眼鏡が絶望的に似合わない自分が、初めて「これしかない」と思える眼鏡に出会った話──「続・ねころりん」
先日、眼鏡を新調した。「続・ねころりん」という眼鏡を選んだのだけど、その眼鏡を選ぶ過程でいろいろ思うことがあったので、文章を残してみようと思う。(それに、ほら、きょう2/22は「猫の日」だし。)
眼鏡を買い換えるにはいろいろ丁度いいタイミングだった。今までかけていた眼鏡を作ったのは、たしか4年くらい前のことだったかな。当時は自分が人間関係でいろいろ悩んでいた時期で、なるべく威圧感があるようにカタいかんじのメタルフレームにした上に、ブルーライトカットが目元を紫色にするもんだから、だんだんその威圧感がイヤになってきていた。さらに、おおよそ4年の年月を経たレンズにはけっこうなキズがついていて乱反射して、これじゃ眼に良いわきゃない。そこに市のプレミアムつき商品券が来て、せっかくだからその1冊ぶんの金額13000円相当を予算として眼鏡を新調しようということにした。
絶望的なまでに眼鏡が似合わないんです
今までずっと眼鏡を変えないでいたのは、どうやら自分は眼鏡が絶望的に似合わないらしいというのを、何となく知ってたから。今までけっこういろんなタイミングで、眼鏡が似合わないとか、眼鏡自体が似合わないからコンタクトレンズにしたほうがいいとか言われてきたし、またどんな眼鏡がいいのかわからなくなって相談したら、自分の好みと正反対のものを提案されて、自分はいったいどれだけセンスが無いんだろうと途方に暮れたり。いずれにせよ、自分は自分に似合う眼鏡を選ぶのが絶望的に困難らしい。
自分に似合うのならまだしも、似合わないものを選ぶとなるとやっぱりなかなか気が進まない。眼鏡は一度買うと、寝る時とお風呂の時とコンタクトの時以外はずっと身につけているものなので、これから数年間使っていくものを選ぶとなると、大失敗してしまわないかというのがなかなかのプレッシャーで、ずるずると先延ばしにしてしまったのだ。
何にせよ、まずは探さないことには新しい眼鏡を決められない。ひとまず恥ずかしくない無難な眼鏡がいい。それに合わせて無難で廉価なラインナップの多い店を中心に回ることにした。エキナカのチェーン店で、無難そうなフレームを手にとる。これなら笑われないかな、でも心が何一つ動かないから、これはどうしても選択肢が無いときの最終手段にしよう。ちょっと趣向をかえて、銀縁メタルの丸眼鏡にしてみようか、どれどれ…うわぁ、似合わない、なんだこれ。目元の印象をがららっと変えるにはいいけど、こんな冒険をする勇気は自分には無い。自分に似合わないってわかっているものを選ばないといけないとなると、どうにもこうにも気が進まないもの。そもそも、どういう眼鏡が自分に似合うのかという基準系がまったくわからないし、どれを選んでも「失敗」か「大失敗」のどっちかでしかないと思うと、なんだか眼鏡を選ぶのがイヤになってきた。
「似合う似合わないじゃなくて、自分でこれが良いって思うものを選んだほうがいいよ」
高校生が学校から帰る時間帯。高校生の娘さんとその母親と思しき人が入店。娘さんのほうが眼鏡を手にとって母親に「似合うかな?」とうかがうと、母親は「うん、似合ってるよ。でも似合う似合わないじゃなくて、自分でこれが良いって思うものを選んだほうがいいよ」と。「似合う」眼鏡は無いかとずっと探して彷徨っていた自分に思わぬ流れ弾が飛んできて、ぎくり。「似合う似合わないじゃなくて、自分でこれが良いって思うもの」かぁ…なんだかわからなくなってきた。眼鏡の探し方の根本から考え直さないといけないのかもしれない。いずれにせよ今日ここで決めるのは自分には無理そうだ。また出直そう。
ここは凝り固まった頭を換気する意味でも、普段入らないような店に入ってみよう。駅前のマルイに眼鏡屋さんが入ってたような。メガネの愛眼か……ちょっとお値段高めのイメージだけど、勉強と思って見るだけ見てみよう。
店内の目立つ位置から順に見ていく。やっぱり高価格帯だけあって、デザインの凝ったものも多い。これなんてシンプルだけど遊び心あって悪くないかな…と思って値札に目をやると、やっぱり予算オーバー。いやまあ、本当に気に入った眼鏡ならいくら出してでも買うべきだけど、いかんせん、「これなら悪くないかな」くらいのものに出すお金としては勇気が要るし、それで似合わないとなると悲しいし。
「続・ねころりん」との出会い
もっと手の届く価格帯のものは無いかと店内を徘徊すると、店の端っこのあまり目立たないスペースに置かれた「それ」と目があった。
