科学と神の存在形態は実在性の不在に補完されている。倫理に接続し統制や移動制限に用いた場合、最終的な責任者は実在する司祭や科学者等の人となる。神は間違わないと主張できたように、科学そのものもまた間違わないため、裏返せば、技術的に反省しさえすれば任命権者だけは間違い放題となる。

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