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海の青より、空の青 第44話

闇夜を駆ける

 俺たちのゴールが最後になったのは、どんなに甘めに見積もったとして九割は生徒指導教諭に原因があるように思えた。
 が、残りの一割は俺のせいだったかもしれないこともなくもない。
 その罪滅ぼしというわけではなかったが、広場に残っていたクラスの女子に美沙を引き渡したあと、朱音を六組のバンガローまで送っていくことにした。

「ねえ、夏生君。変なこと聞いてもいい?」
 俺の左腕に軽く掴まり歩いていた朱音が、急にそんなことを言い出す。
「本当に変なことじゃなければどうぞ」
 ここで言う『変なこと』とは美沙との関係である。
 それは彼女に昼間話したことが全てで、これ以上尋ねられたところでもう何も答えられることなどない。
「さっき道に迷った時にね、夏生君が一人で見に行ったあれって……お墓じゃなかった?」
 あの距離と暗さでよくわかったなと、単純に感心してしまった。
 もしかしたら彼女は人よりも夜目が利くのかも知れない。
「よくわかったね。確かにあれは……」
 無意識のうちに余計な含みを持たせてしまい、彼女もそれに目ざとく反応した。
「なに? 私、そういうの大丈夫な方だから」
「朱音の組のバンガローに着いてから話すよ」

 最果ての小屋と勝手に命名したそこに着くと、建物の前に置かれた丸太に肩を並べて腰を下ろす。
 そして「ちょっとだけ長くなるけど」と前置き、かつて母の田舎で体験したあの夏の夜の出来事から順を追って説明した。

 従姉から怪談話を聞いたこと。
 それはどうやら実話を元にしたものだったということ。
 夜の墓に真実を確かめに行ったこと。
 最後に今し方目にした物のこと。

「墓石には確かに『石田家』って書いてあった。珍しい名字じゃないから偶然だとは思うけど」
 すぐ横から彼女が息を呑む『すぁ』という音が聞こえてくる。
 本当は彼女がそういった類のことが平気ではないというのは、肝試しでの怖がりようからして想像できた。
 そうした上で真実を話したのは、俺自身が先ほど見たあれが幻だったような気がしていたからなのかもしれない。
「……もし、ね? もしもそれがオバケとか、そういうのだとしたらだけど」
 彼女はすくめていた肩をゆっくりと下ろしながら言葉を続けた。
「そのオバケって私たちを守ろうとしてくれた、ってことはない?」
「……なるほど」
 朱音の仮説は正しいかもしれない。
 確かにもしあのまま進んでいれば、どこかで道が途切れていたはずだった。
 あの暗闇ならそのまま転落して――ということも十分に有り得ただろう。
 明日の朝、時間を作ってもう一度あの場所に――いや、それはやめておこう。
 もしそこに墓があれば、偶然だったにせよ手を合わせてお礼を言えばいい。
 だが、もし何もなかったら――。
「あっ! 夏生君!」
 朱音が突然大声を上げたので、自分がいま何を考えていたのかすら吹っ飛んでしまった。
「何? どうした?」
「時間時間!」
「時……え? いまって何時?」
「八時! 男子のお風呂って八時半までじゃなかった?」
「ヤバい!」

 おやすみの挨拶も早々に立ち上がると、真っ暗な山道をほとんど全力で来た道を戻る。
 先ほどまでの恐怖心など、現実に迫り来る『風呂に入れない』という危機の前に完全に吹き飛んでいた。
 仄暗い懐中電灯の明かりだけを頼りに野山を駆けていると、奇妙な高揚感が身体の奥から湧き出てくるのがわかった。
 それはまるで自分が忍者にでもなって追手から逃れてるような、とにかくそこには現実味が伴わない代わりに、いまだかつて経験したことのない爽快感があった。

 自分のバンガローまで戻るとタオルと着替えを手にし、すぐさま管理棟に直行する。
 湯船に浸かるまでの時間はなかったが、何とかシャワーだけは済ませることができた。
 思えば今日は、キャンプファイヤーの前に生徒指導の彼と駐車場を無駄に走り、今は山道を全力で駆け抜け、おそらくはトータルで二キロ以上走っていたのではないだろうか。
 そのどちらもが不要な消耗でしかなかったことに気がつくと、自身のとてつもない馬鹿さ加減に笑いがこみ上げてくる。
 オリエンテーションにゾンビのような顔で参加し、小学生並に落ちた文章力で書いたレポートを提出すると、ようやくにして本日の予定の全てが終了した。
 就寝前の自由時間を謳歌するルームメイトたちを尻目に、俺はさっさと布団の中へと潜り込んだ。
 そして壁の方を向いて静かに目を閉じる。
 昨日は皆がすぐ寝てしまったことに物足りなさを感じていた俺だが、今日はもう本当の本当に疲れ果ててしまった。
「……おやすみなさい」
 誰にでもなくそう呟くと、次の瞬間にはもう眠りの淵から飛び降りていた。


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