「続・ねころりん」という衝撃的なネーミング。奇抜なカラーリングにぷにぷに肉球の意匠。やわらか素材で身につけたままごろごろできる徹底的な猫仕様。ぷにぷに肉球は滑り止めクッションも兼ねていて、調整が効かないやわらかフレームでもずり落ちにくい。あらゆるデザインに理由がある、機能美カワイイ猫という動物の徹底的な「擬眼鏡化」。こんなに個性の際立った眼鏡がこの地球上にあるのだという事実がただただ衝撃で、しばしいろんな角度から眺めて惚れ惚れとした。おそるおそる手にとって試着すると、奇抜な意匠は内側に隠れて丁度いいアクセントとなり、違和感なく遊び心の範疇におさまる。その佇まいから「家ではごろごろ猫生活だけど、人里に出る時は人に化けてきりりと人間のドレスコード」というストーリーが読み取れるような。外に出ることが少なくなるこの時世では、身につけるものに気をつかうモチベーションは限りなく削がれてしまうものだけど、この眼鏡はその「猫」というコンセプトでもって、外で過ごす時間のみならず、おうちでごろごろする時間まで面倒を見てくれる。お値段は予算ギリギリだったけど、ぜんぜん買えるお値段。だいぶ変わったデザインだけど、似合うかどうかなんてこの際どうでもいい。他ならぬこの眼鏡が良い。この眼鏡を身に着けて暮らしたならばきっと生活が楽しくなる。これしかない。そう思えるような眼鏡に出会えたのは、いままで眼鏡をかけて生活してきた中で初めてのことだった。
もう心は決まっていたけれど、どの色(猫種)にしようかというところでまだ葛藤があった。特に「クロ」なんて、かけてしまえばごくごく普通の黒ぶちの眼鏡と区別がつかない。いくら気に入っても、奇抜すぎて外に出られないとなればそれこそ困るので、写真を撮らせてもらって持ち帰り検討ということにした。身近な人に相談して背中を押してもらって、えいやっと、いちばん遊び心の際立つ「ミケ」を選んだ。
ちょっと勇気のいる選択だったけど、ダークブラウンのフレームにオフホワイトの弦がやわらかい印象を与え、内側から覗くオレンジ色の差し色が遊び心たっぷりで、やっぱりこれにしてよかったと思う。真面目そうな中にやわらかい印象を与えつつ、目立ちすぎない程度に遊び心があるというのは、思えば自分のニーズにぴったりのデザインだったから、気に入らないはずがなかった。きゃりーぱみゅぱみゅが「まつげが上を向くと心も上を向く」というようなことを歌っているように、出かける時も、家にいても、この眼鏡をかけていると自然と気分が上向く。心の底から気に入ったものを身に着けていると、こんなにも生活が豊かになるんだって。この気持ちを、ずっと愛着がもてなかった眼鏡というアイテムでおぼえているのが、今でも不思議でならない。
「似合わない」から自由になる春
思えば、眼鏡の選び方に関して、自分はある種の「呪い」にかかっていたんだろうと思う。眼鏡をかけて生活する中で、眼鏡が似合わなかったり、人がすすめる眼鏡が自分の好みと離れていたり、そうやって今まで積み上がってきた呪いは、「似合わない」眼鏡を選ぶ事への恐れを生み、自分の眼鏡選びをがんじがらめにしてきた。その呪いから、自分はやっと自由になれたんだろう。なんだか『少女革命ウテナ』みたい。ウテナみたいに、自分の「柩」をこじあけてくれたこの眼鏡に感謝の言葉を伝えたくて、このnoteを書かずにはいられなかった。(それに、ほら、きょう2/22は「猫の日」だし。)
ところで、新しい眼鏡と出会ったことで、眼鏡以外にも、服でも、靴でも、帽子でも、そういう出会いをしてみたくなった。今までは、服に関しても、とにかく「外に出て見られて恥ずかしくない服」という基準で選んでいたので、正直なところ、服を買ったり、きょう着る服装を選ぶという手続きが苦痛でしかなかった。冒険しようにも、これは自分には似合わないんじゃないかって思うと怖かったし、やはり持っている服といえば、誰かに褒めてもらったことがあり安心して着られる服のほかには、無難な服か、室内かちょっとした外出でしか着られない服のどれかだった。服に関して、あんまり自分の「これが着たい」という欲求に向き合って来なかったけども、心の底から好きなものを身につける生活がこんなに楽しいなら、それをいろんなものでやってみたいと思う。ファッション関係の記事を覗くと、今はこういうのは流行遅れだとか、こういう組み合わせはNGとか、いろんなことが書いてあって、それで難しくなってイヤになってしまうところがあったけども、一旦そういう外の基準系はいっさい無しにして、純粋に自分が着たいと思う服を着てみようと思う。
今日も春の訪れを予感させるぽかぽか陽気。冬は着込まないといけないからお金がかかるし、夏は布が少ないから自由度が低いけど、春はいろいろ組み合わせて着飾るのがきっと楽しい季節。愛着のもてる服や小物に、今春はもっともっとたくさん出会えるといいな。