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おおがき思い出街歩き

約3000字の短編小説です。

【あらすじ】
 彩乃は慎介からプロポーズを受け、住み慣れた滋賀県を出て慎介の実家に引っ越した。結婚式の準備で忙しいなか、訪れたのは新型コロナウィルスだった。結婚式はキャンセル。近しい人にろくな挨拶もできないまま、岐阜県に引越したのだった。


 スマホの小さな画面をふたりで見る。

 アニメのキャラクター同士の会話が終わると、私達の行くべき場所が指定された。

「最初は八幡神社に行くんだって」

「ああ、行こう」

 慎介さんに先導をしてもらいながら、奥の細道むすびの地記念館を出る。

 一月の風はまだ冷たいけれど、散歩にはちょうどいい日だった。天気もいいし、澄み渡るような青空だ。

「ふたりで出かけるのも久しぶりだね」

「そうだな。彩乃がこっちに引っ越してきた時、もうコロナの影響が出てたからな」

 住み慣れていた滋賀のアパートが懐かしい。

 慎介さんとは職場で出会った。岐阜にある本社から、度々滋賀の支社に応援に来てくれていたのだ。そのうち、優しい慎介さんに惹かれるようになった。

「十六歳も年上の男なんてやめときな」なんて、同僚には言われていたけど。

 付き合って五年が経つと「岐阜で一緒に住まないか」と提案があった。

 実質的なプロポーズだ。それからはトントン拍子で話が進み、お義母さんは実家をリフォームして、二世帯住宅を用意してくれた。私は早々に仕事を退職し、幸せを感じながらも、同居や結婚式の準備に追われていた。

――新型コロナウィルス感染症が流行するまでは。

 結婚式はキャンセル。

 友人にも同僚にも、ろくに挨拶もできないままこの地に訪れた。誰のせいでもない、仕方のないことだ。たくさんの人に祝われたかった。どこか遠くへ旅行に行きたかった。そんな思いだけが、どこにもぶつけられないまま悪戯に季節が流れていく。引っ越した実感も曖昧なままだ。

 県を跨いで移動することは推薦されていないし、正月も実家には帰れない。

 私は新型コロナウィルスという存在にほとほと嫌気が差している。そんな時に、慎介さんから「おおがき謎解き街歩き」に誘われた。

 スマホを使って、クイズラリーをするらしい。「めざせ大垣マスター」なんてことが書かれている。

「慎介さんは地元なんだからすでに大垣マスターでしょ」と一度は断ったのだが、「平日だから人は少ない」「たまには外を歩かないと」なんて半ば無理やり連れてこられたのだ。

