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東海道を歩く 22 三雲~石部~草津~石山 230325
いよいよ、京までのゴールを迎える東海道
少し距離が長いのが気になる、少し間が空いてしまったので休日など歩く機会を増やしてトレーニングしていたw
京都に移住した中学時代からの旧友Aさんに会うのも楽しみだ
おりしも桜の季節だが、あいにく天気は悪そう…
今回はゴールの美酒をふんだんに楽しむために車は使わず、行きは夜行バス、帰りは新幹線という行程である
夜行バスは、久しぶりに一度乗ってみたかったのと、経費節約が目的だったが、出発点の東京駅地下ターミナルに来ると若い人がいっぱい
少し場違いのようで気おくれするが、これも旅の楽しみだと明るく列に並ぶ
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(早くも少し紅潮、少し飲んできたのもある😅)
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狭かったけれど3時間くらいは眠れた👌 混み合う車内から降りて少しほっとしている?
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JR草津線は草津駅から伊賀市柘植駅を結ぶ 単線 全線電化
柘植駅で関西本線に乗り換え、亀山駅、名古屋駅まで行くことができる
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JR三雲駅から線路に並行して西へ向かう
天井川になっている大沙川や由良谷川の下をくぐり行く道は、車も時折通るくらいで小雨の中一人歩くのも気持ちがいいが、こんな自然の中の道も残りわずか
石部宿に近づくにしたがって、街道の風情を感じさせる家並みの中になっていく
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少し名残惜しい気持ちでゆっくり進みました 三雲城跡付近
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古くは「京立ち石部泊まり」といわれ、京から江戸へ向かう旅人が最初に
泊まるのがこの石部であったそうだ
石部には金山(銅山)があって、ここから「石部の金吉」という言葉が生まれたという
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境内には万病に効くという宮前の湧水が湧いている
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漆喰壁や連子格子などの ある古い町家が軒を連ね東海道の風情を感じさせる
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工事中で左手部並んでいる工事用トイレに入ったが、ちゃんとウォシュレットだったw 9:30
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以前は野洲川がよく荒れたことからこうなっているそうだ
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六地蔵村は東海道草津宿と石部宿の間に位置した間の宿で
旅人などが休憩する立場として知られていた
法界寺のある六地蔵の地名は六体の地蔵 があったことからその名がついた。
現在 は重要文化財の木像地蔵菩薩立像が一体安置 されている。(平安時代作、像高96.5cm)
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アウトカメラの超広角も使えるし画質も良いはずだ(丸円内:自撮り用には付属のミラーを使う)
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六地蔵には旅人のために道中薬を売る店が数軒ある
和中散は家康が腹痛を起こしたとき、この薬でたちまち治ったので付けられた名前という
茶屋本陣を務めた(国重要文化財)
街道沿いは、旅籠ではない、立派な民家(間口が広い)が並んでいる
それぞれの商売の名残のような看板があり、近江商人の隆盛を物語っている
焼杉の板を使用したしっかりとした家並である
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目川では地元名物の菜飯や豆腐田楽が評判であったようだ
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前述の広重五十三次 石部宿「目川の里」は目川立場の繁盛店が描かれている
菜飯と田楽が有名だったという
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牛馬を殺処分する様子を見かねた庄屋さんが、
老牛馬が余生を過ごせる場所をつくったという
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廃藩置県に伴い、城の遺物は栗東市林の長徳寺に移築された
さらに門を立て替えるためにこの地に移築された
瓦に本多家の立葵の御紋が見える
草の戸や日暮れてくれし菊の酒 元禄4年重陽 芭蕉
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本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠72軒
東海道と中仙道の分岐、琵琶湖を大津までの矢橋の渡しの航路と、
瀬田の陸路の分岐などで大いににぎわっていた
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文化13年(1816年)建立の横町常夜燈草津宿の江戸側入口
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草津川下流は典型的な天井川であったが、度重なる災害をもたらしていたため、
2002年中流域から琵琶湖にかけての草津川放水路が開削された。
この地は草津川跡地公園として整備された
