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恵那・望郷の里キャンプ場での暮らし

ただただ書くやつをまたやる。今は岐阜県恵那市に来ている。明日までいる。たぶん。

一日は単位

ここでの暮らしは毎日が地続きみたいに緩やかにつながっていて、今日とか明日っていう区切りを感じない。それは、一昨日朝まで起きていたせいもあるけど、やらなくていけないことはなく、予定も決まっていないスケジュールのせいもある。ここにいる人みんなが、追われているわけではなく(追われている人もいてそう見せていないだけかもしれないが)心に余裕があって、遊び心があっていつまでもずっと好きなことをしているせいもある。

仕事がみちみちにGoogleカレンダーに詰まっていた頃には、1日という単位で、もっと言えば1時間や何十分の単位で暮らしを細切れにして捉えていた。恵那での暮らしの中では「恵那にいる時間」だけが一つ大きく、どんとここにある、そんな感覚になっている。何をするか見通しを立てることもなく、ゆったりと過ごすと、自然の時間の進み方に少しずつ身を委ねられるようになった感覚もある。日が落ちて、太陽に温められていた地面や空気が少しずつひんやりしていく。空気を温めるには火を焚く。体を温めて、眠る。朝になり、日が出て暖かくなった空気の中で目を覚ます。そういった自分でコントロールする部分の少ない暮らしだ。今は、文明の力で、夜に部屋を暖かくすることも明るくすることも容易だが、その暮らしの中でもしかしたら自分は無理をしていたのかもしれないと思った。

ここにいる人たちは、お互いを名前で呼び、敬語を使ったり使わなかったりしながら、フラットに時間と体験を共有しながらコミュニケーションをとっている。ほとんどが初対面で、名前も顔もよくわからないまま、到着してすぐにドッチビーだったり、大縄跳びが始まったりする。戦って、一緒にご飯を作って、焚き火を囲みながら食事をして、やっとお互いの名前を知る。はじめに体験を共有することで、いい意味で「私とあなたはそんなに変わらない」と体感すると思う。肩書きや所属を取っ払って、年上も年下も関係なく、ざっくり同じ人間なんだと無意識に思えることは、差別や偏見を持たないために大切なプロセスだったなと、振り返って思う。

頼まれてもいないのに、ここが居心地の良い場所である由縁を探っているが、これは一種職業柄みたいなところもあると思うし、趣味でもあると思う。こういうことが苦ではないし、好きだということを覚えておきたい。

望郷の里キャンプ場

山の結構上の方にあるキャンプ場。始めて来たときはさっむい!と思うけど、皆何日かいると慣れて「今日あったかいね」と言い始める。実際、寝袋2枚重ねて眠れるくらいの寒さ。クライミングスポットとして有名らしく、でかい岩に登っていくクライマーたちがたくさん見られる。キャンプに参加している人も登ること可。絶景スポットも大体岩の上。
〒509-8231
岐阜県 恵那市 中野方町 4443
4443 Nakanohou, Ena, Gifu, JAPAN



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