東海道を歩く 番外編 ヤマトタケル
東海道を歩いて、ヤマトタケルノミコト(日本武尊)ゆかりの地が多く、
興味が沸いてきました
まずはこの旅で出会ったヤマトタケル伝承の地から
扉絵は「近江の国一之宮 建部神社」にて撮影
静岡市清水区草薙 草薙神社
名古屋市 熱田神宮
草薙の御剣
草薙の剣は三種の神器の一つ 日本神話においてスサノオが出雲の国でヤマタノオロチを退治した時に、大蛇の体内から見つかった神剣である
天孫降臨に際し、しばらくは宮中にあったが、畏れ多いということで、形代(カタシロ)が作られ、形代を宮中に残し、本来の剣は伊勢神宮に移されたという
ヤマトタケルの東征の際、伊勢神宮のヤマトヒメノミコトは草薙の剣(天叢雲の剣)を授けた
その後、ヤマトタケルは相武国、または駿河国で敵の放った野火に囲まれ窮地に陥るが、剣で草を薙ぎ払い、難を逃れた。これにより難を逃れたためその剣を「草薙の剣」という(静岡・草薙神社もお参りしました)
東征を終え、ヤマトタケルは尾張国で結婚したミヤズヒメの元に剣を預けたまま、伊吹山の悪神(荒神)を退治しに行ったが、毒にあたり、三重県の鈴鹿山中で亡くなったという。ヒメの元の草薙の剣を呼んで亡くなったという。
その後、ミヤズヒメはヤマトタケルと草薙剣を祀り、これが後の熱田神宮になったという
宮中に残った剣は形代であったが、源平の合戦の際、安徳天皇と共に海中に沈む 朝廷と源氏軍は捜索・加持祈祷を行ったが、結局見つからず、伊勢神宮より献上された剣を「草薙の剣(形代)」とした(ウィキペディアより)
四日市市 杖衝坂
亀山市 井戸川駅付近
近江の国一之宮 建部神社
弟橘比売の伝説
オトタチバナヒメの伝説は相模の国から上総の国~下総の国~関東北部に伝わります
入水したと伝わる横須賀・走水神社。ヤマトタケルが無事上陸できた木更津。ヒメが持って入水したという櫛が流れ着いたという茂原・橘樹神社。
ヒメの着物の袖が流れ着いたという伝説から名付けられた地名だといわれる。右と左の袖のうち、片方が袖ケ浦市に、もう一方が習志野市・袖ヶ浦に流れ着いたともされる。
また、群馬・吾妻郡の由来として 日本武尊が碓日阪(今の鳥居峠)にお立ちになって、なき妻弟橘姫を追慕のあまり「あづまはや」と3度嘆いたと言われている
そしてこの吾妻が「東(あずま)」の由来となっている
吾嬬神社 東京都墨田区
ヤマトタケルノミコト
ヤマトタケルノミコト(日本武尊)は東西を平定したことから、
武力に優れ、偉大な戦士として戦い抜き、人間的な愛や苦悩に彩られた生涯を歩んだ日本神話の英雄です
神 格 武神 農業神
ご利益 国土平穏 五穀豊穣 商売繁昌 出世開運 招福除災 交通安全
試験合格 勝負運 仕事運向上
オトタチバナヒメ(吾妻大明神(あずまだいみょうじん))
夫への愛を貫き、夫の使命達成のために自分の命を海の神に捧げた女神です。
神 格 海神を祀る巫女
ご利益 海上安全 商売繁盛 縁結び 出世開運