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「Aさん」たちは動き出している|"アートじゃない"アートプロジェクトがまなざすもの

はじめまして。雨貝未来です。2020年6月から、プログラムオフィサーとして勤務しています。

直前の2019年度は、現在担当している東京アートポイント計画の「HAPPY TURN/神津島」に、事務局スタッフとして3か月ほど関わっていました。その前は茨城県の取手アートプロジェクトで6年くらい事務局スタッフをしていました。アートプロジェクトの前線から、中間支援の現場に移ってきたわけです。先輩たちからどんどん技術を盗みながら、ほがらかにしたたかに、やっていきたいなと思っています。

HAPPY TURN/神津島のこと

さて、初めてのnoteは「HAPPY TURN/神津島」の話を。

「HAPPY TURN/神津島」は、東京都・神津島村で、島に関わるさまざまな人とつながり、それぞれの暮らしや考え方を学び合うことで、これからの生き方のヒントになるような「幸せなターン」のかたちを探っていくことをテーマに、2017年度から実施しているプロジェクトです。

現在、事務局・運営スタッフは4人。神津島出身で高校・大学~社会人の約10年を本土の東京近郊で過ごしてUターンした中村圭さん。元小学校教師で、海の家のアルバイトを終えて島を出ようとしたら引き止められ事務局に関わるようになった飯島知代さん。島コンでの出会いをきっかけに移住した、会計の齋藤あずささん。そして最近、メダカと愛犬を連れて島にやってきた拠点スタッフの佐々木美紗さん。全員がU/Iターン経験者で、それぞれのHAPPY TURNを探りながら日々、ことを起こし続けているチームです。

神津島の「アートじゃなさ」

神津島チームの特徴は(誤解をおそれずに言えば)、『アートプロジェクト』がやりたいという強い動機ではじまっているわけじゃないこと。じゃあ、なんのためにやっているんだろう、って思いますよね。

中村さんから「Aさん」という島の方の話を聞いたことがあります。Aさんは、中村さんがこどもの頃、島のキャンプ場の管理人をしていたお兄さん。こどもたちがキャンプで怖い話をしているとおどかしに来たり、望遠鏡で土星の輪を見せてくれたり、めずらしいボードゲームを貸してくれたり……Aさんとのエピソードをうれしそうに話す中村さんが印象に残っています。島外での仕事を辞めて島に帰ってきたときも、そんなAさんが変わらず島にいたことに、ずいぶん安心したそうです。今度は島に戻ってきた自分が、こどもたちにとってのAさんみたいな存在になりたいんだよねー、と話す中村さんの目はキラキラでした。

「センス・オブ・ワンダー」

中村さんからこの話を聞いたとき、ある本の一節を、ふと思い出しました。

"妖精の力にたよらないで、生まれつきそなわっている子どもの「センス・オブ・ワンダー」をいつも新鮮にたもちつづけるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります。" 『センス・オブ・ワンダー』レイチェル・カーソン/上遠恵子訳、新潮社、1996年、p.23

「センス・オブ・ワンダー」。対象の不思議さや神秘に気づき、心を動かされる感性とでもいうものでしょうか。Aさんは中村さんにとって、この「大人」なのだと思ったのです。レイチェル・カーソンは、自然教育のことを語っているけど、きっとアートや文化も、その相似形でしょう。

安心して心を動かす練習をする場

神津島の拠点「くると」のオープン日には、学校の行き帰りの小学生や、通園途中の保育園児たちが「圭さーん!」「知ちゃーん!」と集まってきます。島のこどもたちは、次の「Aさん」たちの存在を敏感に感じ取っているかのようです。

アートプロジェクトという活動が生まれた1990年代と今とで、社会のムードは大きく変わっていると感じます。自由に生き生きと呼吸するひとりの「Aさん」は、今や貴重な存在なのかもしれません。

でも。だからこそ。単に参加して楽しむだけのものとして消費するのではなく、自分の心を使って感じ、えいっと飛び込んで変化する。安心してその練習ができるプラットフォームとしてのアートプロジェクトをはじめる、ひょっとして今はチャンスなんじゃないか。中村さんや飯島さんがどう思っているのかは、わからないですけれど、HAPPY TURN/神津島の可能性のひとつがそこにあるんじゃないかなあと、つい考えてしまうのです。

さあ、神津島から。次の「Aさん」たちの動きはもう、はじまっています。