もちあたま

フルタイム2児ワンオペの隙間から細々と綴ります。

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フルタイム2児ワンオペの隙間から細々と綴ります。

最近の記事

日常のマンネリ化を許さない我が家の子供達。 朝晩ちょっと涼しくなってきたのもあり、ここ最近、学童&保育園帰りにガレージでお月見をしている。 なんてことない。単にその日の晩御飯を皿ではなく弁当箱に詰めて、玄関の外でレジャーシート敷いて食べる。ってただそれだけ。 デザートは🍡

    • 自分のエネルギーは無限ではないことに気がつけたお話

      ずっと勘違いしてた。頑張ればなんでも手に入る、と。 もしかしたらあの頃の自分は挫折らしい挫折をしたことがなかったのかもしれない。 そんなつもりはなかったけれど、クラスに1人は必ずいる優等生みたいなところがあったのかも。 でも、あの頃自分は大きな挫折を味わった。詳細は暗くなるので控えるが、自分の人格形成の中のちょっとしたディスオーダーが祟って、痛い目にあった。 分からなかった。どこにどう向かえばいいのか。自分の苦しみに毎日どう向き合ったらいいのかも。 それで私は富士山

      • カブトムシがいない。 子供がフタを閉め忘れたようだ。 さぁ困った。想定外なところにいるとちょっとビビるかも。履いた靴の中とか、手を入れた鞄の隅とか。って想像してすでにビビっている。 あんなに可愛がってたのに、想定外になった途端にこうだ、まったく。。。 とにかく全力で救出だ。

        • 昨日も凄まじかった。 早朝からコンビニへ散歩、開館とともに区民プール、昼ごはん後の公園、家に水着を取りに行ってもう一回プールを閉館まで。 そして翌朝の今。東京サマーランドに行く準備に取り掛かっている。果たして水着は乾いているのか。。 夏のラストスパートという感じ。

        日常のマンネリ化を許さない我が家の子供達。 朝晩ちょっと涼しくなってきたのもあり、ここ最近、学童&保育園帰りにガレージでお月見をしている。 なんてことない。単にその日の晩御飯を皿ではなく弁当箱に詰めて、玄関の外でレジャーシート敷いて食べる。ってただそれだけ。 デザートは🍡

        • 自分のエネルギーは無限ではないことに気がつけたお話

        • カブトムシがいない。 子供がフタを閉め忘れたようだ。 さぁ困った。想定外なところにいるとちょっとビビるかも。履いた靴の中とか、手を入れた鞄の隅とか。って想像してすでにビビっている。 あんなに可愛がってたのに、想定外になった途端にこうだ、まったく。。。 とにかく全力で救出だ。

        • 昨日も凄まじかった。 早朝からコンビニへ散歩、開館とともに区民プール、昼ごはん後の公園、家に水着を取りに行ってもう一回プールを閉館まで。 そして翌朝の今。東京サマーランドに行く準備に取り掛かっている。果たして水着は乾いているのか。。 夏のラストスパートという感じ。

          世界を自分の延長ととらえるかそうでないか

          私には子供が2人いる。 野生的ながらも感受性豊かな6歳の女の子と、ようやく母ベッタリから卒業しかかっているようにも見受けられる3歳の男の子だ。どっちも自慢の子供達。 それにしてもこの2人、本当に観察のしがいがある。 最近気がついたのだけど、2人の世界を見る目がちょっと違って面白い。 上の子は多分どっちかというと自分の延長として外界を捉えている。 他方の下の子は、自分と他者、他物と他物、、、と、とにかく個々のものを独立した存在として捉えようとする傾向があるように思う。

          世界を自分の延長ととらえるかそうでないか

          私にとってのnote

          断続的ながら、結構書いている。 日々の出来事を切り取って書き留めることで、自分の生活が一層豊かになる。そんな実感もある。 が、何か書きたいのに書けない。 とにかくネタがない。 通勤電車で書き殴るだけの私でも、最近はそんな壁にぶち当たっている。 でも、よく考えたら、継続することが目的ではない。自分の場合は、将来の自分や、大きくなった子供たちに何かを残すために書くことにしたわけで、毎日書く必要はない。 が、noteを開き、書く中で、noteのもう一つの効能に気がついた。

          私にとってのnote

          子育て全般の中で、セオリー化しているものとそうでないもの

          小1と3歳をワンオペフルタイムで育てる私には、最近常々感じることがあります。それは標題のとおり、セオリー化の有無を意識することの大事さです。自分なりの見極めが、自分も子供もハッピーにするような気がします。 今から6年前、上の子の一ヶ月検診に行ったときのことです。 それまでの一ヶ月間、私は妊娠時に産院から配布された資料一式を穴が開くほど読み込み、なんだったら赤線まで引いて、人生初の育児と格闘していました。 なんとか無事に一ヶ月を乗り切って、想定通り産院からは「順調です」の

          子育て全般の中で、セオリー化しているものとそうでないもの

          心より身体を動かす方が大事だというお話

          私はフルタイムワンオペ2児母なので、日々時間に追われてます。 うっかりすると、あっという間にメンタルを持っていかれます。 子供達のためにも自分のためにも、工夫は絶対に必要で、どんな工夫ができるのか、結構アンテナ高く過ごしている気がします。 そんな中、3年くらい前に保育園のエントランスに置いてあった冊子をなんとなくパラパラめくっていたら、こんなことが書いてありました。 時間のなさに余裕をなくし、気持ちが焦るのは仕方のないこと。 でも、たとえば朝の保育園のエントランスで、同じ