 でも、誘ってもらって良かったかもしれない。マスクをしていても、外の空気に触れることは思いのほか私の心を躍らせた。

「彩乃、ここが八幡神社」

 慎介さんの声でハッと我に返った。私はどうも、歩いていると考え事が捗る節がある。

「うわあ! キレイな水」

 神社に入ってすぐ、右手に湧き水が見えた。天気がいいことも相まって、水がきらきらと光っている。

「昔よく飲んでたよ。オカンが熱心に湧き水を汲んでた時があってさ」

「上等な水で育ったんやね」

「昔はそんなつもりではなかったけど、県外に出た時は無性に懐かしくなったことがあったな」

 慎介さんは、恥ずかしそうに高い鼻を撫でながら話す。

 その昔は、いったいどんな姿だったんだろうと思った。

「ついでにお参りしていこうよ」

「そうだな、奮発して百円入れるよ」

 私達は並んで、賽銭箱にお金を入れた。

 目を閉じて、三回願い事を唱える。流れ星でもなんでもないのだが、これが私なりのやり方だった。

「彩乃は何をお願いしたんだ?」

「んー、慎介さんとお義母さんの健康だよ」

 慎介さんは目を細めて笑う。

「自分の健康もちゃんと祈りな」

「私はまだギリギリ二十代だし?」

「あのなぁ、あと一年で一気に変わるんだぞ! まぁ、彩乃の健康は俺が祈っておいたけど」

「そう、なら大丈夫だね。ありがとう」

 スマホでクイズラリーの問題に答えると、次の目的地がわかった。クイズ自体は、この場所に来たら簡単に答えられるような難易度だった。

「次は大垣城だな」

「近いのに、ふたりで行くの初めてだね」

 どちらからともなく、私達は手を繋いだ。

 大垣城までの道のりはたわいない会話が弾んだ。

 道端に咲く知らない花の話や、お義母さんが、最近膝が痛いと話していたので真面目に解決法を提案し合ったりもした。

 大垣城に着くと、慎介さんはヒノキの香りがするマスを取り出した。

「この通行手形で大垣城に入れるんだよ」

「通行手形がマスなの?」

「大垣はマスが有名なんだよ」

 小さなマスを受付の人に渡すと、木の葉のスタンプを押してくれた。展示物を見ながら、私達は最上階の展望台へ向かう。

 展望台に出ると、風が強く吹いていて少し肌寒い。だけど、大垣市内を一望できるこの景色は見事なものだった。慎介さんは私の耳に顔を寄せる。

「ほら、あそこが俺達の家」

「なんで展望台まで来て、家の場所の説明なのよ」

 思わず吹き出してしまう。旅行にきたわけではない。

 それでも、何か特別な瞬間だと感じていた。

 大垣城から出ると、外には猫がいた。


「昔はもっと野良猫がいたような気がする」「ここの歯医者に通ってた」「学生の時はあの店で……」いつもより饒舌な慎介さんの思い出話を聞きながら、この街を歩く。

 慎介さんを通して見るこの街は、今まで見たこともない景色のようにも思えた。

 貴船神社、大垣城東口大手門跡、美濃路大垣宿本陣跡……少しずつ、ゴールが近づいていく。そんな時、慎介さんの足が止まった。

「――この店閉まったのか」

 新型コロナウィルスの影響で、閉店した飲食店の貼り紙。

 慎介さんは、まじまじとその文字を読んで、眉間に皴を寄せた。

 今、私達は気楽にクイズラリーをしているが、日本中、世界中でこのコロナウィルスと戦っているという現実に引き戻された瞬間だった。

 こんなにも長期間の戦いになるなんて、誰も予想できなかっただろう。私だってコロナが落ち着いたら仕事を探そうと思っていた。だけど、まだまだ収束する気配も感じられない。漠然と感じる未来への不安が、ほんの少し私の足取りを重くさせた。

「大丈夫? 疲れた?」

「ううん、大丈夫だよ」

 私達は次の目的地の「四季の広場」へ向かう。水門川沿いの道を歩くと、どこにいても水の流れる音が聴こえてくる。透き通るような水中には、群生する黒い錦鯉がいる。小さな鴨も泳いでいた。

「四月になったら桜がすごいんだよ」

 慎介さんがいつの日か見た桜を思い出している。

 私はまだ、この場所の桜を知らないけれど、今日気付いたことがあった。

 慎介さんは、私の歩く速度に気を使ってくれている。きっと、慎介さん自身は意識していないのかもしれないけれど。速度どころか、出している足まで一緒になっているくらいだ。

 ふと、仕事をしている時の慎介さんが、とても早歩きだったことを思い出す。

「着いたよ。少し座ろう」

「――ここ、きれいだね」

 散策道の先で、頭上から水が降り注いでいる。

 滝のトンネルだ。

 水が水面を打つ音が、心地いい。近くのベンチに座り、滝のトンネルを見つめる。

「映画の聖地なんだって」

「そうなんだ。慎介さんはもう見たの?」

「見てない。彩乃と一緒に見ようかな」

「大垣マスターでも見てないんだ」

「大垣マスターにはこれからなるから。彩乃と一緒に」

 その言葉に、さっきまでの不安が水の音と一緒に流れていくような気持ちになった。

 そうだ、新しい生活で不安なのは、私だけじゃない。

 きっと慎介さんも同じように、不安なはずだ。

 私達は一緒なんだから。一緒になったんだから。

 一緒だからこそ、きっと乗り越えていけるんだ。

「慎介さん。それなら、一緒に鳥人間の映画も見ようよ」

「いいな、それ。大垣にも滋賀にも関係のある映画だ」

 慎介さんはそっと私の手を握る。

 嬉しそうに目を細める慎介さんは、朝より少し無精ひげが伸びたように見える。

 いつか、この無精ひげに白いものが混じるようになるのだろうか。

 そんな姿でさえも、彼の隣で見ていきたいと思った。

 水が流れる音が聴こえる。慎介さんの手を強く握り返した。

 私は、この水の都に今、根を下ろした。



#忘れられない恋物語
#短編小説
#この街が好き

 大垣市出身の小説家・中村航氏がプロデュースした「おおがき謎解き街歩き ~スマホでクイズラリーに挑戦!~」から着想を得た作品です。開催当時、コロナ禍ということもあり、参加できたのはほぼ岐阜県民でした。私はコロナ禍のなか滋賀県からちょうど岐阜県に引越し、様々な不安のなか生活をしていました。
 その不安と、これから自分が過ごしていく場所への願いを込め、この物語を書きました。



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