海の青より、空の青 第43話
雉も鳴かずば
「足元の悪いところもあるのでくれぐれも注意して楽しんで下さい」
キャンプファイヤーから肝試しへとシームレスに移行した林間学校二日目の夜は、その終了を以て本日の全日程を終えることとなる。
現在地であるこのグラウンドから施設敷地の山中を一周し、最後は例の多目的広場で点呼を行い解散するという説明を職員から受けた。
コースは三つ用意されているようで、そのどれを選ぶかも何人で行くかすらも自由という適当っぷりだった。
中には十人からの団体でスタートした連中もおり、今から肝試しという緊張感を一切伴っていなさそうなその様子は、まるでただの通学風景のようですらあった。
俺は例によって美沙とコンビを組むことになったのだが、スタートの直前になって朱音が同行に名乗りを上げた。
彼女の参戦で『両手に花』かと思われたのだが、蓋を開けてみれば俺が一人で先行し、彼女らは手と手を取り合いその後ろを続くという、何故だか俺が水先案内人をするような妙な隊列となっていた。
人工の灯りどころか、月明かりさえ空を覆う杉の枝葉によって遮られた漆黒の山道を、極狭い範囲しか照らしてくれない三本の懐中電灯に全てを託してゆっくりと進んで行く。
一メートルほど後ろを歩く女子たちは「真っ暗だね」や「お化け役の先生とかいるのかな」と、子供のように怖がりながらも結構楽しそうだった。
俺が思った通り、この二人の相性は抜群であったようだ。
たった一時間足らずの交流を経て数年来の親友のようになった彼女らは、いまや互いに下の名前で呼び合っていた。
そんなこんなで山道を歩くこと十五分。
すでに全行程の半分くらいは進んだと思われた。
道の両脇に均等な間隔で聳える杉の木が、まるで死人を埋葬地へと運ぶ黒装束の葬列のように見え、不気味なことこの上ない。
「ねえ、二人とも。道の両脇に均等な間隔で聳える杉の木がまるで死人を埋葬地へと運ぶ黒装束の葬列のように見えて不気味なことこの上なくない?」
敢えて何の捻りも加えず、コピー機のように思ったことをそのまま一息で口に出してみた。
「は? なんでそんなこと言うの? ナツオってバカなの?」
「夏生君……サイテー」
わかってやったこととはいえ、普通に怒られてしまいちょっとだけ凹んだ。
それはそうと――。
先頭を歩いている俺には、先ほどから少しだけ気になっていることがあった。
それは何かといえば、スタートしてすぐのところのコース脇に歩哨に立っていた教師としか出会っていないことだった。
それどころか、所々で交差するコース設定ゆえに、どこかで必ずすれ違うか懐中電灯の明かりが目に入るであろう他の生徒の姿すら、一度も目にしていない。
事前情報として、行き止まりや施設外の山道に繋がるような道は存在していないとの話だったので、足元に踏み跡がある限りは遭難する心配は恐らくないのだが……。
さらに数分後――。
「ナツオ!」
呼び声とともに服の裾を引っ張られ思わず飛び上がってしまう。
振り返ると美沙と朱音が不安そうな顔で俺のことを見ていた。
「夏生君……道ってこれで合ってる? さっきから誰とも会ってなくない?」
朱音に痛いところを突かれて返答に困ってしまった。
「道がある限りはどこかに出るように出来てるらしいから」
俺自身が疑いを持ち始めていた情報を彼女らと共有し、なんとか場の空気を整えようとした、その時だった。
「……てゆうか、ねえ。あそこになんか、ない?」
美沙が指差す方向の暗がりの奥に、確かに何かしらの人工物があるのがうっすらと見える気がする。
「俺、ちょっと見てくるよ。二人はここで待ってて」
そう言って一人でその方向へと歩き出した。
一本だけとなった懐中電灯の頼りない光で足元を照らしながら、まるで地雷原を歩くかのようなゆっくりとした足取りで十メートルほど進む。
ふいに気温が低くなったような気がして、一瞬足が止まりそうになった。
山水のせいか地面が光をてらてらと反射して歩きにくい。
しかし目的地はもう、目と鼻の先に迫っていた。
丁度人の背丈ほどの物体が何であるかは、見慣れた形ゆえに一瞬でわかった。
それは――墓石だった。
かなり苔むした墓石の周囲に他の墓があるようには見えず、わずかに拓けた杉林の中にたった一基だけ、古びた大きな墓石がこちらを向いてポツンと立っていた。
花立てには萎びてはいるが菊が手向けられており、そう遠くない過去に誰かが訪れたことが伺える。
俺は昔から人に嘘をつくということに並々ならぬ嫌悪感と抵抗感があった。
ただ、今回ばかりはやむを得ない。
彼女らには何かの記念碑だったとでも報告しよう。
そうと決まればとっとと戻るべきだった。
なのに俺は、懐中電灯の丸い光を墓石の正面に浴びせかけた。
なぜそんなことをしようと思ったのか。
それは、その墓石に見覚えがあったからに他ならなかった。
クリプトン球のオレンジ色の光が墓石を照らす。
風化で判読し難くはなってはいたが、そこには間違いなく『石田家』と彫刻された文字が見て取れた。
(あの子のお墓だ……)
彼女らと合流した俺はただ一言「戻ろう」とだと呟くと、少し足早に来た道を引き返し始める。
その声色から何かを察したのか、彼女たちは何も言わずに駆け寄ってくると俺の両腕に抱きついた。
渡り鳥の編隊を思わせる隊列を組んだ我々は、まるで外敵の襲来でも恐れるかのようにピッタリとくっついて、いま来た道を急いで引き返した。
二〇〇メートルも戻ると、そこには先ほどまでには居なかったはずの生徒指導教諭の後ろ姿があった。
背後から急に現れた俺たちに驚いたのか、彼は「キャッ」とか細く可愛らしい声を上げて両手を口元にあてる。
その姿に俺たちは普通に引いた。
「って、あれ? お前たち、どこから来たんだ?」
簡単に経緯を説明すると、先生は「ああ」と言って自らの後頭部を擦ると、申し訳無さそうな顔をしてこう言った。
「そっちの道だけは行っちゃ駄目なんだよ。崖が崩れてて路面が落ちちゃってるから。だから俺がここで誘導してたんだが、急に腹が痛くなってな……いや、すまんかった」
こちらとしてはそのせいで余計な目にあったのだから、文句のひとつでも言いたかったのだが、不手際の理由が生理現象ならば仕方あるまい。
「もういいよ先生。二人とも行こっか」
ふたたび彼女らを両脇に従え、本来のルートへと一歩踏み出そうとした、その時だった。
「ところで夏生」
先生に呼び止められ、俺を中心軸にして三人が仲良く背後に向き直るその光景はといえば、滑稽以外の何者でもなかった。
「なんですか?」
「いや、てっきり二股だと思っていたんだが一夫多妻だったんだな。先生、君のことを見直したよ」
ああ、この人は。
雉も鳴かずば撃たれまいに。
「は? 先生なに言ってんですか?」
「先生もバカなの?」
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