          心より身体を動かす方が大事だというお話

          たまには下の子のことも書かねば。 今朝、オムツを履き替えさせようとしたら、オムツが全く濡れていない。トイレに連れて行くと、座った途端にジャー。 あぁ、また一歩成長しとる。

          たまには下の子のことも書かねば。 今朝、オムツを履き替えさせようとしたら、オムツが全く濡れていない。トイレに連れて行くと、座った途端にジャー。 あぁ、また一歩成長しとる。

          夏が終わった

          上の子は今日が新学期1日目。 最終日夕方まで遊び倒した数週間が完全に終わった。 このドライにあっけない感じ、街並みがクリスマスから正月に変わるあの朝の感じに似てる。昨日までと変わらず、日差しはジリジリしているのに、子供と共に夏を満喫した自分までなんだか切ない。私にとって、今日から季節は完全に秋。いや、この暑さで秋はちょっとないのかもしれないけど、少なくとも昨日までとは違うフェーズに入った。何かが。たぶん上の子も同じだと思う。 学校に着くと、登校時恒例のハイタッチすら憂鬱で

          上の子の小1の夏休みが今日で終わる。 子供は「勉強する暇があるなら遊びなさい」と言い続けた私の言葉を見事に貫き通した。私は子供の初キャンプやら何やらで、限界ギリギリまでてんやわんやな日々を過ごした。 今年は夏が終わるのがちょっと寂しい。

          上の子の小1の夏休みが今日で終わる。 子供は「勉強する暇があるなら遊びなさい」と言い続けた私の言葉を見事に貫き通した。私は子供の初キャンプやら何やらで、限界ギリギリまでてんやわんやな日々を過ごした。 今年は夏が終わるのがちょっと寂しい。

          夏休みを満喫中の子供が、お泊まりキャンプからの帰り道に、「言葉ってどうやってできるの?たとえばさ、『たとえば』っていう言葉はどこからきたんだろう。絵とか?」とつぶやいた。 もう数十年前のことでほとんど思い出せないものの、楽しかった記憶だけはある「夏休み」を子供と一緒に追体験中。

          夏休みを満喫中の子供が、お泊まりキャンプからの帰り道に、「言葉ってどうやってできるの?たとえばさ、『たとえば』っていう言葉はどこからきたんだろう。絵とか?」とつぶやいた。 もう数十年前のことでほとんど思い出せないものの、楽しかった記憶だけはある「夏休み」を子供と一緒に追体験中。

          自分には何ができるだろう

          久しぶりにnoteをひらく日々。 きっかけは、一昨日、8年前に国際結婚のために渡米した友人と1年ぶりに再会したときに、アカウントを教えてもらったこと。 友人は私の元同僚で、同じ職場で馬車馬のように働きながら、婚活戦線に勤しんだ仲だ。 あれから8年。友人は、渡米し2児を授かり、仕事を辞めてライター業他に勤しんでいる。私はというと、一度は離婚した人と復縁して2児を授かったものの、再度離婚して、フルタイムワンオペの日々。 友人がnoteに綴る日常は、私のそれとは全く違うのだけ

          自分には何ができるだろう

          無自覚なままに。。

          とあるイベントに参加予定の子供が、 「自分はテレビに映るかも」と喜んでいたので、 そういえば自分は10年以上前の一時期、 テレビに映り込む機会が多かったことを思い出し、 ネットで検索したものを子供たちに見せた。 ただただ嬉しそうな子供にちょっと自慢してやろう という程度のノリで。 そしたら、 「これ誰?」と言われた。 下の子は「これは母ちゃんじゃない」と 強い口調で否定までされた。 自分の老いにあまりにも無自覚だったという事実に ようやく気がついた。

          無自覚なままに。。

          保育園が児童+親の夕飯提供サービス始めたらどうだろう?

          少し前の日経の記事に、保育園の需要は2025年にピークアウトするから、今後の課題は待機児童に加えて保育園の経営持続だと書いてた(気がする)。経営持続の策として、一時保育の拡充とか子ども食堂の併設の案があるとあった(と思う)。 前から思ってたのですが、平日の夕飯オペレーションに悩む親向けに、保育園が児童+親のおかずを販売してはどうだろうか。 親は、まず何よりも作らないで済む、買い物→保育園だった動線が一個にまとまる、子供が食べてくれるメニューに毎日頭を悩ませなくていい、帰宅

          保育園が児童+親の夕飯提供サービス始めたらどうだろう?

          育児が、いつの間にか作業分担のための育児になってやしないか?

          ある時、こんなことに気がついた。 いわゆる「ワンオペ」は、夫婦共働きの核家族という家族形態に、社会構造とみんなの意識がついていっていないことを象徴する言葉として、すっかり世の中に定着した感がある。 我が家も100%ワンオペとまでは言えないけれど、比較的それに近い日は多い。 旦那氏の仕事の状況はその日になってみないと分からないから、「この日は1人でやらなくちゃ」というのを予め予測することは難しい。私はフルタイムで基本は出勤が必要なのに対して、旦那氏は完全在宅ワークでずっと

          育児が、いつの間にか作業分担のための育児になってやしないか?