っていた恋人が三軒茶屋に暮らしていた思い出。 その人の部屋はなんにもなくて、ただガランとしていて、でも壁にたくさんの写真があった。 下北沢は思い出があって昔からとても好きな場所だ。 高校時代に下北沢で別の高校になった同じ中学の友人と待ち合わせをしてよく遊んでいた。 そんな私は、成長してもう良い大人になり、あの頃いつも一緒にいた女友達はもう2児の母となった。 バーテンダーの仕事を手伝っていた頃に、お客さんと色んな会話をした。 「普段、どんな
最近はまたよく映画を観だすようになった。 この数年では、一人で映画館へ行くことも増え、(以前は観賞後すぐに感想を話し合いたいので、映画館では誰かと観ることが多かった。) 年齢を重ねたせいか、展示会や小説の物語の中のような映画は特に、一人で観てから持ち帰ってしばらく感動の余韻に浸ることが多い。 素敵な作品や、その作品から影響、これまでの価値が変わるような衝撃を受けたときに、わたしは言葉がなかなか追いつかないような、出てこない感覚がある。そのときは、ゆっくりとその状況を受け取っ
なんと、つい最近日記に書いた近所のパン屋さんが閉店してしまった。 去年引っ越した新しい家の近くにはあまりお店がなくて、小さなカフェとパン屋さんと、ラーメン屋さんに薬局。 パン屋さんのクロワッサンと、チェリーののったパン、イチゴとホイップクリームのサンドイッチがだいすきだったのに。 30年以上、地元の人たちから愛されていたパン屋さんだった。最後にクロワッサンを食べながらお花見の思い出ができてよかった。 このことがあって、久しぶりに映画館で観た以来の『花束みたいな恋をした』をみた
(下書きからの救済note) 最近、美味しそうな映像を観るのが好きだ。 かわいらしい3人が登場する映画『かもめ食堂』の二回目を観て、美味しそうなお弁当のシーンがある『ちひろさん』、ふわとろのオムライスが登場する、ドラマ『ランチの女王』を息抜きに続けて観ていた。 『ランチの女王』は、当時竹内結子さんファンだった友人に、「絶対観て」と言われてたのに、当時は飲食店で働きながら、デミグラスソースを毎日見てたからか、全然ドラマを観ようとは思えなかった。 この歳になってなんとなく観だし
「なんだか、独特な文章なんです。」 わたしの文章を昔から読んでくれている人にお会いしてみた。 自分の文章がそう思ってもらえているとは、これまで気づかなかった。人のことを観察していると思っていたわりに、自分のことはあまり見えていないのかもしれない。 ただ、そう思ってもらえることはとても光栄でありがたいことだと感じた。その人は、何度もわたしが書いたおなじ文章を繰り返し読んでくれているとのことだった。 それはとても嬉しいことだ。 その人の書く文章も、わたしの心にはすっとなじむので好
深夜、急に書きたいことがたくさん。 あれもこれも、今までは書けなかったのに。。 また書こう。
春は毎年、わたしにとって曖昧で淡くて、ぼやけた風景を運んでくる。 昔はそんな春って心がどこか宙を浮くようで、ただ苦手だった。 大切な人と離ればなれになって、新しく知り合う人との出会いで忙しく、過去をじっくりと振り返れないくらいの猛スピードで進んでいく。 眠るとき、わたしの夢にはあまり身近な人が出てくれなくて、いつも全く知らない人たちと親しげに会話してる。 そんな風に毎年春は、まるで夢のような、ぼやけた曖昧さが漂っていて、知っている人も親しい人も、環境によって別人のようにも変
「なぜ、このタイミングで?」って感じることってけっこうあるような。 私にとっての最近のそれは、チバユウスケさんのROSSO「シャロン」を聴いたことからだった。 シャロンはもともと聴いて知っていて、歌詞が良いなぁ、好きだなと思っていた曲なんだけど、最近はさらにチバさんの声が好きになってきた。 この歌詞とこの声、素敵だな。 私の知人で西城秀樹さんが旅立った後に、西城秀樹さんのファンになって、それから西城秀樹さん一色になっていった人がいた。 西城秀樹さんの良さをずっと語って
2023年も、もうすぐ終わろうとしている。 今年は色んなことがありすぎて、なんだか濃いなぁって感じる一年だった。 暮らす環境が変わり、生活が変わり、変わらない友が残り、新しい歳の離れた歳上の友も出来た。 一般的に平凡で幸せなのだろう。 だけど、不思議な孤独感も増した。 歳を重ねたからなのかな?なんて思ったり。 作家の友人が詩集を創っていた。 私は印刷されて出来上がるまでの工程をただ眺めて、また何かを書きたいな、なんて思っていた。 友人は出来上がったばかりの詩集を、まるで生
長らく一緒にいたキャノンの相棒が逝ってしまってから、新しいフィルムカメラはお迎えしていない。 シャッターが切れなくなってしまったから、まちの写真屋さんへ持って行っていつものおじさんに見てもらったが、また少しなおってからすぐにダメになったりを繰り返した。 まるでポンコツの、書いたりまたすぐに手が止まって書けなくなったりする自分のようだった。フィルムカメラの起死回生は果たしてあるのだろうか。 数年前にTwitterで、田舎に引っ越したい…と呟いたが、この5月はやっと念願叶って
今年春を一番に感じる瞬間があった。 それは仕事に向かう朝に吹いた一瞬の風だった。 その刹那、ふんわりと風に舞う花の香りを届けられた。 見渡すと花壇に綺麗な赤と黄色とピンク色のチューリップやパンジーが並んでいる。 あたたかな光を体いっぱいに感じた気がした。 この一瞬を久々に言葉にして表現してみたくなった。 けれど、ずっとモタモタして何も書けないまま、あっという間に3月になってしまいました。 去年、わたしはなぜか言葉が出てこなくなり、文章が書けなくなった。 まるで現実という
最近、何気なくスマホの写真を眺めながら、この一年間の出来事を振り返っていた。 私はふだん写真を撮ることが好きで、なにげない瞬間も写真を撮ってしまうことがある。 でも、ゆっくりじっくりと撮った写真を振り返ることは最近はあまりしてこなかった。 2022年12月、あっという間にまた一年が終わろうとしていて、この一年で得たものがわりと多かったことに気づいた。 それは特に人間関係の面での変化が大きくて、新しい出逢いや、これまでお互いの存在は知っていて言葉や声のみで交流していたけれど
(下書きから救済した小説です。) 千秋と孝春の出会いは、ひと夏のあのパソコン教室だった。 千秋は幼子の真夏を連れて、これからどうやってシングルマザーとして育てていくか、そればかりを考えていた。 色々考えた挙句、パソコンを使いこなせる女性になり、資格を取ってパソコン一台があればどこでも逞しく生きていける女性になろうと、そう決めたのだ。 その人を一目見た瞬間、千秋は「あ、この人と将来結婚するかもしれない。」という感覚に落ちた。 それは一目惚れとはどこか違い、直感的に感じ