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#6 毒親との関わり方 ~中学時代の闇~

いつも読んでいただきありがとうございます。

この毒親シリーズ、私的には「完全に消化済の過去」を書いているので、フラットな感情、というかむしろ「へぇ~、なかなか面白い人生だな」なんて俯瞰で読んでたりするんですが、

親友3人にこの発信を始めたことを知らせたところ、「意外とサックリ読めた」という感想をもらい、ちょっとホッとしてるところです。笑

まあ、親友はさんざん聞かされてきた話ですから、復習くらいの感じだからかもしれませんが。

ですので、お読みになる方も、「へぇ~、こんな人生もあるのね~」くらいの感覚で読んでいただければ幸いです。

私もそうですが、特にHSPの方なんかは、文章を読むだけで共感・共鳴して、辛くなってしまう可能性もあるので、そんなときはスッと離れて、ゆとりのあるときにぜひ。

今日は、中学時代の第2弾です。

前編で書いたとおり、中学に入って、勝手に部活に入るなど反撃を始める私に、親の締め付けがひどくなり、学校に行くのがやっと、男子とデートなどもってのほか、友達と遊ぶことすら夢のまた夢でした。

実は、3年間で1度だけ、「どこへ行くんだー!」という、近所中に響く叫び声をあげる親を振り切って、数時間、友達と遊びに出たことがありました。笑

「外で」友達と遊んだのは中学の3年間で本当にその1度だけでした。自転車のニケツをしたのもその時ただ1度。

ここでちょっとまたコワい話になりますが、友達と遊びにいけない代わりに、何とか友達の心を繋ぎ止めておきたくて、親が宗教への寄付として近所の信者から集めたお金(千円札)を引き抜いて、家のベランダから、下にいる友人に向かってポイポイ投げていたことがありました。飛んでいかないように、ちゃんと重石代わりの小銭をくくりつけて。。

決してカツアゲされていたわけでも、パシリにされていたわけでも、求められていたわけでもありません。自ら進んでそうしていたのです。

これは思い出す中でも、相当キツい部類の話です。寄付するはずのお金を取られた人には詫びなきゃならないですが、投げられた側もどんな気持ちで受け取ってたのか、、さすがにもう時効だと思うので書きましたが。

そういえば、はじめて「痴漢」に遭ったのも中学の時でした。住んでいる公団が14階建てだったので、そのエレベーターの中で。ボーッとしてて、男が中で待機してたエレベーターに乗り込んでしまった。

そいつの顔、身長、体型、胸を揉みしたがれた感触、すべて昨日のことのように鮮明に覚えてます(今、そいつの姿を絵に書けと言われてもかなり正確に書けると思う)。

幸い?相手がかなりガリガリで非力だったのと、その頃は不良に感化されてた、というかもともと育った場所が不良なので、エレベーターの中で格闘しながら「てめえ、触るんじゃねぇ、ふざけんな!」と叫んだら、「ごめん、ごめんね」と言いながら途中の階で降りて逃げていきました。

考えてみれば、最初に私の胸を触ったのはアイツなんですよね~。ほんとムカつくわ。私の大切な“初胸”を奪いやがって。

その後10年ほど、同じような姿形の男を見ると、フラッシュバック的な拒否反応が出てました。今は完全に「アイツはアイツ、過去の出来事」という切り分けができるようになりましたが。

そのくらいトラウマになり、心臓が飛び出しそうになるくらい怖い思いをしたのに、しばらく動揺を落ち着かせてから家に戻り、親には一言も言わなかった。

あれも、どんな感情だったんでしょう。なぜ言わなかったのか。反逆を始めていた私の言うことなど、信じてもらえないだろう、と思ったのか。それとも、こちらが親を信用してなかったのか。思想を異にする親に弱みなんて見せるものか、という意地だったのか。

本当に、中学の3年間が、一番地獄みは強かった気がします。何せ、家から中学が徒歩5分だったため、一切逃げ場所もなければ、気を抜く時間もない。ほとんど四六時中監視されているのと同じなのです。ほぼ軟禁状態です。

人生がほとんど「半径500メートル以内」で完結してるような状態で、息苦しくて、ほんと死にそうでした。

それでも、この頃はまだ、全面対決まではできませんでした。

まだ中学生、家に居づらくなればキツいですし、ごはんも食べさせてもらい、服も買ってもらわなければなりません。バイトもできませんから、自由になるお金もないし、世の中で生きていく術もないので逃げることもできません。

時に演じ、時にうまく親の機嫌を取って、時に反省してちゃんと宗教もやってくような素振りを見せながら、ごまかしてなんとかしのいでいました。

これが後々、「演技しすぎて本当の自分が分からない」苦しみに繋がっていくわけですが。

次回は、ついに中学時代の最終編、「中学時代、最大の事件」です。

今日もお読みいただきありがとうございました。

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