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東海道と中山道の追分の常夜燈 文化13年(1816年)建立 高さ4.4m
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本陣が現存するのは二川宿とここだけである。全国でも最大級という
江戸時代の資料の数々が保管されている
忠臣蔵の浅野内匠頭や、吉良上野介、皇女和宮、徳川慶喜など名だたる人物が
実際につかった上段の間や湯殿などが当時の姿に修復されているらしい
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旧東海道に面して交通安全・厄除けの神社として1200余年の歴史を有する、滋賀県随一の古社
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草津宿から東海道を南下してくると矢倉橋を渡り旧矢倉村に入る
この橋を渡って右に曲がると、矢橋の渡し 大津まで舟で渡ることができた
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後方は名物の姥が餅を出す茶屋「うばもちや」である
姥が餅は草津産のもち米でつくった餅を、甘さをおさえたこし餡でやさしく包み、
白餡と山芋の練り切りをのせた乳房の形をしたあんころ餅である
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左は「うばがもちや」さんHPよりうばがもち
『東海道名所図会』(とうかいどうめいしょずえ)は江戸時代後期に刊行された名所図会。
寛政9年(1797年)に6巻6冊が刊行された。京都三条大橋から江戸日本橋までの東海道沿いの
名所旧跡や宿場の様子、特産物などに加えて歴史や伝説などを描いたもの
江戸時代の旅のガイドブックで、いろいろな情報が書き込まれている
広重も京都に近い箇所について参考にしていたらしい
(広重五十三次は天保4-5年(1833-34年)頃か)
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広重の東海道五十三次よりも早くに出版された『東海道名所図会』には、
野路(のち)の玉川とともに弁天池が描かれている
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今回の旅ではヤマトタケルの伝承地が多い
父景行天皇の46年草創、天智天皇白鳳4年(675年)に当地(瀬田)に遷座
源頼朝が平治の乱に敗れて伊豆国に流される道中、本社に立ち寄って源氏の再興を祈願、
後に大願成就したことから、出世開運の神としても著名となった。
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さすがに知らないけど…w
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日本三名橋の一つで近江八景「瀬田の夕照」で名高い古くは瀬田の長橋とも呼ばれ、
壬申の 乱以来、しばしば合戦の舞台と なり、その度に焼け落ちた日本書紀にも登場という
「唐橋を制するものは天下を制す」とまでいわれるほど、京都へ通じる軍事・交通の要衝であることから幾度となく戦乱の舞台となった
「武士(もののふ)のやばせのわたりちかくともいそかはまはれ瀬田の長はし」
急がば廻れの語源になっている
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今回の東海道で来たかったスポットの1つ
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京阪電車、JR線を 過ぎたら旧東海道は琵琶湖沿いに北上する
ここから53番目大津宿 本陣2軒、脇本陣1軒、東海道五十三次中最大の宿場である
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足を延ばした 写真は京阪電車で石山駅に戻ったところ(15:40)
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「野ざらし紀行」の旅の途中、大津に滞在していた芭蕉のもとに門弟が集まり
湖南蕉門が形成されたという(電線はその打ち消しそう…か)
いったん石山のホテルに入ったあと後述の待ち合わせまではまだ時間もあるし、地元の銭湯を探して行ってみることに…
ホテルのユニットバスでは狭くて味気ないし、よい旅のあと(よい酒の前)には銭湯の大きな湯船で身を清めたい昭和下町派w
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約80年の歴史があったが2018年12月に閉湯となるところ京都在住の銭湯活動家たちが(みな若者らしい)受け継いだという建物やこじんまりした湯舟や洗い場など設備は昔のままと思われるが、よく手入れされていて夕方早くから地元の人がけっこう来ていた
容輝湯https://twitter.com/youkiyu_1126
夕食は大津市瀬田唐橋の炭火割烹 蔓ききょうさんへ
京都在住の旧友AMさんの案内で、この旅シリーズでは久々の豪華夕食ですw
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チラと映るのが旧友のAMさん
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蔓ききょう https://www.tsuru-kikyou.jp/
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唐橋駅から宿泊先の石山まで一駅電車に乗って帰りました
(…雨 やまない😓)
本日の行程(実質の旅以外も含む)35.8㎞/54,694歩
三雲駅~(7km)~石部駅~(10.3km)~草津川橋~(8.9km)~瀬田の唐橋~(1.2km)~石山駅~(2.5km)~膳所本町駅
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