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#4 毒親との関わり方 ~反逆の準備をする小5、6~

いつも読んでいただきありがとうございます。

noteを始めて、ちょうど今日で1ヶ月になりました。これが14記事目です。

読んでくださった方、スキをつけてくださった方、フォローしてくださった方、ありがとうございます。

これからも、絞り出して、もがきながら一生懸命書いて、時に自分の尻を叩きながら、精神がおかしくならない限り、やると言った限りは更新していきますので、ぜひお付き合いください。

前回は、親との決別を決意するターニングポイントとなった小4の出来事について書きました。

今日はその続き、小学校の高学年の話です。

前編で書いたように、「女」と「美」に目覚め、服装や表情などを一変させていった私は、心も急速に変化していきます。

それまでは、「まじめで静かな子」と周りから評価されていた私は、モテるためにはそれではダメだ、変わらなければ、と思い始めます。

そこで始めたのが、「モテる女子」や「男子と楽しく話している女子」を、徹底的に観察し、一挙手一投足を脳に刻み込むことでした。

ただ、いきなり明日から完コピして「昨日とは違う人物」になるのはさすがに恥ずかしかったので、「中学デビュー」をしようと心に決めました。

ここから少しコワい話になりますが、小5~6の時は「虚言」がひどかったのです。「ありもしない架空の自分」を作り上げ、さも現実のように語っていました。

1つ覚えているのは、「スケート教室に通っていて、すごく有望だと言われている」というような内容を話してたこと。学校へ行くのもやっとで、そんなもの通わせてもらえるわけもないのに、自分の中の理想像を語っていたのでしょうか。

モテる、人気のある人間になりたい、でも、友達と遊ぶことも、友達と同じような生活をすることもできない。テレビも見れない、本やマンガも読めない、音楽も自由に聞けない。そんな中で、人が目を輝かせて聞いてくれるような話題を提供するのは、相当に至難だったことは確かです。

そうなると、「理想の中の虚像の自分」を語ることしかできなかったのかもしれません。記憶もだいぶ断片的で、そのときの状態を正確に表現するのは難しいですが、「虚言癖」は、虐待を受けた子供には良くあることのようです。

また、自分のなかに眠る大いなる「母性」に目覚めたのもこの頃でした。

これまた親の宗教上の信条により、テレビは宗教の教材ビデオを見るとき以外はほぼ見ることができず、布を被せられ、厳重に縛られていました。

まれに風邪などを引いて、宗教の会合に出掛けられず、一人で留守番をする機会があり、これはもう「テレビを見る」千載一遇のチャンスなわけです。笑

親が帰ってくるまで3時間ほど。テレビを見ていたことがバレないよう、テレビを冷ます時間、布を被せて縛り上げ、元通りに戻す時間まで逆算してから、ドキドキしながら、でも心を大いに踊らせながら、テレビを見たものです。

そんなとき、たまたま見た、たぶん「懐かしのヒットパレード」的な番組だったと思いますが、そこで流れてきた、かの有名な岩崎宏美さんの「聖母(マドンナ)たちのララバイ」に、脳天を撃ち抜かれ、全身の毛穴という毛穴から鳥肌が立つような衝撃を受けました。

「私の生きたい人生はこれだ!」と、テレビを片付ける時間も忘れ号泣し、確信したのです。小5でした。

実際、その時から「年下好き」はブレたことがありません。夫も9歳年下ですし。

書いてて思いますが、親がどんなに邪魔しようと、自分の思う人生のレールを歩ませようとしても、何らかの形で、人は必ず自分の進むべき方向に行くんだな、なんて思ったりします。どんなにテレビを縛り上げても、私の進む道を止めることはできなかったわけですからね。

こうして、小学校の高学年は、虎視眈々と、中学デビューのための準備をしながら、親への反発に向けて心を固めていきました。

次回はいよいよ、反撃開始の中学生時代~に入ります。

今日もお読みいただきありがとうございました。

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