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#1 毒親との関わり方 ~毒親誕生まで~

いつも読んでいただきありがとうございます。

noteを始めて2週間、7記事で、100ビュー・29いいねをいただきました。見てくださった方、いいねをつけてくださった方、フォローしてくださった方、本当にありがとうございます。これからもこつこつ書いていきますので、ぜひお付き合いください。

お盆ですね~。とはいっても、なんともお盆らしくないお盆ですが。

祖父が福島にいて、もう90近いので、一応毎年顔を見せに行くようにしてたんですが、今年は無理そうです。

「頼むから今年死なないで~」と思ってるとこです。ま、超強運な人なので大丈夫だと思いますが。笑

お盆休みですし、ちょっと仕事の話は休憩して、ツイッターのフォロワーさんにもリクエストでいただいていた「毒親との関わり方」について書いてみようかなと思います。

気づいてみれば、今年は18で家を飛び出してちょうど丸20年。もちろん一度も帰ったことはありませんし、帰る場所はないので、常に、重病や寝たきりになるようなことがあれば、その時点で死だと思って生きてきました。ありがたいことに、そこまでの事態にならないよう神様が取り計らってくれ、ここまで生かされてきましたが。

でも、20年も経つと、振り返って辛いとか、感慨とか、そういうのはすべて消化し終わって、もはやほぼ何も感じません。もちろん、ここまで来るのは大変でしたが。

こういう「毒親」とか、さまざまな「虐待」の話というのは、非常にセンシティブで、「私はこうだったから、あなたもこうしてみれば?」などと言えるものではありません。

たとえ同じような仕打ちを受けたとしても、傷つく程度は人によって全く違うし、なんとか起き上がるまでの時間やきっかけなども人それぞれです。

なので、一番論外なのは、経験をしたこともない人間があれこれ下世話に口出しすることですが、経験者同士でさえ、共感できることは多いかもしれませんが、自分のものさしで相手を見ないことがとても大切です。

そんなわけで、私はこういう経験をして、こう乗りきって、こんなことがきっかけで癒されていきましたよ、という、あくまでも体験談をつづりたいと思います。

それがもし、誰かの心をほんの少しでも救うきっかけになれば最高です。何せ私も、たくさんの人や本とその言葉に救われてきましたので。

毒親生活の始まりは、私が3歳の時なんですが、すべてはつながってますんで、最初から。

私は父親が24歳、母親が22歳という、比較的若い両親から生まれた長女でした。

父親と母親は中学の同級生で、そのときから父が母にベタ惚れで、高校以降は別々になってしまったものの、父は高専を卒業、母は看護の専門を中退して、ともに東京で働いていたと。

そこからどういう形で再会になったのかは定かじゃありませんが、父が母の実家にラブレターを送りまくってたという話と、母の実家に押しかけて、結婚させてくれと迫ったという話は聞いてるので(笑)、おおむねそういう流れでしょう。

さすが親は子を良く分かってるな、と思うエピソードが、母の両親は「まだ結婚は早い」と言い続けてたらしいんですが、根負けしたのかどうなのか、2人は若くして結婚することになります。

で、あっという間に私ができます。母は「あなたができてしまったから新婚旅行に行けなかった」と何度も言ってました。

まあ、この母の発言からも推測できますが、母は、結婚はともかくとして、子供はそこまで欲しくなかったのです。父の愛を独占したかった。じゃあ避妊してくれよ、って話なんですが、まあ、父親は子供がとても欲しかったようなので、仕方なかったし、世間体を気にしたのもあったのかもしれません。

いずれにせよ、私が生まれ、これがまたよりにもよって育てにくい子供だった。今でこそ、HSC(ハイリー・センシティブ・チャイルド)など分かってきてますが、当時はそんなこと分かるはずもなく。

心の準備ができていないところに、わけの分からない敏感な育てにくい子供が生まれ、さらに友人もいない専業主婦、父親は出張か残業、母は育児ノイローゼへの道をまっしぐらに進んでいったわけです。しかも3年後には2人目が。

そんなとき、母にとっての救世主が現れました。宗教の勧誘です。それも、ただの宗教の勧誘じゃありません。子供を3人育て上げた、育児のベテラン主婦が訪ねてきました。母は、堰を切ったように育児の悩みを打ち明けます。

そしてそのベテラン主婦は言います。「あなたの悩み、本当に良く分かるわ、でも大丈夫、あなたは救われます」と。このセリフは多少私の想像も加わってますが、おおむね間違いないでしょう。

母は光を見つけました。まあ、ここまでお読みいただいた方なら、「こりゃ仕方ないか」と思ってしまうんじゃないでしょうか。まあ、私は被害を受ける当事者なので、仕方ないでは済まないんですが。

そして母は熱心に宗教を学び始めます。「言うことを聞かないときは、おしりを叩きなさい」と教わり、教わった通りに細い革ひもで私の尻をたたくと、すごくおとなしくなったと。始めて私がおとなしくなって、ああ、救われたと思ったと。

いや、当たり前ですよね、恐怖ですよ。めちゃくちゃ痛いんですから、あの革ひも。みみず腫れになるんですよ。正真正銘の虐待です。

脱線しましたが、そんな母を見て、「子供を叩くなんて!」と、当初父は怒ります。しかし、母は断固として辞める様子はない。父は母を世界で一番愛していますから、別れることなどもちろん考えられないし、自分が合わせるしかない、母の信じたものなら、となっていったようです。

また、父は真面目な男で頭も良い分、いろいろと神様や世の中に対して疑問があったようで、「私の挙げた疑問にすべて答えられたら入信する」と言ったようで。

で、運命の日(笑)、百戦錬磨の大ベテランの宗教の偉い人?が家を訪れ、父の疑問にすべて答えたそうです。冗談みたいな話ですが。そしてめでたく(めでたくない)父も入信となり、宗教生活がスタートしたというわけです。

次回は宗教生活のスタート~小学校、くらいまでを書こうと思います。

お読みいただきありがとうございました。

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